「シンガポール」という名前を聞いたら、みなさんは何を連想するでしょう。

上半身がライオンで下半身が人魚のマーライオン?

3棟の高層ビルがつながった、まるで船のようなシルエットのホテルがあるマリーナベイ・サンズ?

それとも、「アジアの金融ハブ」といわれる銀行や証券会社のビジネスパーソンズの姿でしょうか?

シンガポールは、国の経済力の指標とされるGDP(Gross Domestic Product:国内総生産)を人口で割った「一人当たりGDP」では、世界でも5本の指に入る国(日本は上位30位台)で、東南アジア圏ではトップクラスの経済成長を遂げています。

しかし、イギリスの植民地だったシンガポールが「シンガポール共和国」として独立したのは1965年のことで、まだ60年余りの若い国なのです!

この記事では、シンガポールに住んでいたことがある筆者が、日本のみなさんが知らない部分にも触れつつ、現在に至る急速な経済成長を支えたといわれているシンガポールの教育システムと、英語教育に迫ってみたいと思います!!!

シンガポールという国とその成り立ち

シンガポールという国とその成り立ち

シンガポールが、「発展途上国」の目安とされるOECD(Organization for Economic Co-operation and Development:経済開発協力機構)の援助国リストからはずれたのは1996年のことです。この独立して歩み出した若い国が、三十年あまりの短い期間で、どうして世界でも有数の経済力をもつようになったのでしょうか?

この項では、現在のシンガポールが都市国家として発展するまでのできごとを説明します。

国名の由来

シンガポールの正式な国名は「シンガポール共和国」(英語:Republic of Singapore)です。Singaporeは、インドの古語サンスクリットで「獅子」を意味するsinga(シン)と、街を意味するpura(プーラ)に由来しています。

12世紀に、インドネシアのスマトラ島からシュリーヴィジャヤ王国の王子パラメスワラがこの地にやって来ました。そこで不思議な生き物を見て「シンガプーラ」と名付けたという伝説があり、この「不思議な生き物」がマーライオンとして今に伝えられています。

もっとも、シンガポール島にライオンが生息していたという記録はなく、虎を見間違えたのではないかともいわれていますが、シンガポーリアン(Singaporean:シンガポール人)たちは、しばしば誇らし気に“The Lion City”(獅子の街)とシンガポールを呼んでいます。

シンガポールの国名は漢字では「新加坡」と表記しますが、地元では一字の場合には「星」を当てることがあります。たとえば1929年に創刊された中国語の新聞は『星州日報』ですし、地元の屋台街ホーカーズ、ホーカー・センター(Hawkers, Hawker centre)の看板に「星州炒米粉」とあるなら、それはシンガポール式の炒めビーフンのお店、という具合です。

シンガポールの歴史

シンガポールが文献に登場するのは、3世紀ごろといわれています。前述のシュリーヴィジャヤ王国・パラメスワラ王子によって「シンガプーラ」と命名される以前、シンガポールは「テマセック」(Temasek)とよばれる漁村でした。耕作のしにくいやせた土地で、海賊などが住み着いていたといわれます。

現在のシンガポールの礎を築いたのは、19世紀初めにやって来た、イギリス東インド会社の書記トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Raffles)です。インドネシアのジャワ島、スマトラ島駐在の経験から、マレー半島に隣接してマラッカ海峡に面したシンガポールの地理的な特異性に着目し、ジョホール王国のスルタンから商館建設の承認を取りつけました。

当時のシンガポールには150人程度の住民しかいなかったそうですが、静かな漁村は、港や街の建設によって大きく変貌します。ラッフルズはシンガポールを関税を課さない「自由港」とする政策を採り、シンガポールは多くの船が寄港する港町に成長します。貿易や植民地建設のための仕事が生まれたことにより、東南アジアの周辺国やインド、中国の人びとがシンガポールに移住を始め、人口もどんどん増えていきました。

「シンガプーラ」を英語でも読みやすいように「シンガポール」としたのが、現在の国名になっています。

イギリスの植民地になったシンガポールには、極東の重要な軍事拠点としてイギリスの基地が置かれました。「東洋のジブラルタル」(ジブラルタルは、イベリア半島にあるジブラルタル海峡に面したイギリスの海外領土)ともいわれ、難攻不落の要塞として知られていました。

しかし、アジア・太平洋戦争が始まると日本軍が上陸し、1942年から1945年まで占領します。第二次世界大戦が終結すると、シンガポールは1959年に自治領になります。1963年にはマレーシア連邦の一部になりますが、イスラムを報じるマレー系が多数派を占めるマレーシアと、非ムスリムの中国系が主流のシンガポールでは政策において合意をみないことが続き、1965年にマレーシア連邦の国会決議により、マレーシア連邦から離脱することになりました。

シンガポールが独立後に取った政策とは?

