「ハリー・ポッター」といえば、数々の記録を塗り替えて、世界的な現象を巻き起こした本、というのはいうまでもないでしょう。

この本を書いた作家、J・K・ローリング(ジョアン・ローリング)は、現在でもとどまることを知らず、素晴らしい作品を世界に発信していますが、この名作「ハリー・ポッター」はどうやって生まれたのでしょうか?

1.ローリングの生い立ち

1.ローリングの生い立ち

J・K・ローリング(以下ローリング)は1965年、イングランドの南西部グロスターシャ州でロールスロイス社の航空部門エンジニアの父ピーターと、科学技術者の母アンの長女として誕生しました。

誕生名は「ジョアン・ローリング」です。

数年後に妹のダイアンも誕生します。

ローリングは9歳から18歳までを、グロスターシャのタッツヒルという町にある、こじんまりとしたコテージで過ごしました。

そのコテージは「チャーチ・コテージ」と呼ばれるもので、19世紀半ばに建てられたゴシック風の建物で美しい庭や森に囲まれ育ちました。

このコテージはのちのハリー・ポッターのアイデアにもなっているそうです。

ローリングの母親は、ローリングが15歳のころ難病の多発性硬化症を患ってしまい、彼女は母親が弱っていく姿を見るつらい日々が続きました。

また、父親とも確執が出来てしまい、家庭内はあまり明るくなかったようです。

しかし、ローリングは幼いころからとても成績優秀で、6歳のころには「Rabbit」という物語を書いて、周りを驚かせました。

中学時代に書いたエッセイ「私の無人島」では、A+を取り、学校でも皆が認める秀才でした。

通っていたセカンダリースクール(中・高校にあたる学校)では「女子生徒会長」に任命されたほどの人気者でもありました。

1982年イギリスのデヴォン州にあるエクセター大学に入学し、フランス語と古典文学を学びました。

在学中にフランス留学も経験し、1986年には優秀な成績で卒業しました。

その後、ロンドンのアムスティ・インターナショナルで秘書として働きながら、コツコツと小説を書き溜めて暮らします。

仕事はあまり興味が持てず、短期の仕事を転々としながら生活をしていました。

2.ハリー・ポッターの誕生

仕事に生きがいを見出せず、その中で当時恋人だった男性がマンチェスターにいたため、平日はロンドン、週末はマンチェスターで過ごす、という日々を送っていました。

マンチェスターからロンドンに4時間かけて帰る電車の中で、延々と続く田園風景を眺めながら突然降りてきたアイデアがハリー・ポッターでした。

突然ハリー・ポッターのイメージが降りてきたんです。

どうしてなのか、何がきっかけだったのかもわからない。

でもハリーと魔法学校のアイデアがはっきり見えました。

”自分が一体何者かまだ知らない男の子”

”魔法学校からの正体が来るまで、自分が魔法使いだと知らずにいた男の子”

というハリーの基本的なアイデアが生まれたんです。

本当に興奮しましたよ!

-ローリンズの言葉-

そしてその時はペンも紙もなかったので、頭の中でずっと思い浮かべ、帰ってからペンをとりました。

主に時間をかけて構想したのが、学校の雰囲気や舞台で、それをスコットランドに決め、ロンドンの大きな乗換駅があるクラパム・ジャンクションのフラット(アパート)で一心不乱に書き溜めていったのがハリー・ポッターの始まりとなったのです。

3.波乱万丈の人生  ~J・K・ローリングはシンデレラガールではなかった~

3.波乱万丈の人生  ~J・K・ローリングはシンデレラガールではなかった~

1990年に最愛の母アンが10年に及ぶ闘病生活の末、他界してしまいます。

哀しみに暮れ、恋人とも破局してしまったローリングは、人生をやり直すべく「海外に出よう」と決意しました。

翌年1991年に一人でポルトガルに渡り、そこで英語教師として働きながら、ポルトガル市内の美しいカフェ「The Majestic Cafe」で、書きかけの「ハリーポッター」の執筆を続けました。

ポルトガルで知り合った男性との間に子どもが出来て結婚しますが、相手の家庭内暴力や薬物摂取などの問題から、長女ジェシカが4か月のころ娘を連れて家を出ます。

シングルマザーとなったローリングは、妹ダイアン夫婦が暮らすエジンバラの家に身を寄せ、生活保護と住宅手当を申請して、安いカウンシルフラット(行政の手人補助の元、安価で提供されるアパート)に入居しました。

その後生活保護を受けながら娘と二人の生活を始めますが、強いストレスのせいで、自殺を考えるほどの深刻なうつ病を発症してしまいます。

そして正式に離婚が成立したころ、娘のためにカウンセリングを受けながらうつ病を克服し、またハリー・ポッターの執筆を始めます。

友達から借金をして、住みにくかったカウンシルフラットから普通のアパートに変わり、ジェシカが寝ているときは自宅で、また乳母車に乗せて近くのカフェで、と執筆を続けました。

