「ピーターパン」のお話はもちろんみなさんご存じだと思いますが、さて作者は誰?・・・と聞かれて答えられる人はそう多くはないのではないでしょうか。

「ピーターパン」の物語はのちに、成長できない男性を言い表す「ピーターパン症候群」という言葉を作り出すなど、一世を風靡しましたが、その作者の人生も一風変わったものであったようです。

さあ、あの名作「ピーターパン」がどのようにして生まれたのでしょうか?

1.ジェームス・マシュー・バリーの生い立ちと略歴

1.ジェームス・マシュー・バリーの生い立ちと略歴

ジェームス・マシュー・バリー(以下バリー)は、1860年イギリスのキリミュアで誕生しました。

母親のマーガレット・オグルヴィは幼いころに母親を亡くし、ずっと家事をして育ってきた苦労人でしたが、教育熱心で子どもたちにたくさんの教材を与えていたといいます。

バリーは10人兄弟の9番目で、小さいころから読み書きが好きで、特に文学に興味を示していました。

大家族で生活は大変でしたが、仲良く生活をしていた日々の中、1867年バリーが6歳のころ、次男のディヴィッドが14歳でアイススケート場で転倒し亡くなってしまいます。

息子の死に打ちのめされ、悲しみに暮れる母親に、バリーは亡き兄の真似をして慰めていたといいます。

エディンバラ大学卒業後、新聞社に勤めながら作品を書き、その後ロンドンで作家デビューを果たしました。

1894年に女優のメアリー・アンセルと結婚。その後、ルウェイン・デイヴィス家の子どもたちをモデルにした戯曲「ピーター・パン 大人になりたがらない少年」を1904年に発表し、大成功を収めます。

1909年に離婚したのち、死亡したデイヴィス夫妻の子どもたちを養子にします。

その後さまざまなピーター・パン作品を出版し、1919年セント・アンドルーズ大学、1930年にエディンバラ大学の学長に就任。

1937年に死去しました。

2.ジェームス・マシュー・バリーの代表作品

  • Better Dead-1887
  • マーガレット・オグルヴィ(母親の名前)ー1896
  • ブラックレイク島少年漂流記-1901
  • あっぱれクライトン(戯曲)-1902
  • 小さな白い鳥ー1902
  • 可愛いメアリーー1903
  • ピーター・パンあるいは大人になりたがらない少年ー1904
  • ケンジトンピーターパンー1906
  • ピーター・パンとウェンディー1911
  • メアリー・ローズー1920

などその他多くの作品を残しています。

3.ジェームス・マシュー・バリーとルウェイン・デイヴィス家

3.ジェームス・マシュー・バリーとルウェイン・デイヴィス家

ピーターパンを語るときに、切っても切り離せないのがこの「ルウェイン・デイヴィス家」の存在です。

妻との間に子どもがいなかったバリーは、ケンジントン公園(現在ピーターパン像がある、ロンドンのハイド・パーク西方にある国立公園)で知りあったルウェイン・デイヴィス家の5人兄弟と親しくなります。

デイヴィス家の子どもたちは一番上から、

  • ジョージ (1893-1915)
  • ジョン(愛称ジャック)(1894-1959)
  • ピーター(1897-1960)
  • マイケル(1900-1921)
  • ニコラス(愛称ニコ)(1903-1980)

の5人兄弟です。

1897年にバリーがデイヴィス家の子どもたちを、ケンジントン公園で見かけるようになり、子ども好きだったバリーは、しばしば物語を話して聞かせたりして交流をしていました。

子どもたちもバリーのことを「ジムおじさん」と呼ぶようになり、バリーを慕うようになりました。

父親のアーサー・ルウェイン・デイヴィスと、母親のシルヴィアものちバリーの存在を知り、家に招待するようになります。

家族ぐるみで仲良くなったバリーと、特に母親のシルヴィアとは、不倫関係にあったのではないかとも伝えられているようです。

バリーはデイヴィス家の子どもたちをモデルにして「ピーター・パン」を完成させます。

「ピーター・パン」の子どもたちにジョン、マイケルという子どもが登場しますが、名前をそのまま使ったのですね!