1965年の突然の独立後、初代首相に就任したリー・クアンユー(Lee Kuan Yew)は、面積も人口も少ない小国が、周辺の強国に負けずに生き残るために、さざざまな政策を立案・実施します。

1 4つの公用語の指定

シンガポールは、もともとの住民よりも移住者が多い移民都市でした。その多様性を生かすために、国語をマレー語としながらも、事実上の公用語として英語を採用、他に中国語(北京語)、インド南部地域の人びとが話すタミール語も公用語としました。

隣国のマレーシアから分離した経緯から、シンガポールの住民の大部分を占めるのは中国南部の出身者で、福建語、広東語、潮州語、客家語が使われていました。しかし、これらの地域語ではなく、中国文化圏の共通語として標準中国語である北京語の使用を推奨しています。

また、移住してくる人びとには一定の審査を経た上で市民権を与え、中国系、マレー系、インド系、その他のコミュニティを包含する「シンガポール人」アイデンティティによって国民統合を図っています。

2 経済発展政策

シンガポールは先述のとおり、東西交易の交通の要所であるマラッカ海峡に面し、また東南アジアの近隣諸国のいずれにも近い、地理的な優位性をもっています。イギリス統治時代にはさらに、関税を課さない自由港という位置づけで中継貿易の拠点として繁栄してきました。

しかし、第二次世界大戦後、多くのアジア諸国が宗主国から独立を果たし、それぞれの資源を生かした経済政策を採るようになると、中継貿易の利点は失われていきます。シンガポールは工業振興を政策の重点に置き、工業団地を設けて外資を誘致するなどして産業立国をめざし、アジア屈指の工業国に発展します。

また、国際的な金融センターとしても目覚ましい発展を遂げ、1965年に独立して以来30年間にわたって平均10%の年間経済成長率を実現しました。

3 観光産業の振興

シンガポールは、政策的に観光に力を入れ、常に観光開発を進めています。

観光政策を担うシンガポール政府観光局によると、2023年にシンガポールを訪れた外国人観光客は1360万人で、観光収入は245億シンガポール・ドル(約2.7兆円)から260億シンガポール・ドル(約2.9兆円)と見込んでいます。(出所:「シンガポール、2023年の外国人訪問者数は2019年比71%、観光収入は90%まで回復見込む」『トラベルボイス』2024年02月21日

シンガポールの人口が564万人(永住権保持者を含む)であることを考えると、人口の倍より多くの観光客がシンガポールを訪れていることがわかります。

シンガポールは、有名なところではセントーサ島、マリーナベイ・サンズ・ホテルなどの大規模でユニークなランドマークを作り、カジノなどを設置して外資系の巨額な資本を導入しています。また、シンガポール政府はアジアの主要国に政府観光局の事務所を置いて観光地としてのプロモーションに努めるほか、チャンギ国際空港を始めとする公共交通機関の整備や、国内観光情報のインターネットでの発信や案内標識の整備などにも積極的に取り組んでいて、観光都市としての発展も成功を収めています。

英語を公用語とする国の教育法 ~シンガポール~

国土面積が小さく、東京23区ほどの広さのシンガポールは、天然資源が少ない国です。周辺の国に比べて人口も少ないほうですが、それだけに、能力のある人材こそ国の発展の核となる「資源」だと考え、人材育成を重視した教育政策を採ってきました。

シンガポールの教育

シンガポールの教育

教育システム

シンガポールの子どもたちは、おおよそ下記の流れで教育を受けます。

イギリスに統治されていた時代にはイギリス式の教育システムが採用されてきた経緯があり、独立後も既存のシステムを基盤に教育政策が採られてきました。

進路は、その子どもの学業成績によって振り分けられるため、進学先や教育期間は一様ではありません。

  • Pre-school(就学前教育):Child Care Centre(保育園)6歳まで、Kindergarten(幼稚園)2~6歳
  • Primary(初等教育):6年 ※日本の小学校に相当
  • Secondary(中等教育):4~5年 ※日本の中学校・高等学校に相当
  • Posr-Secondary(中等教育以後):University(大学)、Polytechnic(専門教育)、Institute of Technical Education(技能教育)など

シンガポールの教育の特徴は、能力主義であることです。先述の通り、人材は資源という考え方に基づいて早期に選別が行われ、優秀な学生には進学を支える仕組みがあります。

また、さまざまな民族が共存している国情から言語教育に特に重点が置かれています。

母語(家庭で日常的に使う言語)としては、中国系は福建語、広東語、潮州語、客家語など中国南部の地域語を話します。このほかにマレー系はマレー語、インド系にはタミール語を話す人びとがいます。

