小学校を卒業してかれこれ30年。明日の記憶というよりは遠い記憶ですね。子どもたちが小学校へ通うようになり、30年前に止まったままの私の記憶は毎日のように上書きされました。
メディアでも良く取り上げられていたので、出席番号が男女混合であることや男女ともに「さん」付けで呼ぶというのは知っていました。子どもの小学校では運動会の徒競走では順位がきちんと付けられます。私の小学校では確か背の順で徒競走をしていたと思いますが、今は本番前にタイムを取って走順を決めるんですね。同じくらいの脚力の子どもたちで走るとゴール前で競り合いになるので盛り上がります。
30年前は給食を残してはいけない時代だったので好き嫌いが多かった私には苦痛の時間でした。今は給食を残しても怒られないと聞いてびっくりでした。様々なアレルギーを持つお子さんも増えて牛乳アレルギーであればその分の給食費が減額になったり、NGな食材が多くてお弁当持参のお子さんもいます。給食のデザートに某餅素材のアイスが出ることにも驚きました。
もちろん時代の流れだけではなく管轄する自治体によっても違いはあるのでしょうが、明らかに私の小学生時代とは異なっていると感じた2つのワードについて書きたいと思います。
アクティブラーニング
日本語にすると「能動的学習」となります。座学ではなくて活動的にグループ学習をする…という意味合いではありません。受動的に一方的な授業を聞くのではなく、書く・話す・発表するなどの活動を通してただ知識量を増やすにとどまらず、その知識を使って新たに問題を発見したり解決したりする力をつけるのだそうです。私が実際に「アクティブラーニング」という言葉を耳にしたのはつい最近のことです。中学校の懇談会で「昔は授業中は静かに耳を傾ける、私語をすれば怒られてましたよね。でも今はアクティブラーニングが良いとされて、授業中も活発に発言をしたり生徒同士で意見を交わしたりするので、授業がにぎやかでびっくりしたと思います。」と担任がお話されていました。(「なんてまとまりのないクラスなんだ!」と本当にびっくりしたので、帰宅してすぐに「アクティブラーニング」を検索しました。)
長女が小学校1年の授業参観のとき、勝手に発言する子どもが多く担任も制するわけではなかったことにとても驚きました。こんな状態で授業が成立するのかと不安になったことを覚えています。「アクティブラーニング」の存在を知ってもあの発言の数々は単なる野次だったと思いますが(苦笑)、今の授業形態を子どもたちは楽しく受け止めていると感じます。45分間きちんと座って授業を受けることも必要ですが、大事なのはバランスなんだと思います。ただただ知識を伝えるだけの教師も中にはいるようで、古い感覚からすると「私の小学校時代はこれこれ!」となりますが子どもたちにはあまり受け入れらているようには思えません。どちらがより知識として残るかというとむしろ騒がしいくらいの授業のほうのようです。
インクルーシブ教育
私が通っていた小学校には障害を持つ児童のための支援学級がありました。近隣小学校全てに併設されていたわけではないので、少し離れたところからも通ってきていました。支援学級の児童と私たち通常学級の児童が交流することはほとんどなかったと記憶しています。なぜなら支援学級の児童と一緒に遊んだ私がいじめの対象になったからです。
「インクルーシブ教育」とは子どもたち一人ひとりが多様であることを前提として、障害の有無にかかわらず地域の通常学級で学べることを目指す教育理念だそうです。わが子が通う小学校にも市内の小学校にも支援学級があり、通常学級に籍をおきながら障害の程度に応じて、通常学級と支援学級を行き来して授業を受けています。
私が支援学級の児童と遊んだことでいじめの対象になったのは、いじめた側が支援学級の児童を特別視していたからだと思います。もっと言うとその親たちが特別視していたから子もそれが正解だと思い、またそういう環境の時代だったのだと思います。
わが子が通う小学校では支援学級の児童に対して通常学級の児童が偏見を持ったり差別的な対応をしたりというのはほとんどないように感じています。学年によっても違いがあり、残念ながら通常学級の教室にいるといじめられるという話を耳にしないわけではありません。それでも30年前とは大きく違うと思います。最初から2つに分けられているのではなく、1つのグループに属しながらそれぞれに応じた歩き方をするという環境の結果なのでしょうか。「○○くんは一番に靴を履きたいからみんながいるところに突進していくんだよ」とぶつかってきてもケンカにはならないそうです。
その子がどんな障害を持っているのかではなく、何ができて何ができないのかを一人ひとりに対して感じ取っているのです。まだまだ障害を持つ子どもたちが学ぶ環境が整いきっていないのが現実ですが、「インクルーシブ教育」は障害を持っていない子どもたちにとっても学ぶことが多いと思っています。