ヨーロッパの子供の絵本は、どことなく色合いがシックで、大人でもインテリアに使いたいような味わいがあると思いませんか?
シンプルでわかりやすい点では、アメリカのエリック・カールと比較してしまいがちですが、レオ・レオニはまた独特の世界観があります。
大人も子どもも楽しめる、レオ・レオニの世界を覗いてみましょう!
1.レオ・レオニの生い立ちと遍歴
レオ・レオニは1910年5月5日、オランダはアムステルダムで、ユダヤ系の裕福な家庭に生まれました。
父親はダイヤモンド技工士で、のちに公認会計士となったルイス・レオニ、母親はオペラ歌手として活躍したエリザベト・レオニです。
アート好きだった叔父たちの影響で、ピカソやクレーなどの芸術品に囲まれて少年時代を送りました。
学生時代は、ベルギーのブリュッセル、アメリカのフィラデルフィアなどの引っ越しを経て、14歳の時にイタリアのジェノヴァに移住し、スイスの大学で経済学を学びました。
1931年21歳の時に当時18歳の妻、ノーラ・マッフィーと結婚し、絵画やデッサンの制作を続けていましたが、ファシスト政権の弾圧を受け、ユダヤ人であってレオはアメリカに亡命します。
アメリカのフィラデルフィアの広告代理店に勤めたのち、ニューヨークに移住し、そこでアートディレクター、グラフィックデザイナーとして成功をおさめます。
1945年にアメリカ国籍を取得し、1953年にはアスペン国際デザイン会議の初代会長を務めました。
そして、そこであのエリック・カールの才能を見出し、エリックにニューヨーク・タイムズのグラフィック・デザイナーの就職を世話して、絵本製作の仕事も勧めたこともありました。
1959年、孫のために作ったという「あおくんときいろちゃん」(原題:Little Blue and Little Yellow)を発表したのがレオの絵本作家としてのデビューになりました。
その後イタリアに戻ったレオは、自身の本のイラスト制作や彫刻の活動を精力的に続け、やがて発表した絵本は約40冊になりました。
1970年代になると、ふとしたことから「架空の植物群」と呼ばれる「平行植物」に魅せられ、研究や構想を積み上げたのち、1976年に学術書「平行植物」を発表し、一躍有名になりました。
そして1999年10月、享年90歳のときにイタリアのトスカーナで、家族に見守られながら亡くなりました。
2.レオ・レオニの作品の特徴
レオ・レオニの作品は、わかりやすく優しい味わいがあります。
彼のアートの特徴は、作品の雰囲気に合わせて、さまざまな技法を使って絵本を作っているところにあります。
作品別にみてみますと
フレデリック
コラージュ(紙を切って貼り付け絵を完成させる技法)を使い、ネズミの毛は指でちぎって、毛のふさふさした質感を表現しています。
周りの風景の葉っぱや岩などははさみでカットし、シャープさを出しています。
おいうえおのき
スタンピング(かたどったいろいろなものに絵の具や塗料を付けて、紙にポンポンと押して模様を写す技法)が使われていて、木にさわさわと揺らぐ葉っぱを画面いっぱいに描いています。
このアート技法は、幼稚園や保育園でも盛んにおこなわれていますね!
スイミー
モノタイプ(ガラスやアクリル、金属などの板に、油絵の具などの絵画材を用いて絵を描き、その上に紙をのせてバレンなどで圧力をかけて刷り取る技法)というものですが、この技法の「モノ」という言葉はギリシャ語で「ただ一つの」という意味を持っているように、二度と同じものが出来ない、偶然の重なり合いからできています。
スイミーが冒険する水の中や、岩などに多くモノタイプが使われて、この物語独特の温かさが表現されています。
ひとあしひとあし
フロッタージュ(でこぼこした素材の上に薄手の紙をのせ、鉛筆や色鉛筆ででこぼこの模様をこすり出す技法)はフランス語で「Frotter(こする)」を意味しています。
製作者の意図していない絵柄が出てきたりする面白さが、作品にもあふれています。
レオ・レオニの絵本はこのように、いろんな技法を使ってその作品ならではの特徴を出しているためか、アートの世界では「スイミー技法」や「フレデリック技法」と呼ばれることもあり、世界中の子どもたちもその技法を真似て、オリジナルの絵をたくさん描いています。
3.レオ・レオニの代表作品
- 「あおくんときいろちゃん」(Litte Blue and Little Yellow)-1959
- 「ひとあしひとあし」(Inch by Inch)-1960
- 「スイミー」(Swimmy)-1963
