AI(人工知能)の進化は、長い年月をかけて段階的に進んできました。
その歴史のなかでも、1980年代を中心に起こった「第二次AIブーム」は、AIが実用化の兆しを見せたターニングポイントとして非常に重要です。
この記事では、第二次AIブームがいつ起こり、どのような技術が注目されたのか、そしてブームが終焉した理由までをわかりやすく解説します。
また、記事の後半では、第一次や第二次などの他のAIブームとの違いや、英語学習におけるAI活用についてもご紹介します。
AIの進化に興味のある方、技術の歴史を知りたい方はぜひ参考にしてください。
第二次AIブームとは?
第二次AIブームとは、1980年代から1990年代初頭にかけて起こった、人工知能技術の盛り上がりを指します。
この時代のAIは、主に特定の分野に特化した知識をもとに問題を解決する「エキスパートシステム」が大きな注目を集めました。
1960年代に起こった第一次AIブームでは、人間のように推論・会話をするAIへの期待が先行した結果、技術的限界によって失速しました。その一方、第二次AIブームは限定された分野に絞ることで、実用性の高いAIの実現を目指した点が特徴です。
たとえば、医療の診断支援や工業製品の故障診断など、専門家が判断する場面でAIがその代わりを担うという方向性が評価されました。その結果、多くの企業や研究機関が率先してAI開発に取り組むようになりました。
第二次AIブームが終わった理由
第二次AIブームでは、AIの実用化が大きく進んだものの、やがて壁に突き当たります。その主な理由は以下の3つです。
- 知識の登録に時間とコストがかかりすぎた
第二次AIブームの根幹を成すエキスパートシステムは、専門家の知識をルール化して手動で登録する必要がありました。
開発には膨大な時間と労力がかかり、規模が大きくなるほど管理も困難になり、効率やコスト面での問題が普及の大きな壁となりました。
- 環境変化に弱く、柔軟性がなかった
一度構築したルールベースのAIは、新しい事象や例外への対応が難しく、変化する現実社会に上手く順応できませんでした。
その結果、実用性に疑問を持たれるようになり、徐々に開発の熱が冷めていく一因となりました。
- コンピュータの性能が追いつかなかった
当時のコンピュータでは、AIに必要な膨大なデータ処理や複雑な学習が困難だったことも、ブーム終焉の一因とされています。
技術的な理論があっても、ハードウェアの限界がネックとなり、成果が見えにくかったのです。
これらの課題が重なった結果、研究資金や注目度が次第に低下し、第一次ブームの後に訪れた停滞期になぞらえて「第二のAIの冬」と呼ばれる時期に突入しました。
第二次AIブームの特徴を示すキーワード
第二次AIブームの時代を理解するためには、当時の技術的な挑戦や可能性、そしてその限界を示す以下3つのキーワードを知っておくと役立ちます。
- エキスパートシステム
- Cyc(サイク)プロジェクト
- 誤差逆伝播法
各キーワードの詳細について、順に確認していきましょう。
エキスパートシステム
第二次AIブームを象徴するのが「エキスパートシステム」です。これは、医師や技術者など、ある分野の専門家が持つ知識や判断をAIに取り込み、判断や診断を支援する仕組みです。
代表的なシステムに「MYCIN(マイシン)」があります。これは感染症の診断と治療法を提案するシステムで、1970年代後半から1980年代にかけて開発されました。
エキスパートシステムは、特定の分野に限れば高精度な判断ができるという利点がありましたが、汎用性に欠けるという課題も抱えていました。
また、知識の登録に手作業が必要であったことや、更新の手間などから、運用が徐々に難しくなっていきました。
Cyc(サイク)プロジェクト
1984年に開始された「Cyc(サイク)プロジェクト」は、「常識を持つAI」をつくることを目的とした壮大な計画です。人間が当たり前に知っているような「火は熱い」「水は濡れる」といった膨大な常識知識を、AIに教え込もうとする試みでした。
このプロジェクトでは、何百万件もの知識を1つひとつ人手で入力する必要があり、開発には莫大な時間とリソースが必要でした。最終的には、十分な成果を上げるまでには至らず、大規模なAI開発の難しさを象徴するプロジェクトとなりました。
しかし、当時生まれた「AIに常識を与える」という視点は、後の技術にも影響を与え続けています。
誤差逆伝播法
1986年には、カナダの研究者ジェフリー・ヒントンらによって「誤差逆伝播法(バックプロパゲーション)」という学習アルゴリズムが発表されました。
これは、AIが自分の出した結果と正解とのズレ(誤差)をもとに、内部のつながりを少しずつ修正しながら学習していく手法です。この技術は、現在も使われている「ディープラーニング」の基礎にもなっており、AIが「経験から学ぶ」ための重要な土台となりました。
当時はまだ計算リソースが追いつかず、広く実用化されることはありませんでしたが、のちの第三次AIブームを支える鍵となる技術として、歴史に大きく名を刻んでいます。
第二次以外のAIブームとは?
