前回は、飯島家の日々の英語学習法をご紹介しました。今回はさらにさかのぼって、2人の娘さん(Sayoさん・Akariさん)がどのように英語と出会い、マレーシアへの親子留学を経て、いまに至ったのか。その歩みを体験記としてお届けします。
この記事の3行まとめ(AI要約)
- 姉妹の英語のきっかけは「あの制服を着たい」という娘さん自身の一言で、教育熱心な先回りではなく、あくまで本人の「やりたい」が出発点だった。
- バイリンガル幼児園で「英語は楽しい」という感覚と“英語の耳”を育て、小学校も英語を続けられる環境を選ぶなど、途切れさせない工夫を重ねてきた。
- 英語がいちばん伸びたのは日本ではなくマレーシアでの親子留学で、多民族の中で「通じない」壁にぶつかる生きた体験が語学力と国際感覚を大きく押し上げた。
きっかけは「あの制服を着たい」のひと言

姉妹が英語に触れ始めたのは、少し意外なきっかけからでした。
長女のSayoさんが、同じマンションに住むお友だちの幼児園の制服を見て、「あの制服を着たい」と言い出したのです。おしゃれなスクールバスで通う姿にあこがれたそうです。調べてみると、そこは新しくできたバイリンガル幼児園でした。
Yumikoさんご自身は、学生時代に海外留学を経験し、お仕事でも海外と関わってこられた方。「いつか子どもにも英語や、海外の人と交流する機会をつくってあげたい」という思いは持っていたといいます。
ただ、意外にも「これほど早く始めるつもりはなかったんです」と振り返ります。周りが早いからでも、教育熱心に先回りしたからでもなく、出発点はあくまで娘さんの「やりたい」でした。
バイリンガル幼児園で育った「英語の耳」

年中から通い始めた幼児園は、日本人の先生とネイティブの先生がそれぞれ担任を務め、英語と日本語の授業が混ざり合う環境。夕方まで両方の言語にふれる毎日で、学芸会はすべて英語で行われました。
Sayoさんは年中から、Akariさんは年少から通い始めました。Sayoさんは2年間、Akariさんは3年間の中でたくさんの英語の歌を覚えました。往年の名曲から新しい曲まで、家族と一緒に口ずさむ姿は、Yumikoさんにとってもうれしい変化だったそうです。
「特別に何かをさせたというより、まず英語の環境に入って、楽しんでもらったという感じです。そこで育った耳が、今の発音の良さにつながっているのかもしれません」
一方で、園児のほとんどは日本人。授業は英語でも、休み時間には日本語で遊ぶのが自然な光景でした。「幼児園でペラペラになったわけではないんです」と、Yumikoさんは正直に話してくれました。それでも、この時期に「英語は楽しいもの」という感覚が根づいたことは、その後の大きな土台になりました。
小学校も「英語を続けられる場所」を探して
2年間かけて親しんだ英語を、小学校でリセットしてしまうのはもったいない。そう考えたYumikoさんは、英語を継続できる小学校を探し始めます。
たどり着いたのは、国語・体育・音楽以外はすべて英語で学ぶという私立小学校でした。算数も理科も社会もアメリカの教科書を使い、たとえば計算も「50円+500円」ではなく、ドルやセントで学ぶという徹底ぶり。日本の教科書とはまったく違う世界です。
決め手のひとつは、自宅の最寄り駅からスクールバスが出ていたこと。さらに小・中・高と一貫している点も、「英語を長く続けられる」という意味で魅力に映ったそうです。クラスにはインドや中国、台湾、韓国、オーストラリアなどから来たお友だちもいて、日本にいながら多国籍な環境で学べたのも、この学校ならではでした。
そして小学校の途中、姉妹の英語教育は大きく動くことになります。
そして、マレーシア親子留学へ

きっかけは、コロナ禍でした。2年ほど思うように出かけられない日々が続いたあと、ようやく動けるようになったころ、マレーシア・ペナンに住む友人家族を頼って、夏休みに3週間ほど滞在します。
現地のサマースクールに参加した姉妹は、「もっと学びたい」「ここに住みたい」という意欲が一気に花開いたそう。滞在の終盤に合流したご主人も背中を押し、約1年半の親子留学が決まりました。ご主人自身、学生時代に留学しなかったことを少し悔やんでいて、「子どもがやりたいと言うなら、させてあげたい」という思いがあったといいます。
自然豊かなインターナショナルスクール

