嵐ファンのママが日々の子育てで感じていることを綴ります。タイトルは大好きな嵐さんの曲名をお借りしていますが、響きだけで選んでいます。虹が輝く日を夢見ての「あれやこれや記」にしばしおつきあいくださいませ。

いざ始めたものの、こういう文章を書くのは初めてなのでとまどっています。何を書こう…

まずは家族の紹介をしますね。山も海もある関東のとある県の、畑が広がっているようなのどかなところに住んでいます。家族は5人。

  • 会社員の夫(アラフィフ)
  • 専業主婦の私(アラフォー)
  • 長女(中1) →なかなかの男勝り
  • 次女(小5) →姉妹の緩和剤
  • 三女(小2) →姉にもまれて、現在一人っ子志望

夫も私も地元民ではありません。お互い仕事の関係でこの地に住むようになり知り合いました。結婚して…あら、もう15周年迎えたかも。

長女は誰に似たのやら生まれる前から気が強い子でした。申年生まれの長女をついつい亥年と間違えてしまって「猪突猛進って言いたいんでしょ」と突っ込まれますが、思った道をまっすぐ突き進むタイプ。それゆえにお友だちを泣かせて(それも男子を!)しまったこともあるけれど、なぜか男子からも女子からも人望がある子です。

大きく成長したので今は背丈も同じくらいになりました。一人っ子だった私は姉妹のいる友人が洋服の貸し借りをしていたとかいうエピソードがとても羨ましく、長女とそんなことができる日を夢見ていました。でも長女とは洋服の趣味が正反対という結果に…

次女はいつも多くを語らずニコニコとしているタイプでした。姉のアツすぎる妹愛を全身で受け止め、姉大好きな子に育ちました。成長した今、3人の中で一番考えているのは次女だと思います。3人の中で自分がどういう立ち位置にいるのが良いのか。自分らしさを発揮できることは何なのか。3姉妹ゆえなのでしょうが、そういうことを考えず突き進む長女と三女にはさまれて緩和剤になってくれているのが次女です。

三女は生まれたときから大人の中にいる時間が多かったです。長女はもう入園していたので産後1ヶ月もしないうちに幼稚園行事に参加していました。上二人の代のママ友たちは偶然にも小さい子がもういなかったので、みんなで三女をかわいがってくれました。一番のママっ子なのは今も変わらずですが人見知りもほとんどありませんでした。人との関わりあい方や気持ちの伝え方が三人の中で一番上手な子に育ちました。

「3人も育てるのは大変だったでしょう」と良く言われます。でも次女と三女の子育てをしたのは長女だと思っています。その長女ですら育ててくれたのは私の友人たちのように思います。もちろん授乳やオムツ交換はしましたが、長女の時は私も新米ママだったので色々と教えてくれたのは先に出産を経験した友人たちでした。その当時私にアドバイスしてくれた友人たちは誰一人として育児を大変だとは思っていませんでした。きっと苦労はしていたのでしょうが

「陣痛は確かに痛いけど鼻からスイカは出ないよ(笑)」

「赤ちゃんとの生活楽しいよ!」

「育児ノイローゼとか言うけど、そんなの全然ない!」

「何かわからないことあったらいつでも連絡してね」

と決してマイナスな言葉は口にしませんでした。だから陣痛が始まる瞬間から不安に感じる気持ちは何一つなく、単身赴任中で夫不在の産後の生活も笑顔で乗り切ることができました。

次女や三女の子育てを長女がしたという話はまたそのうちに。次は子どもたちが小学校に入学して感じたことについて書きたいと思います。