シンガポールには外国人の居住者も多いため、異なる母語を話す人びとが相互に意思疎通を図るためには共通の公用語(英語)が必要です。そこでシンガポールでは、独立後間もない1966年から、母語と英語を学ぶ「二言語政策」が採られています。

義務教育

シンガポールの義務教育制度は比較的新しく、2003年に導入されました。対象になるのは6歳から12歳までの初等教育(Primary School)で、日本でいう小学校に相当する6年間のみです。

親または保護者には、子どもを小学校に通わせる義務があります。このため、健康上の理由などが認められないのに、子どもを学校に通わせていない場合は、禁固または罰金、あるいはその両方を、子どもではなく親ないし保護者に課す罰則があります。

小学校卒業時に受ける試験PSLE

小学校を卒業する子どもたちは、6年生の終わりに初等学校卒業試験(Primary School Leaving Examination:PSLE)を受験します。

このPSLEの結果によって、卒業後に進学するSecondary School(セカンダリースクール、中等学校)が決まり、これまでは原則3つのコースに振り分けられてきました。

  1. エクスプレス・コース(Express course)・・・高等教育進学をめざすコース
  2. ノーマル(アカデミック)・コース(Normal Academic course)・・・平均的な学業成績の子どものコース
  3. ノーマル(テクニカル)・コース(Normal Technical course)・・・技術の習得をめざすコース

この制度は「ストリーミングシステム」とよばれていて、小学校卒業段階で大学への進学をめざすのか、専門学校に進むのか、職業訓練を受けるのかが事実上決まります。

日本でいう中学入学の時点で、中学校・高等学校(4~5年間)が振り分けられるので、その子の中学校以降の進路も選択することになり、12歳時点の成績でそのひとの人生も決まる、といってもいいような特別なシステムになっています。

ストリーミングシステムは現在段階的に見直しが進められています(後述)が、シンガポールの子どもたちは、この3つに振り分けられたのち、Post Secondary School (ポストセカンダリースクール)という大学進学コース、ポリテクニック(技術専門学校)、職業訓練専門学校へ進むことになります。

エクスプレス・コース

シンガポールの子どもの約65%はエクスプレス・コース(Express course)に進み、大学進学を目指して学力重視の学校に通常4年間通います。

生徒は卒業前に、日本でいう大学入学共通テスト(旧:大学入試センター試験)のようなテストを受験します。シンガポール・ケンブリッジ「普通」教育認定試験(The Singapore Cambridge General Certificate of Education, Ordinary Level:GCE O-Level)というもので、生徒の進路は、この試験の成績によって決められます。

ノーマル(アカデミック)・コース

ノーマル(アカデミック)・コース(Normal Academic course)には、シンガポールの子どもの約20%が進みます。学業成績が平均的な生徒のためのコースで、中等学校に進学します。

このコースでも卒業時に試験があります。シンガポール・ケンブリッジ「標準」教育認定試験(The Singapore-Cambridge General Certificate of Education Normal (Academic) Level:GCE N-Level)という卒業試験です。

大学に進学したい場合は、さらにもう1年通って、エクスプレス・コースと同じGCE-Oレベルの試験を受けることもあります。日本の場合でいうと、なんだか大学受験予備校のような感じでしょうか?

ノーマル(テクニカル)・コース

ノーマル(テクニカル)・コース(Normal Technical course)には、シンガポールの子ども全体の約15%が進みます。学校の勉強があまり得意でない、または別の分野に関心・能力をもつ子どもが通うコースで、このコースでも卒業時に試験を受けます。

卒業試験はシンガポール・ケンブリッジ「標準」教育認定試験(GCE-Nレベル)ですが、大学に進学することはできず、このコースに進んだほとんどの生徒は上級校に進学することができないようです。

過熱する早期教育

このように、シンガポールの教育制度は複線化していて、早期に進路を選択します。それぞれのコースで修了時に試験があり、成績が悪ければ留年が決定します。

学業が優秀であれば、大学に進学することを目指し、待遇のよい仕事に就き、余裕のある生活をすることが期待できます。

シンガポールでは「高給を取る」安定した仕事に就くのが一般的な成功のイメージで、国家公務員、とりわけ官僚クラスになるとトップクラスで1億円くらいの年収が得られるといいます。

ですから、成績優秀な子どもを育てようと考える親たちは、生まれる前から教育水準が高いと評判のよい保育園・幼稚園の情報を集め、子どもが生まれてすぐに(これはうそでなく、本当なんです)早期教育を始めます。

そして複数言語を使いこなせるように、小さいころから母語に加えて英語を習わせ、必要ならば進学実績のよい小学校の近くに引っ越し、学習塾にも通わせて、少しでも有利な環境を求めます。

幼稚園(インターナショナルスクールなども含む)に通わせて、小学6年の卒業試験であるPSLEで高得点を挙げるために、非常に厳しい教育を受けさせているのです!

