「シンデレラ」や「白雪姫」など、知らない人はほぼいないであろう有名な名作の数々を世に送り出したのが「グリム兄弟」です。

グリム兄弟の「グリム童話」のお話には、彼らの数奇な運命が反映されているとかいないとか?

そんな歴史ある作品の数々と、彼らの人生を深く見てみましょう!

グリム兄弟の生い立ちと遍歴

グリム兄弟は、19世紀にドイツで活躍した言語学者・民話収集家・文学者・文献学者の兄弟のことです。

兄がグリム家の長男で、ヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール・グリム(1785ー1863)、そして次男がヴィルヘルム・カール・グリム (1786-1859)の兄弟で、活躍をしました。

他にも兄弟がいますが、このヤーコブとヴィルヘルムの二人のことが「グリム兄弟」と呼ばれています。

父親が法律家であったグリム兄弟は、子どものころは裕福で、何不自由なく暮らしていました。

しかし、1796年に父親が肺炎で亡くなってしまい、一家は一転して生活が困窮してしまいます。

ですが、叔母のヘンリエッテ・ツィマーの援助により、ヤーコブとヴィルヘルムはギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)に通うことが出来て、その後大学の法学部に入学します。そこで法律やメルヒェン(伝説や寓話のこと:メルヘンの語源)、古代ゲルマン文学や言語学に興味を持ち、研究をするようになりました。

特に兄のヤーコプの、言語学者としての功績は世間に認められて、ドイツ語文法の原則を含む「ドイツ語文法」を発表し、それはのちに「グリムの法則」と呼ばれるようになりました。

またヤーコプはパリで法制史研究の助手として働いたり、ナポレオン戦争後のウィーン会議でも公的秘書として出席するなど、国政に関連した仕事をしているのも、童話を作った人とは思えない人生ですね。

その後兄は、1835年に「ドイツ神話学」を刊行し、ドイツの民話や神話などを研究したことが大きく神話学や民俗学に影響したと言われています。

かたや、弟のほうは幼いころから体が弱かったため、兄のように精力的に活動はしませんでしたが、中世の詩歌やドイツ・古代デンマークの英雄の研究や物語・詩集の出版の仕事など、地道な研究を続け、1814年にはカッセル大公の図書館書記になりました。

こうして、大学で教鞭をとるようになった二人でしたが、1837年に勃発した「ゲッティンゲン七教授事件」(国王に提出した抗議文により、ほかの5人の教授たちと同時に追放・免職された事件)により失脚をします。

1840年に二人はベルリンで研究や仕事を始めるようになり、「ドイツ語辞典」の編纂(いろいろな材料や資料を集め整理して書物を作ること)に生涯を捧げました。

グリム童話とは?

グリム童話とは?

一言で表すと、ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が編纂した、ドイツの昔話集(メルヒェン集)が「グリム童話」と呼ばれるようになりました。

もともと、彼らが作った童話ではなく、「メルヒェン」と呼ばれる、民話や昔話に興味を持ったグリム兄弟が聞き取りなどを始めて、口伝えで集めた童話集です。

1812年に初版第一刊の「子どもと家庭のメルヒェン集」、そして1815年に第二巻が刊行されました。

グリム童話の主な作品

  • オオカミと七ひきのこやぎ
  • ラプンツェル
  • ヘンゼルとグレーテル
  • シンデレラ(灰かぶり姫)
  • 赤ずきん
  • ブレーメンの音楽隊
  • 白雪姫
  • 金のガチョウ
  • 幸せハンス
  • おいしいお粥
  • 星の銀貨
  • あめふらし
  • カエルの王様
  • 眠れる森の美女
  • 猫とねずみとおともだち
  • 勇ましいちびの仕立て屋
  • 貧乏人と金持ち
  • 長靴をはいた猫
  • 青ひげ
  • うさぎとはりねずみ

など、削除されたものを含め200以上の物語があります。

グリム童話の特徴

グリム童話集に収録されている物語は、ほとんどが短めの、簡潔に終わるストーリーのものが多いのが特徴だと言われています。

最初の物は、残酷な恐ろしい描写の物や、性描写があるものが存在していたため、子どもには向かないとされた批判を多く受け、少しづつ改訂され、最初に語り継がれてきたものよりもずっと親しみやすく、柔らかな文章へと変化をしていったようです。

交友関係

実は、グリム兄弟は世界を代表する作家たちと交友関係があったといいます。

グリム兄弟のほうが20歳近く年齢が上なのですが、あのデンマークの大作家アンデルセンです。

1844年に、アンデルセンが兄のヤーコプ宅を訪問しています。

しかし、当時ヤーコプはアンデルセンのことをよく知らず、また小心者であったアンデルセンもそれに気おくれしたのか、その時はあまり深く話もせず、アンデルセンはデンマークに帰ってしまいます。

