「キュリー夫人」というと、小学生の時に伝記を読んだ記憶があり、世界で初めて女性で有名になった科学者、のイメージがあります。

当時の、女性が学問をすることは無意味だという風潮を覆し、いくつものミラクルを起こした、「史上最も世界に影響を与えた女性」キュリー夫人【Maria Salomea Skłodowska-Curie:マリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリー】の人生を見てみましょう!

1.キュリー夫人の略歴

  • 1867年11月7日(0歳)
    帝政ロシアの支配下にあったポーランドの首都ワルシャワに、5人兄弟の末っ子として生まれる。
    父ブワディスカ・スクウォドフスカは下級貴族階級出身の科学者、母ブロニスワバ・ボグスカも女学校の校長を務める教育者だった。
  • 1873年(6歳)
    父が密かに行っていた講義がロシア政府にばれ、母も体調を崩し、一家は職と住居を失い困窮する。
  • 1878年(11歳)
    1876年にチフスで姉ゾフィアが亡くなり、母親もこの年に結核で亡くなる。
  • 1883年(16歳)
    ギムナジウムを優秀な成績で卒業。
    しかし当時は女性が大学に通うことはできず、1年田舎で休息した後に家庭教師などのアルバイトをしながら、ワルシャワ移動大学で学ぶ。
  • 1890年(23歳)
    オールドタウンにある濃厚博物館の実験室で科学研究の技能習得に勤める。
  • 1891年(24歳)
    アルバイトの資金を貯め、姉夫婦の住むパリに移住。
    パリのソルボンヌ大学に入学し、物理、化学、数学を学ぶ。
  • 1893年(26歳)
    勉学に励んだ末、物理の学士資格を得る。
  • 1894年(27歳)
    フランス人科学者で夫となるピエール・キュリーと出会う。数学の学士資格を得る。
  • 1895年(28歳)
    ピエール・キュリーと結婚。
  • 1897年(30歳)
    長女イレーヌを出産。
  • 1898年(31歳)
    ピエールとの共同研究で放射性元素、ポロニウムとラジウムを発見したことを発表。
  • 1900年(33歳)
    ピエールがソルボンヌ医学部の教授に就任。
    マリも女子高等師範学校の嘱託教師となる。
  • 1903年(36歳)
    第二子を流産してしまう。
    ポロニウムとラジウムの発見に関する功績が讃えられ、ピエールと共にノーベル物理学賞を受賞。
  • 1904年(37歳)
    次女エーヴを出産。
  • 1906年(39歳)
    夫ピエールが荷馬車に轢かれ46歳で死去。
    深い悲しみを乗り越え、ピエールの後任としてパリ(ソルボンヌ)大学の教授となる。
  • 1911年(44歳)
    放射性物質に関する研究の末にノーベル化学賞を受賞。
    うつ病と腎炎を患い、翌年は腎臓の手術を受ける。
  • 1921年(54歳)
    ワシントンへ招待され、助手になっていた長女イレーヌと共に渡米。
  • 1922年(55歳)
    ユネスコの前身にあたる国際知的協力委員会のメンバーとなる。
  • 1934年(66歳)
    長年の放射性物質の研究による被曝が原因で再生不良性貧血になり、フランスで死亡。

2.キュリー夫人の功績

2.キュリー夫人の功績
  • 1903年 ノーベル物理学賞受賞【Nobel prize for physics】
    放射能の実験からα線、β線、γ線を発見し、いくつかの元素から発される放射を「放射線」と名付け、また、そのような現象を起こす元素を「放射元素」と名付けました。
    この放射能の発見の功績を認められて受賞しました。
  • 1911年 ノーベル化学賞受賞【Nobel prize for chemistry】
    ラジウムとポロニウムの発見と、ラジウムの性質及び化学物の研究成果が評価され、史上初2度目のノーベル賞を受賞しました。