バリーの作品「小さな白い鳥」に初登場したピーター・パン、1904年の戯曲「ピーター・パンあるいは大人になりたがらない少年」、1911年の「ピーター・パンとウェンディ」の登場人物などのほとんどを、このデイヴィス家の子どもたちから発想を得ています。

1907年にデイヴィス家の主アーサー、そして1910年にはシルヴィアが病死し、闘病中から経時的に裕福だったバリーが一家を援助していたこともあり、バリーは両親の死後のデイヴィス家の子どもたちを養子にしました。

少年たちが自立するまで、経済的支援をしていましたが、第一次大戦が始まり、1915年に軍隊に入隊したジョージは戦死してしまい、また1921年マイケルは21歳の誕生日直前、当時恋人であったと言われた親友(男性)と川で溺死をしてしまいます。(同時同性愛を疑われた二人だったので、心中ではなかったかという説もあります)

この二人の死に、バリーは大きな衝撃を受けます。

1937年にバリーは亡くなりますが、残された遺産の問題なども泥沼化し、それに加えて三男のピーターは、「ピーター・パン」の名前は自分にちなんで付けられ、「本物のピーター・パン」と言われ続けていたことに苦悩しつづけ、「ピーター・パン」を「最悪の代表作だ」と言っていたといいます。

そして精神を病んでいたピーターは、1960年にロンドンの地下鉄で電車に飛び降り、自殺してしまいました。

その時の新聞の見出しも「ピーター・パン」となっていたといいます。

4.ジェームス・マシュー・バリーの結婚生活

バリーは1894年に女優であったメアリー・アンセルと結婚しています。

メアリーは結婚後女優を引退し、二人の間には子どもはありませんでした。

裕福な家庭で別荘なども持ち、優雅に暮らしていたメアリーですが、1908年ごろからバリーの仕事の関係者だった、20歳もメアリーより若いギルバート・キャナンと不倫関係になります。

そして修復不可能になってしまった二人は、1910年に離婚が成立します。

バリーはこの離婚で深く傷ついたものの、その後メアリーがキャナンと再婚したのちも、バリーとメアリーの結婚記念日には豪華な食事をし、お金を渡して経済的支援をしていたということです。

5.ジェームス・マシュー・バリーの名言

波乱万丈の人生を送ったバリーは、たくさんの名言も残しています。

夢を実現させたいと思うなら、頑張ればいいだけです。それ以外のすべてを犠牲にできるのなら、どんなことでも成し遂げられます。

愛する人は、不幸になることはありません。

飛ぶことができないと思った瞬間に、その人はもう飛べなくなる。

幸せの秘訣は自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。

生きるとは、壮大な冒険だ。

どれもみな、手帳に書いておきたいような言葉ですね。

自分の人生も、物語のように思って生きてきたのでしょうか・・?

6.ジィエームス・マシュー・バリーの受賞歴

  • ジョージ5世から准男爵の爵位をうける(1913)
  • メリット勲章授与(1922)
    イギリスの騎士団勲章で、軍事での功績または科学、芸術、文学等への貢献があった人物に贈られるものです。

7.ジェームス・マシュー・バリー作品をもとに作られた映画や舞台

  • テレビ「The Lost Boys」-1978
  • 演劇 「The Man Who Was Peter Pan」-1998
  • 映画「ネバーランド」ー2004
    ジョニー・デップがバリー役、ケイト・ウィンスレットがデイヴィス家の妻「シルヴィア」を演じています。
  • 演劇 「The Boy James」-2012
  • ミュージカル「ファインディング・ネバーランド」-2012

どれもとても有名で、大ヒットしていますね!

8. ピーターパン・シンドロームとは?

8. ピーターパン・シンドロームとは?

1984年にベストセラーになった本のタイトルが、今では俗語として使われるようになった言葉です。

年齢的には大人なのに、精神的には子どものままで、社会人としてやっていく能力に欠ける男性を表しています。

「ピーター・パン」の作品の中でピーターが、「僕は大人になんかなりたくない。いつまでも子どもでいて楽しく遊んでいたいんだ」と言っていることから派生した一種の心理傾向ですが、女性進出が進んでいる世の中で、現代の「ピーター・パン」がどんどん増えていないことを望みます。

9.ウォルト・ディズニーとピーター・パン

「ピーター・パン」はディズニーが作ったお話?と思っている人も少なくないのではないでしょうか?

クラッシック・ディズニーの中でも長く愛されている作品ですが、原作はジェームス・マシュー・バリーの「ピーターパンとウェンディ」で、1953年に公開された長編アニメーションです。

子どものころからピーター・パンのお話はもちろん、芝居一座の公演で見た、「空を飛ぶピーター・パン」に衝撃を受け、学校の学芸会でピーター・パンを演じたことがあるというウォルト・ディズニーは、この映画を作るにあたって、何度も何度もバリーに交渉をしたという話が残っています。

そこまでウォルト・ディズニーがピーター・パンの大ファンだったからこそ、あの素晴らしいアニメーションが出来たのですね!

まとめ

ピーター・パンは筆者もとても好きな作品で、やはりディズニーが作ったものと思っていました。

そしてピーター・パンだけでなく、周りのキャラクターもモデルがあって、そしてその子どもたちの人生があまり幸せだったものではなかったのも、なんだか皮肉な感じがします。

夢の国、ネバーランドは、やはり現実ではなかったということですね。

ジョニー・デップがジェームス・マシュー・バリーを演じた映画「ネバーランド」をもう一度見てみたいと思います!