- 「フレデリック」(Frederick)-1967
- 「さかなはさかな」(Fish is Fish)-1970
- 「じぶんだけのいろ」(A Color Of His Own)-1975
- 「ペツェッティーノ」(Pezzettino)-1975
- 「ねずみのつきめくり」(Fur katzen streng verbten)-1981
- 「えいごであそぼうよ」(Letters/Words)-1985
- 「ぼくのだ!わたしのよ!ー3びきのけんかずきの かえるのはなし」(It’s Mine!)-1985
- 「びっくり たまごー3びきのかえるとへんなにわとりのはなし」(An Extraordinary Egg)-1994
などがあり、特に「スイミー」は谷川俊太郎氏の翻訳により、1977年から日本の小学校の国語の教科書に採用されたので、私たちには馴染みの深い作品であると言えましょう。
4.レオ・レオニの受賞歴
- ドイツ児童図書賞・・・「スイミー」
- 児童図書スプリングフェスティバル賞・・・「せかいいちおおきなうち」
- アメリカ図書館協会最優秀作品・・・「チコときんいろのつばさ」
そのほかにも多数受賞しています。
5.谷川俊太郎とレオ・レオニ
レオ・レオニの絵本のほぼすべての日本語翻訳を、谷川俊太郎氏が手掛けていることは、よく知られています。
日本を代表する絵本作家の谷川俊太郎氏は、こんな言葉を残しています。
私は絵本にまず美しさを求めます。
絵本を通して子どもたちに何かを伝えたい、そういう気持ちで創られた絵本は多いと思いますが、
私はどちらかというと、ノーベル賞を受けた詩人、T.S.エリオットの「詩は思想をバラの花の香りのように感じさせるもの」と
いう言葉を理想として詩を書き、絵本のテキストを書いています。
メッセージやテーマも大切かもしれませんが、私は絵本にまず美しさを求めます。
絵の美しさ、日本語の美しさ、何を美しいと思うかは個々の絵本によって違いますが、
感じ方は読む人、見る人の自由です。
そこに子どもおとなの別はないと思います。
谷川俊太郎
谷川さんはきっと、レオ・レオニの絵の美しさに惹かれ、たくさんの翻訳をされたのでしょうね。
シンプルでリズミカルな谷川さんの翻訳も、心にすっと入ってきます。
英語版と日本語版、両方読んでみると、その気持ちがわかるかもしれません。
6.レオ・レオニの名言
レオ・レオニの作品の中の言葉は、時として哲学的ともいえる、深い意味を含んだ名言があります。
スイミー
「ぼくが、目になろう」
フレデリック
「さむくてくらい ふゆのひのために、ぼくは おひさまのひかりをあつめてるんだ。」
「おどろいたなあ、フレデリック!きみって しじんじゃないか!」
ペツェッティーノ
「もしもし、ぼくは きみの ぶぶんひんじゃ ないでしょうか?」
「やっと ペツェッティーノにも わかった。じぶんも みんなと おなじように ぶぶんひんが あつまって できていると。」
あおくんときいろちゃん
「ないて ないて なきました。ふたりはぜんぶ なみだになって しまいました。」
読み返してみると、新しい発見があるに違いありません!
7.スイミーに込められたもう一つの意味とは?
有名な小さなスイミーが、兄弟を失い孤独だった中で、仲間を助け、仲間と協力して大きな魚に立ち向かっていく勇気と知恵を身に着けました。
ユダヤ系ということでアメリカに亡命し、戦後もう一度イタリアへ戻ってこの作品を作ったレオは、自分の人生をスイミーに重ね、困難に負けずに生きていくことを意味していたのではないか?
彼の哲学がここにあったと言われます。
レオは晩年、パーキンソン病に侵され、動くことも不自由でしたが、それに負けず、明るい前向きに生きることを絵本に描き、子ども達、また心を病んでいる大人たちへのメッセージにしたのでした。
まとめ
筆者の絵本のコレクションで、エリック・カールとレオ・レオニがかなりの割合を占めていることに、あらためて気づかされるほど、身近にある絵本と言えます。
それは、赤ちゃんから大人までが、いつ、何歳で読んでも楽しく、懐かしさを覚え、そして感動も与えてくれるからなのでしょう。
誰かが「イラストレーターが絵本作家になったら最強」と言っていましたが、絵を描くように、いえ、絵を描くとともに言葉があふれてくるのかもしれない。
絵本は子どもだけのものではなくて、日常に疲れ、難しい言葉で飾り立てて、真実は見えていないことがある私たち大人が読むべき、「絵で聞き、言葉で見る」ようなそんな一冊がレオ・レオニではないでしょうか?