AIの歴史は、第二次AIブームだけでは語り尽くせません。
ここでは、第二次以外のAIブームとして知られる第一次、第三次、そして近年注目されている第四次AIブームについて簡単に確認しておきましょう。
第一次AIブーム
第一次AIブームは、1956年の「ダートマス会議」を契機として、1960年代から始まりました。
ダートマス会議で「AI(人工知能)」という言葉が初めて提案され、「人間のように考える機械をつくる」という野心的な目標のもと、研究が活発化しました。
この時代のAIは、主にルールベースの処理で「迷路を解く」「単純な会話をする」などの成果を上げ、一部では実際に動くプログラムも登場しました。
なかでも、1966年に開発された対話型プログラム「ELIZA(エライザ)」は、人と対話できるAIとして注目を集めました。
しかし、当時のAIは複雑な現実の問題を解決するには至らず、過度な期待と現実とのギャップにより研究は失速しました。その結果、研究費が削減され、「第一次AIの冬」と呼ばれる停滞期に入ります。
第三次AIブーム
2000年代後半から始まった第三次AIブームでは、ディープラーニング(深層学習)技術の実用化が大きな鍵を握りました。
特に2010年代に入ると、AIは画像認識、音声認識、言語理解などの分野で急速に性能を向上させ、医療、金融、教育などあらゆる業界に導入が進みました。
2015年には、囲碁AI「AlphaGo(アルファ碁)」がプロ棋士に勝利したことで、AIの能力の高さが世界中に知られることになります。
このブームの大きな支えとなったのが、処理性能が飛躍的に向上したハードウェアの存在と、インターネットの発展によって得られる「ビッグデータ」です。これにより、AIは現実世界の複雑なデータを扱えるようになり、実用化が急速に進みました。
第四次AIブーム
現在は第三次AIブームの途中ではありますが、一部では「第四次AIブーム」が始まっているとも言われています。その中心となっているのが、ChatGPTなどの「生成AI」の登場です。
これまでのAIは「与えられた情報を分析して判断する」ものでしたが、生成AIは「自ら文章や画像をつくり出す」という創造的な能力を持っています。
このような技術は、ビジネス文書の作成、企画提案、広告制作、教育支援などさまざまな分野での活用が広がっており、AIの可能性がさらに広がっています。
また、「汎用人工知能(AGI)」の実現に向けた研究も進んでおり、近い未来、AIが人間のように幅広いタスクを柔軟にこなすことが現実味を帯びてきています。
英語学習でもAIがブームです
AI技術は、英語学習のスタイルにも大きな変化をもたらしています。
従来の参考書や講義中心の学習に比べて、AIを活用することでより効率的かつ個別最適な学びが可能になってきました。
学研のオンライン英会話「Kimini英会話」でも、AIと講師の組み合わせによるハイブリッドな学習が取り入れられています。
英語学習をサポートするAIチャットBotが、英語の先生や会話のパートナー、予習・復習サポーターとして、あなたの質問や相談に対応します。わからないところをその場で解決できるので、安心して学びを進められます。
さらに、スマートフォンのホーム画面に登録すれば、アプリのようにワンクリックでアクセスでき、スキマ時間の活用にもぴったりです。
効率よく英語力を高めたい方は、ぜひ日々の学習にAIを取り入れてみてください。
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まとめ
今回は、1980年代を中心に盛り上がりを見せた「第二次AIブーム」について、その特徴や背景、終焉に至った理由などを詳しく確認してきました。
AIの歴史を知ることは、これからの社会や仕事、そして自分自身の学び方を考えるうえでも大きなヒントになります。
今回の内容を参考にして、AIをより深く理解し、未来に活かしていきましょう。