「どうしたら、英語を話す恥ずかしさがなくなるんだろう」
これは、娘たちの英語学習を続ける中で、私がずっと考えていたことです。
長女と次女は性格こそ違いましたが、「英語を話すのは恥ずかしい」という気持ちは同じでした。
オンライン英会話も活用していましたし、話すことに慣れてほしいと思って、いろいろ試してきました。
でも今振り返ると、2人が一番自然に英語を使えていた時間は、教材や英会話レッスンとは別のところにあったように思います。
この記事では、わが家で試行錯誤しながらたどり着いた、「英語を話す恥ずかしさ」をやわらげるまでの流れと、今振り返って「実は意味があったのかもしれない」と感じている、生活の中の英語との関わり方について紹介します。
この記事の3行まとめ(AI要約)
- 英語を話したがらない子は、「間違えたくない」「恥ずかしい」という気持ちを抱えていることが多く、無理に発話を促すより安心感を育てることが大切。
- 英語絵本・英語ゲーム・日常会話への英語の取り入れなど、遊び感覚で英語に触れる時間が発話への抵抗感を減らしてくれる。
- 「正しく話すこと」より「英語を怖がらないこと」を優先し、日常の中で英語を自然に使う環境づくりが話す力の土台になる。
性格は違っても、恥ずかしさは同じだった

長女は、「これで合っているかな?」が口ぐせの慎重派です。
知っている単語でも、自信がないと口に出せず、オンライン英会話でも、答えがわかっているのに黙ってしまうことがよくありました。
一方、次女は気分で動くタイプで、楽しい時は積極的でも、気が乗らない日は英語そのものを避けることもありました。
姉妹で性格は正反対ではあるものの、2人とも共通していたのが、「英語を話す時の恥ずかしさ」でした。
場面や状況に関係なく、英語になると一瞬止まってしまう姿がありました。
そんな二人の様子を見ながら、私は「どうすればもっと自然に出てくるようになるのか」と考える時間が増えていきました。
英語が出ていたのは、何気ない時間だった
家庭でもさまざまな工夫をしていましたが、振り返ると一番英語が出ていたのは学習の時間ではありませんでした。
- 英語絵本を音読劇のように楽しんだ時間
- 相づちだけ英語にしていた時間
- 「ONLY英語ゲーム!」と笑いながら遊んでいた時間
特別な目的を意識していたわけではなく、ただ親子で楽しむ時間として続いていました。
そのときは「英語力を伸ばすため」という感覚もなく、あくまで遊びの延長でした。
それでも今思うと、この「生活に混ざった英語」が、子どもたちの緊張をゆるめるきっかけになっていたのかもしれません。
英語が「勉強としてやらなければならないもの」から、「日常の中にもあるもの」へと少しずつ変わっていきました。
英語がある空気に慣れることから始めた
最初から「話す練習」を意識していたわけではありません。
むしろ大切にしていたのは、英語を特別扱いしすぎないことでした。
英語絵本を読んだり、動画を流したりしながら、ただ生活の中に英語がある状態をつくっていきました。
とくに英語絵本は、正しく読むことよりも、声色を変えたり演出を加えたりしながら楽しむ時間になっていました。
読み聞かせというより、「親子で一緒に遊ぶ時間」に近かったように思います。
そうしているうちに、子どもたちにとって英語が「勉強の時間だけにあるもの」ではなく、少しずつ家庭の空気に溶け込んでいきました。
英語を口に出すハードルを下げていった
娘たちが少しずつ英語を口にするようになったのは、「会話練習」というより、遊びの延長でした。
「今から英語だけゲームしよう?」
「今日のできごとを英語で話してみよう?」
そんなふうに、突然始まるゆるい英語時間。
特に夕食からお風呂までの時間帯は、わが家にとってリラックスタイムでした。
わたし自身も肩の力が抜け、多少の文法の間違いや発音の違いを気にせず、その場のやり取りを楽しんでいました。
その結果、自然と英語が混ざりやすい空気ができていったように思います。
美味しいときは “Yummy!”、熱いときは “Too hot!”と言ってみたり。
また、「それ取って」を “Can you pass me that?” と文で伝えてみたり。
わかりやすい “Yes!” や “No!” のような短い英語は、今でもわが家の会話によく登場します。
時には、2人のけんかを止める場面でも英語を使っていました。
“Stop it!”(やめて!)
“No fighting!”(ケンカしないで!)
“Shut up!”(うるさい!)
怒る時だけ英語にすると、日本語よりもストレートに響くはずなのに、どこか後味が軽く感じられるような、不思議な感覚もありました。
最初は子どもたちも笑って受け止めていましたが、こうしたやり取りを繰り返すうちに、「英語を口に出す」こと自体への抵抗感が少しずつ薄れていったように感じています。
英語でやり取りする楽しさを大切にした

