「発明王エジソン」の名前は、あのアニメ「ちびまるこちゃん」でも「エジソンは偉い人」と歌われるほど、知らない人はいないくらいですよね?

しかし、数えきれないほどの発明【invention】をしたエジソンは、実は大変な「落ちこぼれ」な子どもであったそうです。

そんな「落ちこぼれ」がどうして「世界の発明王」になることができたのでしょうか?

1.エジソンの略歴

エジソンは人一倍 好奇心【curiosity】が強く、常に「なぜ?どうして?」を連発する子どもでした。

1847  2月11日、アメリカ、オハイオ州ミランで、父親サミュエル・オグデン・ジュニアと母ナンシー・エリオットの間に、7人兄弟の末っ子として誕生。

1855  小学校に入学するも、わずか3か月で退学。母の教育を受けて成長する。

1869  ポープ・エジソン商会を開設。電気投票記録機を発明し、製造工場をつくる。

1870  株式相場表示機を発明し、特許【special permission】を取得する。

1871  タイプライター、印字電信機を発明。メアリ・スチルウェルと最初の結婚をし、3人の子供を授かる。

1877  蓄音機を発明し、商品化して名声を得る。

1879  炭素フィラメントの白熱電球を発明するが、特許取得で訴訟が起きる。結果特許を勝ち取る。

1882  最初の発電所をロンドンとニューヨークに建設する。

1884  妻メアリが死去する。

1886  ミーナー・ミラーと再婚し、3人の子供に恵まれる。

1887 ニュージャージー州の ウェスト・オレンジ研究所を設置。

1891  鉄鉱会社の経営を始める。映画の撮影機・映写機キネトスコープを発明する。

1898  セメント事業を始める。

1900  エジソン電池とよばれるアルカリ蓄電池を発明する。

1913  活動写真と蓄音機を組み合わせたキネトホンを発明する。

1931  10月18日、ニュージャージー州ウェストオレンジの自宅で死去する。84歳没。

エジソンの受賞歴

  • 1887 マテウチ・メダル
  • 1889 ジョン・スコット賞
  • 1892 アルバートメダル
  • 1899 エドワード・ロングストレス・メダル
  • 1908 ジョン・フリッツメダル
  • 1915 フランクリン・メダル
  • 1920 アメリカ海軍叙勲賞
  • 1928 議会名誉黄金勲章
  • 1977 グラミー賞 特別功労賞理事会賞
  • 2010 グラミー賞 特別功労賞技術賞

2.幼少期のエピソード

エジソンは人一倍 好奇心【curiosity】が強く、常に「なぜ?どうして?」を連発する子どもでした。

エジソンは人一倍 好奇心【curiosity】が強く、常に「なぜ?どうして?」を連発する子どもでした。

小学校の有名なエピソードですが、算数の授業中に「どうして1+1が2になるのか?」と質問をしました。

先生は粘土を取り出して、「ほら、一個の粘土があるね。もう一個の粘土を足したら2個になるだろう?」と説明をしたところ、「一個の粘土と一個の粘土を合わせたら、混ざって一個になるのではないですか?」と主張して譲らなかったそうです。

どうしても納得せず、「なぜ?どうして?」を繰り返すエジソンに先生も困ってしまい、しまいには「この子は頭がおかしいんじゃないか?」と言われてしまいます。

そしてなんと、たった3か月で小学校を退学してしまいました。

「鳥がミミズを食べて空を飛ぶのだから、人間もミミズを食べたら空を飛べるのではないか?」と考えたエジソンは、ミミズをすり潰した液体(…!)を友達に「空飛ぶ薬だ」といって飲ませたことがあるそうです!

また、「ヘリウムガスは宙に浮くから、人間もヘリウムガスを吸い込めば、風船のように空中に浮くかも?」と、これまた友達にヘリウムガスを吸わせたそうです。(結果、声が高くなっただけでしょうね笑)

12歳の時には、自宅近くの鉄道が開通したことを機に、新聞の売り子として働きだします。好奇心旺盛なエジソンは、ここでも自作の新聞新聞を作って発行し、評判を集めてコツコツとお金を貯め、それを自分の研究【research】の費用に充てたそうです。

たくましいですよね!

3.幼少期に受けた教育

3.幼少期に受けた教育

小学校で次々と問題を起こしたエジソンは、たった3か月で小学校を退学しますが、そんなエジソンを絶対見放さなかったのが、母親のナンシーでした。

元教師であったナンシーは、学校の対応を不満に思い訴えましたが、学校側から「この子は頭がおかしいのであろう。そんなにこの子をかばいたいのなら、あなたが教えたらよろしいのではないですか?」と言われたことから、エジソンを家庭で教育する(現代でいう「ホームスクーリング」ですね)という決心をしました。

