フランスの絵本をご存じでしょうか?
全体を通していえるのは、絵が美しく、独創的で、言葉がまるで詩のような感じ、と筆者は解釈しています。
しかしどこかに、何とも言えない哀愁や、ときに胸がきゅんとする切なさが漂っているようにも思えます。
そんなフランスで有名なのが、「サン・テグジュペリ」。
彼の代表作である、「星の王子様」にはいろんな時代背景があり、いろんな解釈があることを知っていますか?
そんな「サン・テグジュペリ」の作品に迫ってみましょう!
1.サン・テグジュペリの生い立ちと略歴
サン・テグジュペリは1900年6月29日、フランスのリヨンで生まれました。
本名はアントワーヌ・マリー・ジャン=パティスト・ロジェ・ド・サン=テグチュぺリ。
サン・テグチュぺリはリヨンの伯爵の子どもでした。
父方の祖先は十字軍時代にまでさかのぼる旧家で、有名な将校たちが周りに大勢いました。
母方は男爵家の血筋を持ち、母は作曲家の娘であることから音楽や絵画の才能に溢れて、生涯絵を描き続けていたそうです。
そんな貴族の裕福な家庭に5人兄弟の長男として生まれたテグチュぺリは、明るく活発で、芸術的な審美眼と感受性を両親から受け継いで、健やかに成長していきました。
しかし、4歳の時に、父親が脳卒中で死去してしまいます。
母親は悲しみに暮れる子ども達に、昔話や劇の話をしてくれました。
6歳のころ、次女のシモーヌと叔父の書斎で見つけた本をもとに短い戯曲を作り、それを上演して大人たちから喝采を浴びたことがきっかけで、詩を書いては周りに披露したそうです。
13歳のときに仲間と同人誌を作り、14歳では作文の時間に書いたという「ある帽子のオデュッセイア」が学校内の最優秀作文賞に選ばれました。
その後も詩作や寸劇の脚本執筆などを続け、16歳でソルボンヌの大学に入学するも、弟の病気で退学し、弟が15歳の若さで亡くなってしまいます。
その後なかなか自立できなかったテグチュぺリでしたが、21歳の時に航空隊に入隊をし、民間飛行免許や軍用操縦免許などを取得し、飛行士として活躍するようになります。
その後事故で除隊したのち、民間の郵便飛行士になります。
その体験をもとに書いた「南方郵便機」が出版され、作家活動を始めることになります。
31歳で結婚をするものの、あまり良い結婚生活ではなかったようですが、エッセイ集「人間の土地」がベストセラーになり、作品は何度も映画化され、有名作家の仲間入りをするようになりました。
戦争が激しくなり、ドイツ軍のフランス侵攻を受け1940年にはアメリカに亡命しますが、フランスへの思いは変わりませんでした。
そして、第二次世界大戦の最中、42歳で「星の王子様」を挿絵付きで出版します。
それは世界中に知れ渡る、大ベストセラーになっていきます。
しかし、1944年、44歳の時にフランス内陸での偵察中に行方不明となり、消息を絶ってしまい、その遺品は行方不明から54年たった1998年に、マルセイユ沖にある島近くで発見されましたが、とうとう遺骨は発見されませんでした。
2.主な作品
- 「南方郵便機」ー1929
- 「夜間飛行」-1931
- 「人間の大地」ー1939
- 「戦う操縦士」ー1942
- 「ある人質への手紙」ー1943
- 「星の王子様」ー1943
その他没後に編集され出版されたものも多数あります。
3.星の王子様が生まれた真相
星の王子様のあらすじ
主人公で飛行士の「ぼく」がサハラ砂漠に不時着をしたところから物語が始まります。
「ぼく」は砂漠で小さな星からやってきた「星の王子様」に出会います。
飛行機の修理をしながら、王子様がいままで訪れたいろんな星の出来事を聞いていくうちに、二人は心を通わせ、王子さまは、今まで人を信じられずに生きてきた「ぼく」のかけがえのない人になっていきます。
しかし、地球にきて1年が経ったある日、王子さまはあることを決心します。
それは・・・・
「星の王子様」はサン・テグチュぺリがアメリカからフランスに帰るのを目前にして、行方不明になる前に書かれた作品です。
なぜ、この作品を書いたのか。
それを研究する多くの学者がいますが、その研究者の一部は、「星の王子様」はほかの作品のほとんどで登場している「飛行機で飛ぶ」ことが描かれていないのが異質であると言います。
サン・テグチュぺリが、命より大事にしていたくらい飛行機が好きだったにも関わらず、それを描いていないということは、この作品が書かれた時期にテグチュベリがアメリカに亡命していたことと深くかかわっているようなのです。
まさに、テグチュベリが空を飛べず苦しかった時期に、ある友達に捧げる作品として書かれたもので、一番好きなものを取り上げられたときに、見えてきた一番大切なものを描いている、というのが「星の王子様」が生まれた真相のようです。
そういった背景を思いながら読んでみると、また感じ方も変わりますね。
その「星の王子様」には残された数々の名言があるのでご紹介しましょう!
