「イソップ物語」はあまりにも有名で、書籍でもYoutubeでも、どこでも目にしますね。

しかし、肝心の「イソップ」のことはほとんど知られていません。

実はかなり古くから、語り継がれてきた物語のようです。

「あー懐かしい! 子供のころに読んだお話だ!」という作品が、きっとたくさんありますよ!

そのころの記憶をたどりながら、イソップをもっと深く知りましょう!

1.イソップって誰?

イソップは古代ギリシャの紀元前619年から564年ごろに存在していたようで、はっきりとはわかっていません。

日本では縄文時代であったくらいですから、きちんとした記録はないものの、イソップが存在していたことは明らかなようです。

名前はギリシャ語でアイソーポスですが、英語読みのイソップで知られています。

出身は、紀元前6世紀のアナトリア(現在のトルコ)出身だと言われています。

イソップは当時サモス王の奴隷でしたが、語りに秀でていたために奴隷の身分から解放され、その後寓話を語り歩いたとされています。

イソップは語り手であったため自分では作品を残しておらず、アリストテレス(古代ギリシャの哲学者であり、自然学者、文学者、政治学者)の生徒であったデメトリオス(学者、政治家)によって編纂されたと言われています。

その本は10冊以上にのぼると言われていますが、現在は残っていません。

現在残されている、一番古いイソップ寓話は、バブリオス(紀元後100年ごろの寓話詩人)によって143編からなる「イソップ寓話詩集」ですが、その後パエドルスが最初にラテン語に翻訳しました。

この、バブリオスとパエドルスの記録をもとに、現在世界中の多くの人達に愛される「イソップ童話」が出来たのです。

2.イソップの作品

  • うさぎとかめ
  • 北風と太陽
  • アリとキリギリス
  • オオカミ少年
  • キツネとブドウ(すっぱい葡萄)
  • よくばりな犬
  • 金の斧と銀の斧
  • ガチョウと金の卵
  • 田舎のネズミと町のネズミ

全部で94話あると言いますが、そのうちの30話はイソップの逸話(世間や世人にあまり知られていない、世人の目から逸した話のこと)で、のちの64話が動物の寓話になっています。

3.イソップの特徴

3.イソップの特徴

現在では子どものための、メルヘンチックな童話として知られているイソップ寓話は、もともと奴隷であったイソップが権力者を戒めたり、生きるための知恵を盛り込んで作ったものだったというから驚きですね!

擬人化した動物たちが登場し、当時の人々の生活や、精神性を描き、それが風刺や教訓になっているのも特徴です。

その内容は、政治的であり、また宗教的、社会的なものでした。

倫理的な基準がしっかりしているという意義から、ルネッサンス時代以降は、子どもの教育のために用いられました。

ギリシャ神話と関連している物語も多く、いろいろな神様が登場しています。

イソップが生存していた紀元前6世紀以前の民間伝承である、メソポタミア(世界最古の文明が発祥した、現在のイラクの一部にあたる地域。メソポタミアに生まれた文明をメソポタミア文明と呼ぶ)のシュメール(イラク南部)やアッカド(同イラク)の話もイソップの寓話と似ている話があったと言われています。

また古代インドの仏教説話集「ジャータカ」やヒンドゥー教の説話集の「パンチャタントラ」とも共通点があるということから、イソップと釈迦が生きた時代がほぼ一緒だということに、関係しているのかという事実はいまだに不明のようです。

イソップの寓話はのちに絵画や演劇、彫刻や歌などの芸術的分野で取り上げられ、物語の意味は再解釈されて、教訓や風刺といった側面が強調されるようになります。

4.イソップの教訓

それでは、代表作品からどんな教訓が得られるのか、簡単なあらすじととも見てみましょう。

アリとキリギリス

ある夏の日、やがて訪れる厳しい冬のために、せっせと食料を運んで休みなく働くアリを横目に、キリギリスはバイオリンを弾き遊びながら暮らしていました。やがて寒い冬が来て、アリは備蓄をしていて万全でしたが、キリギリスは食べるものもなく、アリの家に食料をもらいに行きます・・・

*以下、アリがキリギリスに食料を与えるバージョンと、冷たく突き放して見放すバージョンがあるようです。

<教訓>

  • 計画的に生活することが大切である。いざという時のための蓄えは必要。
  • 怠けていたことに対する代償は大きい。

オオカミ少年

羊飼いの少年は、退屈しのぎになんども「オオカミが来たぞ!」と噓をついて村人たちを脅かしていました。

ある日、本物のオオカミが現れましたが、助けを呼ぶ少年に対し、村人たちは「また嘘をついているんだろう」と相手をせず、結局羊たちはみんなオオカミに食べられてしまいました。