そして、エジソンには百科事典、科学実験に関する本、歴史書や世界の名作本など、大量の本を与えられました。

母親は、自宅の物置を改造し、エジソンの事件のための「地下室」を作りました。

母親の教育方針は、一説によると「モンテッソーリ教育」の影響を受けているといいますが、母親はいくつかのルールを作ってエジソンを教育したそうです。

母親が教育するうえで作ったルール

1.「無条件の愛情で包むこと」

一番活発に友達や先生との行動を覚える時期に、退学してしまったエジソンにとって、母親が「教師」であるとともに、「友達」にもならなければいけません。

そこで必要なのは「無償の愛【unconditional love】」「無条件の愛」であり、彼を安心させることだったのでしょう。

2.「知的好奇心を育てる」

エジソンがこのころ抱いていた、「なぜ?」「どうして?」を絶対否定せず、「なぜなんだろうね?一緒に調べて考えてみましょう!」と一緒に研究してみたり、図書館で調べたりということに、とことん付き合ってあげました。

大人がやりがちな、例えば「虹はどうしてできるの?といった問いかけに「天使がお絵描きしたのよ」などと作り話でごまかさずに、たとえ時間がかかっても正解を見出し教えることが大切だとしました。

~どうして卵がヒナになるの?~

この疑問を抱いたエジソンに、「温めてヒナになるのなら、私たちが温めてみよう」と母親は提案をし、実際に肌身離さず、アヒルの卵を温めてみました。

それでもうまくいかないので、母親と百科事典で調べてみたら、3週間以上も温めなくてはいけないことを知ります。

このことで、エジソンは鳥の生態を深く知るようになったのです。

これこそ「体験型教育」の走りですね!

3.「失敗を恐れない・失敗は最高のレッスンである」

実験を何度も何度も失敗するエジソンに、「あきらめないで、あなたは必ずできる! だから挑戦するのよ!」と励まし続けたそうです。

これは子どもに勇気を与えますね。

~エジソンが会得した経済的観念~

当時子どもが働くことは珍しくなかったのですが、母ナンシーはエジソンに実際に仕事をさせます。

エジソンが「うちの裏庭で採れた野菜を売ってみたい!」といった提案にも「それはいい考えね!」と同意をします。

少年エジソンは街に出て野菜を売りに行きますが、単に家で採れた野菜というだけでは売れないことを知ります。

それぞれの人々の生活やニーズ、需要と供給のバランスでモノの値段が決まるのだ、という経済の法則をその失敗から体感して覚えていったのでした。

他にも、

  • 感性を磨く
  • 考えることを楽しむ
  • ハンディキャップは特徴になる
  • 他人との交流を楽しむ

といったルールを実践していました。

幼いエジソンは、自分が「なぜ?なぜ?」と追及することを「素敵なこと」と思っていました。

それは確実に母親の教育の影響であったのは、言うまでもありません。

4.エジソンは発達障碍児だった?

4.エジソンは発達障碍児だった?

昔の話なので、現代に当てはまるかどうかは疑問ですが、エジソンは現代でいうところの注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、アスペルガー症候群(自閉症)などの障害があったと言われています。

「なぜ?どうして?」と執拗に固執しこだわるところは、この発達障害によくみられる症状ですが、そんなエジソンの「なぜなんだ?」に対して根気よく丁寧に付き合い、理解をさせていったのが母親ナンシーでした。

「人の言うことが聞けない」「空気が読めない」という性格は、たびたび問題視されますが、母ナンシーは社会に適合しないと思われ小学校に見放されたエジソンに、学校生活という枠を取り払い、決して悲観的にならず、子どもを信じ続け前向きに支えてきました。

その「無償の、無条件な愛情」が、エジソンの自己肯定感を維持させ、あそこまで偉大な発明家へと導いたのです。

もしかしたら偉大なのはエジソンではなく、母親ナンシーなのかもしれませんね!

5.エジソンの名言

I owe my success to the fact that I never had a clock in my workroom.
私が成功することができたのは、仕事場に時計がなかったおかげである。

I have not failed. I’ve just found 10,000 way that won’t work.
私は失敗したことがない。ただ、一万通りの、うまくいかない方法を見つけただけだ。

Show me a thoroughly satisfied man and I will show you a failure.
完全に満足しきった人がいたら、それは落伍者だ。

まとめ

最近、「うちの子は普通と違う」「発達障害ではないか?」という相談を受けることがあります。

その「人と違う、人と足並みを合わせられない」ことを「悪いこと」と考えるのは、特に私たち日本人は多いかもしれません。

アメリカなどではホームスクーリングは就学形態の一つとして認められていて、社会的認知を得ています。

日本でも近年、不登校や引きこもりなどの問題が年々増える中、選択肢としてわずかではありますが、「ホームスクーリング」を実施している家庭も出てきました。

日本で「学校に行かない罪悪感」がまだ根強くある中、この選択は親の勇気と学習、そしてエジソンの母親のような「無償の愛」が必要ですが、新しい子育ての形として広がっていくのではないでしょうか?

Genius is 1 percent inspiration and 99 perspiration.
天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。

ートーマス・エジソン