星の王子様の名言
君がバラのために費やした時間の分だけ、バラは君にとって大事なんだ
ー時間は永遠ではありません。だからこそ、今を大切にして、費やした分の時間はかけがえのない価値があるのです。
星がきれいなのは、見えないけれどどこかに花が一本あるからなんだ
ー物事は遠くにあるほどきれいに感じるものです。見えないものがあれば、もっとそう思えます。
僕の星はたくさんの星の中に混じっている。
だから、君はどの星のことも好きになる。…全部の星が君の友達になる
ー主人公の「ぼく」に王子様が別れを告げるときに、空を見上げたら王子様の星に会える、と言います。でも、それを見分けるのは難しい。 だから王子さまは全部の星を「ぼく」の友達にしてくれたのです。2人の絆は、形を変えてもいつまでも続いていくのです。
おとなって、はじめはみんなこどもだったのだから。(でもそれを忘れずにいる人は、ほとんどいない)
ーサン・テグジュベリのあとがきより
「物事は、偏見、先入観、固定観念を捨てて、意識を白紙状態にしてみなければならない」ということです。これは、大人にとっては特に難しいことですが、でもそうしなければ、物事の本当の姿を見ることはできません。
4.サン・デグジュペリ主な受賞歴
- Prix Feminaー1929
- アカデミー・フランセーズ賞ー1939
- レジオンドヌール勲章ー1930、1939
- 全米図書賞 ノンフィクション部門ー1940
- 戦闘十字賞ー1940
- Retro Hugo Award for BestNovella-2019
などがあります。
5.星の王子様ミュージアム
わが日本の箱根の地に、作者サン・テグチュぺリの誕生100周年を記念して、1999年に「星の王子様ミュージアム」が設立されました。
園内はフランス風の美しい街並みや、四季折々の花々が咲きほこり、とても明るい美術館になっています。
展示ホールでは、作者のサン・テグチュぺリの生涯をたどるたくさんの展示物を鑑賞でき、この名作の誕生の背景を知ることができます。
園内にはおしゃれなフランス料理を提供するレストランがあり、作品にちなんだネーミングのお料理をいただくこともできます。
美しい自然と、サン・テグチュペリの詩の世界に、心が解放されるかもしれませんね!
6.サン・テグチュぺリに影響された著名人
宮崎 駿 (1941~/映画監督、アニメーター)
「紅の豚」は飛行士だったサン・テグチュぺリからとったキャラクターなのだそうです。また「天空の城ラピュタ」の「君をのせて」という曲の作詞は、サン・テグチュぺリの「星の王子様」の一フレーズ、「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」から、「あの地平線 輝くのは どこかに君を隠しているから」という詩を作っています。
マイケル・ジャクソン
正確にはサン・テグチュぺリに影響を受けた、とは言えませんが、1974年に「星の王子様」はアメリカとイギリスが共同してミュージカル映画を作り公開されました。
「星の王子様」に登場する、キツネやヘビを人間が演じたのですが、このヘビ役のボブ・フォッシー(1927ー1987)の斬新なダンスが、当時16歳だったマイケル・ジャクソンに大きな影響を与えたと言われています。
まとめ
「星の王子様」は文体こそ子供に語りかけるような、シンプルでかわいらしいリズムでファンタジーな世界観があると思いますが、大人が読むと、とても哲学的で、日々の忙しさや仕事、複雑な人間関係などで、物事を素直に見ることができなくなっている自分に、「はっとする気づき」を与えてくれるように感じます。
また、サン・テグチュペリの生涯が波乱万丈であり、衝撃的な最期であったことを知ると、「星の王子様」は自分の最後を暗示して書いたかのように思えてきます。
彼の世界観は、読む人の精神状態で解釈も変わってくるような、深さも感じ取れます。
きっとまた読み返したら、子どもの頃に読んだ気持ちと全く違うものを感じるような気がして、もう一度本を手に取ってみたくなりました。
「心で見なければものごとはよく見えないってこと。いちばん大切なことは目に見えないんだよ。」
現代社会に生きる私たちは、目に見えるものや、数値ばかりを追いかけて、大切なものを見失っているのではないでしょうか?
このような時代だからこそ、心に豊かさ、心に糧を大事に生きていかなければならないと、本当に星になってしまったサン・テグチュぺリに教えられているような気がします。