長女は特に、「間違えたくない」が強いタイプです。
「これで合っている?」
「文法、変じゃない?」
と気にして、レッスン中は言葉が止まってしまうこともよくありました。
でも、家庭の中の英語には「正解」がありません。
単語だけでも通じる。
少し変でも笑って終わる。
その気軽さが、特に長女には合っていたように思います。
また次女も、「勉強」になると気分が乗らない一方で、「遊び」の中では驚くほど自然に英語を使っていました。
やり取りそのものを楽しめるときは、表情まで変わるのが印象的でした。
言葉そのものよりも「通じる楽しさ」が先に来ていたように思います。
今振り返ると、“英語で笑えた経験”が、「英語を話す怖さ」を小さくしてくれていたのかもしれません。
家庭の中の英語が、恥ずかしさをやわらげていた
わが家では、英語を特別な時間としてではなく、日常の中に自然に混ぜていました。
英語を聞く。
英語を口に出す。
英語で笑う。
そんな時間を繰り返すうちに、娘たちの中でも、英語を話すことへの構えが少しずつ小さくなっていったように感じています。
長女は、以前より「間違えたらどうしよう」と固まる場面が減り、短い言葉でも自分から口に出せることが増えていきました。
次女も、英語学習として向き合うと気分に左右されることが多い一方で、歌やゲームなどの遊び感覚で自然と英語が出るようになっていきました。
もちろん、今でも完璧に話せるわけではありません。
それでも、英語を話すことそのものへの恥ずかしさは、以前よりかなり小さくなったと実感しています。
英語を話す前に、必要だったこと

以前の私は、「たくさん話す練習をすれば、英語は話せるようになる」と考えていました。
もちろん、実際に声に出していく経験そのものも大切です。
ただ、娘たちを見ていると、「話す前の心の状態」が整っているかどうかも、同じくらい大きな意味を持っているように感じています。
英語絵本を少し大げさに読んで笑ったこと。
相づちや返答を英語にしていたこと。
英語だけしか話してはいけないゲームで遊んでいたこと。
そのひとつひとつは、当時は特別な意図があったわけではありません。
ただ、気負わずに英語がそこにある時間を重ねていただけでした。
しかし今振り返ると、そうした当たり前のように生活に混ざった英語が、「間違えたらどうしよう」という気持ちを少しずつほどいていったのかもしれません。
正しく話すことよりも、まずは英語を怖いと感じないこと。
恥ずかしがり屋な娘たちにとっては、そんな心の状態をつくる時間が必要だったように感じています。
まとめ|日常に、少しだけ英語を足してみる
恥ずかしがり屋な子ほど、たくさん話す練習の前に、英語を怖がらない時間が必要なことがあります。
もし今、
「英語になると黙ってしまう」
「全然話してくれない」
と感じているなら、まずは日常の中に、ほんの少し英語を混ぜてみるところからでも十分かもしれません。
子どもの日常の中で、ふとした瞬間に英語の言葉を添えてみること。
短いやり取りだけ英語にしてみること。
完璧を求めず、その場のやり取りを楽しんでみること。
そうした小さな積み重ねが、子どもにとっての英語の距離感を少しずつ変えていくように思います。
特別なことを増やすより、日常の中に英語が少しある状態をつくること。
そのゆるさが、子どもたちの「英語は恥ずかしい」という気持ちを和らげ、話す一歩へとつながっていくと感じています。