3.キュリー夫人の幼少期エピソード

3.キュリー夫人の幼少期エピソード
  • 幼いころから聡明で、姉よりも早く文字を覚え、4歳で一人ですらすらと本を読むことができました。
  • 昔話が好きで、よく空想にふけていたようです。好きになると夢中になるタイプでした。
  • 2歳上の姉より早く本を読むので、姉が悔しがって機嫌を損ねるのを見て、「自分のせいだ」と泣き出すような優しい子どもでもありました。
  • 結核がうつるから、と病気だった母親から抱擁やキスをしてもらえなかったことを寂しく思っていました。
  • 成績が良かったため、飛び級をし、それでも学年首位の成績でした。
  • 結核で母親を亡くした時、マリは、自分の母親の命と自分の命を引き換えにしてくれと祈ったのにもかかわらず、母親が死んでしまって以来、無信仰になってしまいました。
  • 母親が亡くなった後に、わずか10歳でう深刻なうつ病を患っています。 10歳の時に姉が亡くなり、11歳で父親が亡くなり、12歳で母親が亡くなるという過酷な運命に翻弄されたからでしょうが、気の毒な話ですよね。

放射線に侵されてしまった命

当時から放射線による健康被害は疑われていたものの、キュリー夫人はそれを認めず、研究に没頭するあまり放射性物質を素手で扱うこともあったそうです。

亡くなる2年前くらいから右手首の骨折、頭痛、肩こり、胆石や腎臓病、結核までを患いました。

目は白内障でほとんど見えなくなっていたそうです。

キュリー夫人の死後、彼女の自宅はパリ原子物理学研究機関とキュリー団体が1978年まで使用していましたが、家の中に残った放射性物質の危険性が明らかになると、家は政府の管理下に置かれるようになりました。

除染作業がやっと行われたのは1991年で、そこで当時のノートや研究資料が運び出されることになりました。

現在、キュリー夫人のノートはフランス国立図書館で保管されていますが、そのノートを始め衣服や家具などからはいまだに放射能を放っていて、特別な箱に保管され、防護服を着て取り扱わなければいけないそうです。

放射能の研究が彼女の寿命を縮めたのは間違いないでしょうが、命に代えても達成したかった研究への情熱を持っていたのでしょう。

4.キュリー夫人の名言

Be less curious about people and more curious about ideas.

人に好奇心を持つより、アイデアに好奇心を持ちなさい。

We must have perseverance and above all confidence in ourselves.
We must believe that we are gifted for something and that this thing must be attained.

私たちは、忍耐と、そして何よりも自分への自信を持たねばならない。
私たちは、何かのために才能を授けられているのだから、それを達成せねばならない、と信じるべきだ。

Nothing in life is to be feared, it is only to be understood.
Now is the time to understand more, so that we may fear less.

人生に恐れるものはない、理解するだけ。
理解に努めなさい。そうすれば恐れがなくなるかもしれない。

I am one of those who think, like Nobel, that humanity will draw more good than evil from new discoveries.

私はノーベルのように、人類は新しい発見から悪よりも善を描き出すと考えている一人です。

5.キュリー夫人の子ども達

5.キュリー夫人の子ども達

キュリー夫人は二人の娘を生んでいますが、娘たちの人生はどうだったのでしょうか?

イレーヌ・ジョリオ=キュリー(長女)

長女のイレーヌは、母親と同じ化学の道に進みました。

母親の講義を受けたり、研究に励んでいるときに、母の助手であったフレデリック・ジョリオに出会い結婚します。

イレーヌとフレデリックも、かつての父ピエールとマリのように、夫婦で研究をしました。

その努力の結果、世界初の人工放射性同位元素・リン30の合成に成功して、この夫婦もノーベル化学賞を受賞!

しかしながら、放射線の影響で夫婦で白血病を患い、亡くなってしまいます。

エーヴ・キュリー(次女)

次女のエーヴは一族で唯一の文科系に進んだ女性で、幼いころからピアノを得意としてきました。

姉が研究に忙しいため、晩年のマリの世話をしたり、生活面のサポートをして、ずっとマリに付き添ってきました。

マリが亡くなったあと、1937年に伝記「キュリー夫人」を執筆し、この本は各国語に翻訳をされました。

またこの伝記はのちに映画化もされ、多くの人たちに絶賛されました。

研究者の家族がみな放射能の影響で早くに亡くなった中、エーヴは102歳まで生きたそうです。

まとめ

ノーベル賞を人生で2回も取った女性、キュリー夫人。

その人生は決して華やかなものではなく、両親や姉を亡くし、最愛の夫まで亡くし手強い待った悲しみは計り知れません。

研究の放射線被ばくにより、手はただれ、変形し、何度も病気に侵されても研究をやめなかったその熱意が現在の科学や医療を支えていると思うと、心から彼女に手を合わせたい気持ちになります。

Have no fear of perfection, you’ll never reach it.

完璧を恐れてはいけない。完璧などには到達できないのだから。

マリ・キュリー