「芸術」と一言で言いますが、音楽、絵画、文学、演劇などとても幅広い分野ですよね。

音楽をする人が絵を描いたり、本を書いたり、また逆もあったりと、芸術的感覚というのは五感に影響するのかもしれません。

そんな豊かな芸術性を持ち合わせた作家、ミヒャエル・エンデをご紹介いたします!

ミヒャエル・エンデの略歴

1.ミヒャエル・エンデの略歴

ミヒャエル・エンデ(以下エンデ)は1929年、ドイツ南部のガルミッシュで生まれました。

彼の父、エドガー・カール・アルフォンス・エンデは画家で、素描やエッチングなどの技法を使った独特の画風を持っていましたが、あまり高い評価を得ることができず、一家は貧しい暮らしを強いられました。

苦しい生活を支えていたのが、明るい性格だった母親のルイーゼでした。

彼女は内気で神経質だった父親とは真逆で、マッサージ師の資格を取って家計を支え、明るく振舞い、いつも家族の中心であったそうです。

エンデ少年は一人っ子で、父親の芸術性と、母親のポジティブさを受け継ぎ成長していきました.

教育熱心だった父親は、エンデにドイツの偉大な思想家ルドルフ・シュタイナーの影響を強く残したそうです。

その後、一家は第二次世界大戦に巻き込まれ、エンデ自身も反ナチスの抵抗組織に入るという、激動の連続の時期を迎えます。

戦争が終わった後、演劇学校で演劇を学び、俳優活動の後、執筆を始めました。

女優のインゲボルク・ホフマンと結婚してイタリアに移住し、そこでヒット作品「モモ」を発表。

1979年には映画「ネバーエンディングストーリー」の原作になった、「はてしない物語」を発表するなどの活躍を見せます。

1985年に妻インゲボルクが亡くなり、エンデはドイツに帰ることになりました。

1989年、「エンデ父子展」で来日した際、「はてしない物語」の翻訳を担当した日本人翻訳者、佐藤真理子と再婚をします。

そして1995年胃がんのため、65歳の生涯を閉じました。

激しい戦争

2.激しい戦争

1945年、激しい第二世界戦争は、14-15歳のエンデの友人たちが、たった一日の訓練の後に前線に送られ、戦死するなどの壮絶さを彼に見せつけました。

エンデにも召集令状が送ってきましたが、彼はそれを破り捨て、ミュンヘンに疎開していた母のもとへ、シュヴァルツヴァルトの森の中を、真夜中に80キロ歩いて逃亡します。

その後「バイエルン自由行動」というレジスタンス組織(権力者や占領軍にたいする抵抗運動をする集団)の反ナチス運動を手伝い、活動を伝えるために自転車でミュンヘンの街を駆け回りました。

作品一覧

  • 「ジム・ボタンの機関車大旅行」ー1960
  • 「ジム・ボタンと13人の海賊」ー1962
  • 「モモ」ー1962
  • 「はてしない物語」ー1979
  • 「満月の夜の伝説」ー1993

絵本

  • 「頑張り屋のかめトランキラ」ー1972
  • 「ゆめくい小人」ー1978
  • 「まほうのスープ」ー1990
  • 「サンタ・クルスへの長い旅」ー1992

そのほか戯曲や詩集など、多くの作品を手がけました。

「モモ」の世界

「時間」をテーマにしたこの「モモ」は、子どもだけでなく大人にも愛される作品になっています。 灰色の男たちに時間を奪われた人々は、少なくなった時間を効率的に生きようとしますが、どんどんと余裕をなくしていきます。

世界的な不朽の名作となった、ミヒャエル・エンデの代表作のひとつ、「モモ」は映画や舞台にもなりました。

お話のあらすじ

・・・廃墟に住み着いた貧しい少女「モモ」は、人々と話をすることで、不思議な癒しの力を持つ少女として知られていきます。

しかし、ある日街に現れた「灰色の男たち」が、人々に「時間を貯蓄銀行に貯めると命が倍になる」という話を持ち掛け、次々と人々の時間が奪われていきます。

そしてモモは、灰色の男たちに盗まれた時間を取り戻そうと奮闘します。

「時間」をテーマにしたこの「モモ」は、子どもだけでなく大人にも愛される作品になっています。

灰色の男たちに時間を奪われた人々は、少なくなった時間を効率的に生きようとしますが、どんどんと余裕をなくしていきます。

これは私たちの現実にも当てはまることで、ゆっくりと家族や友人と話したり、丁寧に仕事をしたり、心を込めて物を作る、といった心の余裕をなくしては、人生は味気ないものになってしまいますよね。

「モモ」の世界のファンタジーを楽しみながら、忙しく生きる私たちに時間の大切さを教えてくれるのが、この作品なのです!