厳しい受験戦争のひずみ

筆者がシンガポールに滞在していたころ、この初等学校卒業試験PSLEが行われた後に、数人の自殺者が出ました。いずれもまだ若く、未来のあるはずの12歳の子どもたちで、「いい成績が取れなかった」と将来を悲観して、自らの命を絶ったようです。

筆者が知ったのは中国語などの地元のメディアで、報道されたとはいっても、多くのひとが目にする英語のニュースサイトや英語新聞ではこうしたニュースが知らされませんでした。

シンガポールの子どもたちは、ものごころついたころから、「よい大学」に入るために多大なプレッシャーを受けて育ちます。英才教育のために毎日のように塾に通うだけでなく、望ましい成績が挙げられなければ「どうしてこんな成績しか取れないんだ」と親に叱責されたり、なかには暴力を振るわれたりする子どももいると聞きました。

学力偏重を見直す教育改革

シンガポール人気質を評することばのひとつに「キアス」(kiasu)があります。シンガポールに出身者が多い、中国の福建地方で使われる福建語に起源があるといわれていますが、「負けずぎらい」「他人より優位にありたい」心もちを説明するのにぴったりの単語です。

競争心に裏打ちされた子どもの学力向上への期待は、過酷な競争を生む要因であり、過熱気味の受験戦争は、飛ぶ鳥を落とす勢いで経済成長を遂げてきたシンガポールでも大きな問題になっています。

教育制度の上では、学業成績だけを子どもの評価基準にするのではなく、その子の素質や関心に応じた進路選択を可能にする方針が打ち出され、いくつかの改革が行われています。

・「ストリーミングシステム」の見直し

これまで小中学校で行われてきた、レベル別クラス編成システム「ストリーミングシステム」が緩和されています。

2008年からは、ストリーミングシステムに代わって、科目ごとにレベル別クラスの授業を受けられる(Subject-based banding:SBB)システムに移行しています。これにより、得意な科目では上級レベル、苦手な科目では初級レベルのクラスの授業を受けることが可能になりました。

中等教育レベルでは2020年からストリーミングシステムが廃止され、子ども本人や保護者の希望など、進路は学業成績以外の要素も加味して柔軟に決められるようになりつつあります。

「成績次第でその後の人生が決まる」といわれてきた初等学校卒業試験PSLEの大幅な見直しも始まっています。

シンガポールの英語教育

シンガポールの英語教育

シンガポールの公教育は、正式には小学校1年から始まります。シンガポールの小学校の授業はすべて英語で行われ、科目として英語も学習します。

しかし、シンガポールは、厳しい競争を経て学歴を獲得する社会です。多民族社会で生き抜いていくのに英語の能力は必須であるため、家庭内でも英語を話せるようにしたり、英語の保育園や幼稚園に通わせて、1歳半くらいから早期教育を始める家庭もあります。

現在、一定の年齢以上のシンガポール人は、ほとんどが基本的な英語を理解し、話すことができます。その理由として挙げられるのは、このような背景です。

  • イギリス植民地時代からの英語教育
    シンガポールは、かつて英領マラヤとよばれたイギリスの植民地。
    独立前は、イギリス式の教育が行われていた。
  • 「共通語」としての英語の必要性
    多民族が暮らす社会で、母語以外に共通の公用語が必要。
    多くの国民の日常語は英語以外の中国語、マレー語、タミール語など。
  • 国家の生存戦略としてのバイリンガル政策
    イギリスからの独立後も英語能力を重視し、母語のほかに英語を必須とする教育政策が採られた。
    シンガポールの独立期の指導者たちは、イギリスへの留学を経験している。
  • 進学・就職における英語の優位
    複数の言語が使われる多民族社会ではあるが、英語は優位に置かれている。
    公用文は英語で書かれており、進学や就職などにおいても英語ができることが有利な条件。
  • 国家予算において教育に重点
    人材は資源という観点で、教育に重点が置かれている。
    国内総生産の2.4%(2022年)に相当する予算が充てられている。
  • IT教育の取り入れ
    早くから先進的なIT教育を取り入れた。
    丸暗記ではなく、科学的・論理的は表現力や説得力を身につけるのが目的。