娘の将来を考えて教師になろうと思ったローリングは、大学の教師養成コースに通います。

そして教師として働きながら書き上げた「ハリー・ポッターと賢者の石」を、出版エージェンシーに送りました。

しかし、すぐには出版は決まらず、12もの出版社から却下されたあと、ロンドンの大手出版社Bloomsburyから出版が決定し、「ハリー・ポッターと賢者の石」の初版が発売されたのでした。

4.ハリー・ポッター作品

4.ハリー・ポッター作品
  • ハリー・ポッターと賢者の石 ー1997
  • ハリーポッターと秘密の部屋 ー1998
  • ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 ー1999
  • ハリー・ポッターと炎のゴブレット ー2000
  • ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ー2003
  • ハリー・ポッターと謎のプリンス ー2005
  • ハリー・ポッターと死の秘宝 ー2007
  • ハリー・ポッターと呪いの子 ー2016(ローリングの原作をもとにした舞台)

「ハリー・ポッターと呪いの子」以外はすべて映画化され、空前の大ヒットになったことは誰もが知るところでしょう!

書籍も映画も今なお世界中で愛され続けています。

5.受賞歴

  • スマーティーズ賞ー1999(34歳)
  • ローカス賞ファンタジー長編部門ー2000(35歳)
  • 英国勲功賞ー2000(35歳)
  • エクセター大学名誉博士号-2000(35歳)
  • ハンス・クリスティアン・アンデルセン文学賞ー2010(45歳)

その他世界中の賞を総なめにしています。

一説では総資産が5億ポンド(約680億円)を超えると言われ、ロンドンやスコットランドに31部屋の大邸宅や、執筆用のライティングルームを完備した豪邸を所有しています。

また2011年には、オーストラリアのタスマニア島に650ポンド(約8億7000万)の邸宅も購入したということです。

とても生活保護をしていたシングルママの人生とは思えない、とてつもない大成功を収めているのです!

6. ハリポタ現象

7.ハリー・ポッターの映画

日本では短く「ハリポタ」と呼んでますが、ではこの「ハリポタ現象」にはどんなものがあるのでしょうか?

  • ハリー・ポッターのシリーズの続編を待ちわびる人たちが、書店に殺到して行列を作る現象が起きる。
  • 2014年に大阪のユニバーサルスタジオジャパン(USJ)に「ハリー・ポッター」を再現した、「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー」のアトラクションが出来る。
  • ハリー・ポッターが生まれたイギリスでは、ホグワーツへ向かう列車乗り場「9と4分の3番線」のロケ地となった「キングズクロス駅」や、ローリングが執筆したカフェが観光スポットになっている。
  • ハロウィンだけでなく、映画の新作初日などにはハリー・ポッターのコスプレをする「ポッタリアン」という熱狂的ファンも生まれた。
  • キリスト教信者の中から反発する意見が出て、反対派と賛成派の論争が起きた。

宇宙的数字の売り上げでだけでなく、社会的にも大きな影響を与えたブームになりました。

7.ハリー・ポッターの映画

7.ハリー・ポッターの映画

書籍も莫大なヒットをしましたが、映画の興行収入も半端ないものになっています。

1作目の「ハリー・ポッターと賢者の石」は9.748億ドル(!!)、「ハリー・ポッターと死の秘宝Part1」が9.765億ドル、その他の作品も同等の興行収入で、世界興行収入は、全10作で1兆円を突破する快挙を成し遂げました。

8.ハリー・ポッターと英語

ハリー・ポッターは英語の教材として優れているという情報があります。

第一話のころは出演者が大体11歳くらい、そして最終回には17歳くらいになっていることからも、一話からたどっていくと、出演者の成長に従って使う英語も難しくなるので聞いているとこちらも自然にレベルアップする、と言われています。

最初は日本語字幕と照らし合わせながら、作品の内容を楽しみながらトライするといいかもしれませんね!

9.ハリー・ポッターの名言

明かりをともすことさえ覚えておけば、最悪の時にも幸せを見つけることができる。

-アルバス・ダンブルドア-

来るもんは来る。来た時に受けて立てばいい。

-ルビウス・ハグリット-

人間は誰しもが心の中に光と影の両面を持っている。本当に大事なのは、どっちを選ぶかだ。人間はそこで決まる。

-シリウス・ブラック-

我々にとって言葉というのは尽きることない魔法じゃ。人を傷つけることもできれば、癒す力もある。

-アルバス・ダンブルドア-

このような言葉は、ぜひ子どもたちに読んでもらいたいものです。

~まとめ~

ハリー・ポッターの作者が、生活保護を受けて貧困に苦しんでいたころに今の成功を想像することはなかったでしょう。

しかし、それでも諦めずにペンを走り続けたのは、もちろん彼女の才能ですが、本当に魔法使いが魔法を使ったようなファンタジーを感じてしまいます。

人生って本当に不思議!