「はてしない物語」と「ネバーエンディングストーリー」

5.「はてしない物語」と「ネバーエンディングストーリー」

「ネバーエンディングストーリー」は1985年に公開され、、美しい映像技術が話題になり、主題歌も大ヒットしました。

その原作がミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だったのですが、原作での物語の後半部分は、主人公バスチアンがアトレーユという異次元の友に救われ、様々な逆境を乗り越えて人間的に成長する、ということをエンデは描いていたのですが、映画版では、主人公がドラゴンに乗って現実世界を飛び回り、ドラゴンの力を借りていじめっ子をやっつけ、「どうだ!ざまーみろ!」と笑顔で終わる、というハッピーエンドに作り替えられていました。

これを見たエンデは憤慨して、ラストシーンのカットをすることを求めて裁判を起こしましたが、結果敗訴してしまい、ミヒャエル・エンデの名前を映画のオープニングから外す、ということで和解をしたということです。

あの大ヒット映画の裏に、こんなゴタゴタがあったのですね!

ミヒャエル・エンデの受賞歴

  • ドイツ児童文学賞ー1961
  • ドイツ青少年文学賞ー1974
  • ヤヌシュ・コルチャック賞ー1981

日本とのかかわり

日本人の翻訳家、佐藤真理子と結婚するかなり前から、ミヒャエル・エンデが日本と縁があったエピソードがあります。

彼が初めて日本とかかわりを持ったのは、彼が18歳の時に、広島を舞台にした戯曲「時は迫る」を書いたことに始まります。

その後30歳の時も、ラフカディオ・ハーンの「怪談 牡丹灯籠」をヒントにしたラジオドラマも書いています。

1977年に初めて来日したエンデは、歌舞伎や能を鑑賞し、「禅」の世界観に魅せられたといいます。

そして、「はてしない物語」の翻訳をした佐藤真理子と結婚し、活動拠点を日本に移したことなども、日本と深い縁があったのでしょうね!

黒姫童話館

ミヒャエル・エンデの2000点を超える作品資料が本人寄贈により収蔵されていて、世界で唯一常設展示しているのが、長野県信濃町にある「黒姫童話館」です。

館内には「ミヒャエル・エンデの世界」というコーナーがあり、彼の作品の原稿や挿絵などのほか、いわさきちひろや、童話作家の松谷みよ子の作品が展示されています。

森と草原に囲まれた豊かな自然の中で、エンデを中心とした童話の世界に浸れる施設になっています。

「エンデ父子展」

ミヒャエル・エンデの父親エドガー・エンデは、最初は売れない画家でしたが、彼の独特な世界は少しずつ話題になっていきます。

しかしながら、1936年ナチスの帝国文化会議にかけられ、「退廃芸術家」の烙印を押されてしまいました。

一時期絵を描くことができなくなったエドガーでしたが、戦後ミュンヘンに戻ったのち、また芸術活動の再興に尽力します。

しかしながら1953年、52歳の時家族を捨てて自分の教え子と暮らすようになり、その後家族のもとに変えることなく、1965年64歳の時に心臓発作で帰らぬ人となりました。

ミヒャエル・エンデは、自分勝手な父親と長い間確執がありましたが、「暗闇の画家」と言われた父親のエドガーの絵は「ロマンティック・シュールレアリスム」と言われ非常に評価されるようになり、1957年に二人は和解をし、その後文学や芸術について夜通し語り合うようになったそうです。

父エドガーの死後、自分の作品も含めた「「エンデ親子展」は日本の朝日新聞社の招きで開催され、「エドガーからミヒャエルへーファンタジーの継承」と題する絵画・文学展が全国七都市を巡回しました。

黒姫童話館は、父子展のミヒャエル展示室を引き継ぐ許可が与えられ、その後もエンデから定期的に資料が贈られていました。

ミヒャエル・エンデの名言

時間こそが人生そのものなのです。 時間を節約しようとするほど、生活はやせ細ってしまうのです。

希望とは、物事がそうであるから持つものではなく、

物事がそうであるにもかかわらず、持つ精神のことなのです。

つぎの一歩のことだけ、つぎの一息のことだけを考えるんだ。

いつもつぎの事だけをな。

すると楽しくなってくる。 これが大事なんだな。

楽しければ仕事がうまくいく。

人生で一番危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。

まとめ

ミヒャエル・エンデは、自分の小説に父親の挿絵を入れていますが、この絵を見ていると挿絵というより、エンデの作品が父親にインスピレーションを受けて書かれた、そのような気がしてきます。

実際、ミヒャエル・エンデ自身も、「私は父の絵画世界の上に立って、私の文学を築いてきました。」と言っているように、息子は父の絵に、父は息子の詩に、お互いが「創造への衝撃」を与えてきた関係にあったようです。

母親に苦労を掛け、結果愛人を作り家を出てしまった父親でしたが、芸術を通して和解していったのも、二人の間に流れる同じ芸術のDNAが、また結び付けたのに違いないでしょう。

そして彼の軌跡がここ日本にあることもうれしく思い、機会があったら訪ねてみたいですね!