現在のシンガポールでは、英語は話せて当たり前になっており、二言語政策以前に教育を受けたお年寄りや外国人市民などを除くほとんどのひとは、自分の母語のほかに公用語の英語を使い分けて仕事や生活をしています。

言語能力は、より高収入の仕事に就く上で有利なので、学ぶにも強い動機づけがあり、義務教育段階から第二、第三言語の習得に熱心に取り組む土壌があります。

おもしろい!シングリッシュ

シンガポールで話されている英語には、独特の発音やイントネーションがあることから、「シンガポール」(Singapore)と「英語(イングリッシュ)」(English)を合わせて、「シングリッシュ」(Singlish)とよばれています。

英語はシンガポールの公用語のひとつですが、先述の通り、シンガポールの人びとの母語は中国南部の地域語だったり、マレー語だったり、インド南部のタミール語だったり、とさまざまです。各人の母語の影響を受けたシンガポール英語独特の使い方があるので、慣れないと最初は聞き取りにくいかも知れません。しかし、まねをしてシングリッシュを話すと、シンガポールのひとたちには大いに歓迎されます。

語尾にくっつくことば

シングリッシュの独特な用法に、話している文章の末尾に、何かがくっつくことがあります。

たとえば飲食店で飲み物などを注文すると、店員はこのように応えるかもしれません。

Aさん
OK lah.

訳)OKですよ。

注文の内容を確かめたいときには、こういう言い方できかれることもあります。

Bさん
Ice cream lah?

訳)アイスクリームですね?

もし間違った品が届いて、それを指摘した場合、このような表現で謝る店員もいそうです。

Aさん
Sorry ya.
訳)ごめんなさいね。

地元の客なら大らかに、たぶんこう応じることでしょう。

Bさん
Never mind lah.
訳)気にしないでね、だいじょうぶだよ。

lah(ラー)、ya(ヤ)は、中国語やマレー語で使われるようです。特に意味はありませんが、日本語の間投助詞の「ね」「よ」と同じく、調子をやわらげたり、親しみをこめたりする役割があります。

動詞なしの「できる」「できない」

英語から派生したシングリッシュとしては、助動詞canを、動詞なしで使う用法があります。

たとえば、シンガポールのタクシー乗り場では、このようなやりとりを耳にすることがあるかもしれません。

Aさん
Changi Airport, can go ah?

訳)チャンギ空港に行けますか?

Bさん
Can, can.

訳)行けます、行けます。

標準的な英語なら

Aさん
“Can you go to Changi Airport?”

訳)チャンギ空港に行けますか?

Bさん
All right, I can.

訳)いいですよ。

というやりとりになりそうですが、シンガポールでは前述の会話でもりっぱに通じます。

タクシーに乗ったときに、うまく英語で行き先が説明できなかったとしても、紙の地図やGoogleマップを指して

Aさん
Can?

訳)行けますか?

と尋ねると

Bさん
Ah, can, can.

訳)あー、行けます、行けます。

という返事をされて、canの一語だけで無事に目的地に着くこともあります(笑)!!

一方、「できない」場合も「助動詞can+動詞」の組み合わせには必ずしもなりません。

Aさん
Can you give me a small discount?

訳)少しだけまけてもらえない?

Bさん
Cannot!

訳)だめ。

このように、シンガポールにはシングリッシュ独特の表現もあるので、シンガポールに旅行に行くなら知っていると楽しいかもしれません。

番外編:時は金なり?

シンガポール人の多くは、とにかく休憩する時間分の給料を差し引かれるのを惜しむからなのか、お昼休憩を取らないひとも多くいます。

びっくりしたことに、買い物に出かけて会計のために商品をレジに持っていったら、レジの横で店員がごはんを食べているではありませんか!!

「そのひとだけが特別なのだろう」と思っていたら、応対カウンターなどで、人目をはばかることなく、平気で食事をしているひと(店員さんが多かったようでしたが)はいたるところで見かけました。

「時は金なり」(Time is money.)を地で行くように、「食事をしている暇があったらお金を稼ごう!」という風潮があります。シンガポールに多い中国系シンガポーリアンの子どもたちが歌う童謡のなかに、「お金を稼ごう、お金を稼ごう」と連呼するフレーズがあって、とても驚いたのを忘れません。

まとめ

独立以来のこの六十年あまりで、シンガポールは経済的に大きな発展を遂げました。しかし、暮らしてみると学歴獲得でも就職でも何かと競争が激しく、かなり強い意志と経済力が必要な国でもあります。

成長中のシンガポールが今後どう変化していくのか、目が離せませんね!