通ったのは、自然豊かな環境にあるインターナショナルスクール(IB認定校)でした。高台の山のふもとにあり、校庭にシルバーの猿が現れるほどの環境です。世界23カ国以上の生徒が集まるまさにインターナショナルな環境でした。
IB教育では、自分でプロジェクトに取り組んで発表するなど、日本の授業とはまるで違うスタイル。演劇(ドラマ)の先生がいて、自己表現の場も大切にされていました。学生が持ち回りで司会を務める集会や、ビーチクリーンの活動報告など、人前で話す機会が豊富だったそうです。
Sayoさんは、9月始まりの学年制と6月生まれが重なり、日本では小学5年生相当のところ、現地では中学生(セカンダリー)のクラスに。いきなり難易度の高い課題に取り組むことになり、大きな刺激を受けました。
コンドミニアム生活と、本物の多文化交流

住まいのコンドミニアムには、共用のプールやジム、プレイグラウンドがあり、下に降りれば各国の子どもたちが遊んでいます。世界各国から移住しているセミリタイアのご家庭や駐在員、そして日本・韓国・中国など、母子で英語教育のために滞在している家庭も多く、自然と交流が広がりました。Yumikoさんは中国語も話せるため、中国系の住民が多いペナンでは、友人関係がぐんと広がったそうです。韓国や日本のママ友と一緒に、タイやシンガポールへ旅行することもありました。
マレーシアは、マレー系・中国系・インド系が共に暮らす多民族国家。学校では、民族衣装で登校する日や、旧正月をみんなで祝う日など、それぞれの文化にふれる行事がたくさんありました。「食べられないものがある」「お酒は飲まない」といった、互いへの配慮も自然に身につくといいます。
「本当の意味でインターナショナルを体験できました。相互理解を学べる、とても良い場所でした」
子どもの英語がいちばん伸びたのは、マレーシアだった

意外にも、Yumikoさんが「子どもの英語がいちばん伸びた」と振り返るのは、日本での数年間ではなく、マレーシアでの日々でした。
「いろんな国の人と交わるなかで、初めて『通じない』『分かってもらえない』という体験をしたんです」。この壁にぶつかったことが、英語力を大きく押し上げたといいます。教室で学ぶだけでは得られない、生きた英語の力です。
マレーシアで学ぶと独特の訛りがつくのでは、と心配される方もいるかもしれません。ただ、通っていたインターナショナルスクールの先生は、イギリスやアメリカ、ドイツ、フィリピン、ロシアなどさまざまな国から来た方が中心で、地元マレーシアの先生ばかりというわけではなかったそう。いろいろな国の子どもたちと英語で交わるうちに、発音も自然と国際的に通じるものになっていったといいます。
ビザ・学費のリアルなところを実感したそう
親子留学というと、費用が気になる方も多いはず。子どもはスチューデントビザ、親はそれに帯同するガーディアンビザを取得しました。学費は1人あたり年80万〜200万円ほどで、決して安くはないものの、日本のインターナショナルスクールより抑えられ、「コスパの良さ」を実感したそう。授業料は学年が上がるごとに高くなるため、低学年のうちほど手頃に通えます。もし親子留学を検討されるなら、難易度の面でも費用の面でも、低学年のうちに行くのがおすすめだと飯島家は話します。
家庭教師や習い事の費用も日本より手ごろで、共用プールで水泳、共有スタジオでダンス、自宅で歌やピアノなど、教育環境も整っていました。学校選びも日本とは大きく異なり、学期ごとに転校する家庭も珍しくないのだそう。飯島家も、より合う学校を求めて一度転校を経験しています。
家族の形と、「本人がやりたい」という気持ち

約1年半、ご主人とは離れて暮らす形になりました。心配する声もありましたが、久しぶりの一人暮らしを「最高だった」と振り返るほど、良好な関係を保てたそう。数か月ごとに行き来し、ちょうどよい距離感だったといいます。
帰国後、姉妹は編入試験を経て日本の学校に復学し、Sayoさんは中学受験を経て別の国際中学校へ。いまも姉妹は国際色豊かな環境で学びを続けています。
英語を軸にした学びは、この先の進路にもつながっています。Sayoさんの通っている学校では、高校に進むと「ダブルディプロマ」といって、日本の高校卒業資格に加え、オーストラリアの高校卒業資格も得られるカリキュラムがあるのだそう。海外の大学に進む道はもちろん、その資格を活かした帰国生入試やAO入試など、選択肢は大きく広がります。早くから英語に親しんできたことが、将来の可能性そのものを広げているようです。
あらためて印象的なのは、すべての出発点が、子ども自身の「やりたい」だったことです。「制服がかわいい」から始まり、「この学校に行きたい」「もっと学びたい」という娘さんの言葉に、ご家族がそのつど応えてきました。
やらされるのではなく、自分で選ぶ。その主体性こそが、姉妹が英語を好きになり、世界を広げてこられたいちばんの理由なのだと感じました。