が、数週間後、今度はヤーコプがデンマークのアンデルセンを訪ねて行ったのです。

弟のヴィルヘルムがアンデルセンの評判を知っていたので、ヤーコプはそれを聞いてもっといろんな話をしたいと、アンデルセンに好意的に接しました。

これをきっかけに、グリム兄弟とアンデルセンは、ドイツとデンマークを行ったり来たりして交流を続ける仲になったということです。

さぞかし、文学的で、ファンタジックな話が繰り広げられたことでしょう。

グリム童話を題材とした作品の数々

グリム童話を題材とした作品の数々

グリム童話をベースにした作品といえば、初期のディズニー映画といえるでしょう。

「眠れる森の美女」「ラプンツェル」「白雪姫」などは今でも根強い人気がありますし、あのミッキーマウスが出ている「ミッキーの巨人退治」もグリム童話をもとにできているのです。

また映画では「イントゥ・ザ・ウッズ」「トリック・ベイビー」「プリンセスと魔法のキス」など多数あり、時代に合わせてアレンジを繰り返し、私たちを楽しませてくれています。

グリム童話のオリジナルは怖い?

多く発表されたグリム童話の中で、削除されたものや、改訂されたオリジナル作品の中には、とても残酷な内容のグリム童話が存在していました。

例えば、よく知られている「ヘンゼルとグレーテル」クッキーやキャンデー、チョコレートでできたお菓子の家が登場するまさしく「ファンタジー」なこの物語は、実は恐ろしい側面を持っています。

  • 継母が食い扶持を減らすため、父親に子どもを森に捨てて来いというが、原作は「実母」であった。
  • 子供を太らせて殺す。
  • 魔女をだまして、かまどの中に突き飛ばし、焼き殺すグレーテル。(なかなかできることではないですね)

子どもに聞かせるのにギリギリの物語?な印象を受けます。

また「シンデレラ」では、王子様が探しているお姫様の靴が入れば、結婚できると知った意地悪な継母が、「その指を切り落としておしまい!お前が妃になったら、もう歩く必要はないのだから」といって初めに長女の足に指を切り落とし、それでも入らなかったので、次は次女のかかとを切り落として試させて、ガラスの靴は血まみれになりました・・・・なんて、読んだら悲鳴を上げそうな内容です。

他にも実際ホラー映画やドラマになった作品がたくさんあり、「グリム童話は怖い」という印象を持っている人たちも、少なくないようです。

グリム兄弟名言

よい子で神様を信じているんですよ。そうすれば神様がいつもお前を守ってくれます。

どうです、世の中とはこうしたものです。

老人とは、静かな哀しみとともに自らを振り返ることを許された人々であり、蒸し暑い昼の後に訪れた気分爽快な涼しい夕べの中で、いわば玄関前のベンチに腰掛けて、過ぎし人生を概観することを許された人々なのである。

王様、あなたは私に最も好きで、大事なものを一つだけ持ち出していいと許されました。

私には王様よりも好きで、大事なものはありませんので、私は王様自信をお連れしてまいりました。

童話の中での言葉ですが、ドラマや映画で聞いたことのあるようなセリフですね。

それだけ、世の中に浸透しているグリム童話であることがわかります。

グリム童話と日本昔話

グリム童話と日本昔話

さて、民話や昔話といえば、日本にもたくさんありますよね。

日本昔話は、言い伝われてきた物語はグリム童話のように、民話・神話・伝説などに加えて落語の古典まで入っているものもあります。

違いといえば、西洋のグリム童話は大体、王子様とお姫様が結ばれる、いわゆる「ハッピーエンド」が多いのに対して、日本では「鶴の恩返し」や「雪女」、「浦島太郎」など、最後はつらい別れが待っていた、という悲しい結末のものが多いようです。

そうやって比較して読んでみると、それぞれのナショナリティ(国民性)を感じ取ることができるかもしれませんよ!

まとめ

「グリム童話」は「グリム兄弟」が描いた、と思っている人は多いと思います。

私もその一人でした。

人々から語り継がれてきた民話が、現代ではいろいろと変化して映画や物語になるのですから、面白いと思うとともに、テレビやネットがない時代に、子供への戒めだったり、伝えたかったりすることを民話にして口から口に伝承していった歴史を感じます。

筆者も子どものころ、「ヘンゼルとグレーテル」を読んで、お菓子の家で子どもをだまして家に引き込む魔女に恐怖を感じましたが、その魔女をだまして逆にかまどに突き落として殺すグレーテルにも、大きなショックを受けたのを覚えています。

これは、「甘い言葉で誘われて知らない人についていかない」という教訓なのか、「嘘には嘘」で打ち勝ったグレーテルからは、「悪に屈しない」という教えなのか、いまだによくわかりませんが、どれもその奇想天外な展開は非常にファンタジーに溢れて、これこそが「ザ・童話」であり続けている理由なのかもしれない、と思えました。