<教訓>

  • 人は噓をつき続けると、本当のことを言ったときに信じてもらえない。
  • 常日頃から正直に生活することで、必要な時に他人から信頼と助けを得ることができる。

北風と太陽

北風と太陽が、歩いている旅人のコートをどちらが脱がせることができるか、勝負をすることになりました。

北風は強い風を吹いて旅人のコートを脱がせようとしますが、風が吹くほど旅人はコートを脱げないようにしっかり押さえます。

次に太陽は旅人にぽかぽかとした光を照らしだしました。

すると熱くなった旅人は「暑い暑い」といってコートを脱ぎ、勝負は太陽の勝ちになりました。

<教訓>

  • 強引に相手を動かそうとすると、かえって相手がかたくなな気持ちになり拒否をされるものですが、相手をやさしく思いやることができれば、相手も心を開いてくれる。
  • ことを急いで、無理矢理に対処するより、時間をかけて丁寧に着実に進めるべきである。

・・・どうですか? 大人になって改めて見てみると、思い当たることがあるのではないでしょうか?

5.イソップと日本の関係

5.イソップと日本の関係

さて、イソップ寓話はいつごろ日本に伝わったのでしょうか?

記録によると、戦国時代末期に日本に伝わってきたと言われています。

ポルトガルから来たキリスト教の宣教師たちが翻訳したものを、日本に広めたのではないかと考えられています。

最初に持ち込まれたのが九州地方で(天草地方)、西洋音楽などと一緒に伝わっていきました。

物語も動物をモチーフにした、わかりやすい文章なので親しみがあり、江戸時代初期に「伊曾保物語」(いそほものがたり)として出版をされていますが、翻訳者は不明となっています。

ウサギやカメ、ニワトリ、オオカミなど身近な動物が登場するので、徐々に教科書などにも採用されるようになり、広く知られていきました。

「ウサギとカメ」は日本昔話ではなかったということにも、びっくりです!

6.「アリとキリギリス」のラストからわかる、日本と西洋の価値観

言わずと知れた「アリとキリギリス」のラストに二通りあることで、大きく意味が変わります。

まず、ヨーロッパでは腹をすかせたキリギリスが、食料を分けてくれと頼みますが、アリは「夏には歌っていたのだから、冬には踊ったらどうだい?」と皮肉を言って追い返してしまいます。

「努力をしなかった人間が滅ぶのは当然だ」「働かざる者食うべからず」「飢え死にしても自己責任」と突き放すヨーロッパ人と比べて、日本のイソップ物語の多くは、「これでわかったかい、キリギリスくん。怠けていると大変なことになるんだよ」とさとし、食料を分け与えて助ける、という結果のものが多いそうです。

日本人の慈悲深さ、しかしその裏に「困っていても誰かが助けてくれる」いう甘えや、「自分の周りには優しい人がいる」といった考えが反映されている、という学者もいます。

オリジナルの物語は、西洋バージョンだったようですが、それではあまりに薄情で、日本の子供にはよくないということで改訂されたようです。

これにはヨーロッパでは「人生はきれいごとばかりではないことを隠しているのはよくない」という批判をもっている人も多いようです。

番外編

ワンピースのキャラクター「ウソップ」の名前の由来は「イソップ童話」だった!

大人気アニメ、ワンピースの「ウソップ」は外見のモデルが「ピノキオ」で、名前の由来はオオカミ少年の「イソップ童話」のようです。

ピノキオは「嘘をつくと鼻が伸びる」、イソップ童話は「嘘つきのオオカミ少年」の要素を取り入れたらしいです。

特に、ウソップがつく嘘が「現実化」したというエピソードが多々あり、それが物語を面白い展開にしています。

ちなみに、ウソップのお父さんの名前は「ヤソップ」というそうですよ!

7.イソップから派生した作品

7.イソップから派生した作品

アリとキリギリス

1934年ディズニー作品。ストーリーの最後でキリギリスが改心する、という点が子供に夢と希望を与えたいディズニーの方向性を示していますね。

うさぎとかめ

1935年ディズニー作品。ウォルト・ディズニー・カンパニーによるシリーー・シンフォニーシリーズの短編映画作品で、第7回アカデミー賞短編アニメ賞を受賞しています。

田舎のネズミ

1936年ディズニー作品。ウォルト・ディズニー・カンパニーにより制作された短編映画作品で、第9回アカデミー短編アニメ賞を受賞しました。

そのほか、日本の映画会社「東映」により「まんがイソップ物語」(1983年)が制作されています。

まとめ

私たちの身近にある「イソップ童話」が紀元前からあったというのには驚きました。

当時は記述する技術などなく、口から口に伝わったものでしょうから、もしかしたらイソップが作ったものとかけ離れた作品になっているかもしれませんね。

いずれにしても、世界中で翻訳され、そして子ども達(大人にも当てはまるでしょうが)への教訓として、形を変えながら継承されていっていることに、とてつもなく壮大なロマンを感じずにはいられませんでした。