現代では当たり前のように目にする「ウィンドウズ」を作った人として有名なビル・ゲイツ【William Henry “Bill” Gates III】。
しかもそれは、ハーバード大学在学中に立ち上げた会社であり、総資産は6兆円であるとか!!
アメリカンドリームを手にした彼は、どのようにして育ったのでしょう?
1.ビル・ゲイツの年表
- 1955年(誕生)
10月28日、アメリカのシアトルで、 弁護士の父ウィリアム・ゲイツ・シニアと教員の母マリー・マクスウェル・ゲイツとの間に生まれ、2人の姉妹とともに育つ。 - 1968年(13歳)
私立レイクサイド・スクール在学中に13歳でコンピュータプログラミングを始める。 - 1973年(18歳)
卒業後にハーバード大学に入学する。在学中にプログラミング言語BASICを、初代マイクロコンピュータ「MITS Altair」向けに開発。 - 1975年(20歳)
アレン氏とともにニューメキシコ州アルバカーキにMicrosoftを設立。大学を中退。
以後2000年までゲイツ氏がMicrosoftの CEOを務める。 - 1979年 (24歳)
アルバカーキからワシントン州ベルビューに会社を移転。 - 1980年(25歳)
IBMからパーソナルコンピュータ用OSの開発の仕事を受託し、その成果として「MS-DOS(Microsoft Disk Operating System)」が誕生する。 - 1983年(28歳)
Windowsをリリースする。 - 1990年(35歳)
「Windows 3.0」をリリース。2年で1000万本を売りあげた。 - 1994年(39歳)
Microsoft社員のメリンダ・フレンチさんと結婚。年長者番付で初めて1位になる。 - 1995年(40歳)
「Windows 95」リリース。 - 1998年(43歳)
Windows 98をリリース。 - 2000年(45歳)
Windows 2000, Windows Me をリリース。 - 2001年(46歳)
Windows XP, Xboxをリリース。 - 2008年(53歳)
引退。その後慈善事業家として活動している。
2.ビル・ゲイツ受賞歴
- 1994年 英国コンピューター協会特別フェロー
- 2010年 シルバーバッファロー省
- 2013年 ラスカーブルームバーグ公益事業省
- 2015年 パドマ・ブーシャン勲章
- 2016年 大統領自由勲章
- 2020年 旭日大授賞 (日本政府より)
その他、多数受賞しています。
3.幼少期のエピソード
- 読書が大好きで、SF作品からナポレオンやダーウインなど、世界の偉人の伝記などを、ジャンルを問わずに読みふけっていたそうです。
- 幼いころから、ものすごい負けず嫌いで、何でも一番にならないと気が済まない性格でした。
- 勉強が飛びぬけてよくできていましたが、特に数学が得意でした。また記憶力も抜群で、あの長い聖書を一字一句間違えずにすべて覚えて暗唱し、教会の牧師を驚かせたそうです!
- IQ160という脅威の知能指数で、小学生でも稀にみる天才と呼ばれていました。
- 幼少時代、社会面の発達に問題があるとされ「非定型発達【atypical development】」の子どもではないかと言われていました。ほかの子どもと遊ぶことに全く興味を示さず、一人で遊んでいたり、大人が思いつかないようないたずらをしたりするビル少年に、父親は心配の種が尽きなかったようでした。
よき理解者であった母親の教育
発達障害が疑われたビル少年を、深く理解して温かく見守っていたのが、元教員であった母親でした。
彼女は彼に絶対否定的なことを言わず、強制をせず、ビルがやりたいことを主体的に取り組めるように目を配ってきました。
ビルは本が大好きだったのですが、それも母親が小さい時から本の読み聞かせを習慣にしていたからです。
特に好きだったのが百科事典で、母親のそばで百科事典を広げては熟読し、結果なんとAから順番にすべて読破したのです!
勉強は心配無用だったビルでしたので、両親は彼の社会性を伸ばすことに努力を重ねました。
ひ弱で軟弱だったビルを、ボーイスカウトに参加させ心や体を鍛えたり、キャンプやグループ活動にも積極的に参加させました。
家族で夏休みに海や山に出かけ、水遊びやボート遊び、ハイキングや探検ごっこなど、親戚や友人家族とともに思い切り遊ぶことを年中行事にしました。
家庭の中では、コミュニケーションを必要とする、カードゲームやボードゲームを行い、共同作業する楽しさや戦略法を身に着けていったということです。なにより、家族の愛と協力に包まれて、ビル少年は少しづつ社会性を身に着けていきました。
また、欧米では子どもが出来る範囲の仕事を与え、お金を稼ぐことを覚えさせ、自立を促すということが良く行われますが、ビルは小学生の時に新聞配達をして、わずかながらお小遣い稼ぎをしました。
裕福だったビルにはお金が必要だったわけではありませんが、自分で働いてお金を稼ぐことを経験することは、子どもの成長を促すのに有効だと考えられたのです。
こうして、早いうちに社会性を身に着けたことが、非定型発達であったビルに、単なるコンピューターにのめりこむ
技術者というだけでなく、企業をリードして世界的な規模にした力をもたらしたのだと思われます!
モンテッソーリ教育
ビル・ゲイツは、幼少期に「モンテッソーリ教育」を受けていたことで有名です。
モンテッソーリ教育とは、「子どものやりたい意志」を尊重し、興味を持ったことをとことんやらせる教育法です。日本でも幼少期の教育にモンテッソーリ教育を採り入れている学校がありますね。
モンテッソーリ教育を受けた他の有名人としては、藤井聡太さんやイーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾスなどが挙げられます。
モンテッソーリ教育を受けていた有名人にIT企業の創業者が多いのは、単なる偶然かと思いきや、その教育法の方針について深く調べるにつれ、おそらくそうではないだろうという考えざるを得ません。
モンテッソーリ教育では、自分でやりたい仕事を、自分で選択します。彼らは、幼少期から自分のやりたいことを自分で選択することを学んでいるので、責任やリスクを負うことも理解しており、リスクを取って、失敗を何度も乗り越える力が身に付いていったのでしょう。
4. ビル・ゲイツの慈善活動
2000年、ビル・ゲイツと妻メリンダによって、世界最大規模の慈善基金団体ビル&メリンダ・ゲイツ財団が創設されました。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団は、ビルとメリンダが結婚前にアフリカを訪れた際、そこの子供たちが先進国で治療や予防ができる病気なのに命を失っているという「命の不平等」という事実に直面し、彼らの資産でどうやって貧困をなくせるかというミッションの下、創設されました。
同財団は、創設以来、アジアやアフリカなどの途上国が抱えるマラリアやポリオなど感染症の対策や貧困撲滅といった分野で、様々な形の支援活動を行っています。
2024年、ビル&メリンダ・ゲイツ財団は、史上最大額となる86億ドルの予算を計上しました。この予算の増加は、非営利団体による貧困削減、治療可能な疾病との闘い、飢餓撲滅の取り組みの進捗が停滞している現状を踏まえてのものでした。この取り組みの進捗停滞の主な要因としては、パンデミック、今なお続く戦争、多くの国々が抱える多額の債務が挙げられます。
2024年の年次書簡のなかで、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団のマーク・サズマンCEOは、慈善活動家に寄付額を増やし、貧困、疾病、不平等との闘いで未曾有の難局を迎える国々を支援するため緊急行動をとるよう促しました。
5. ビル・ゲイツの名言
Success is a lousy teacher. It seduces smart people into thinking they can’t lose.
成功ってのは、厄介な教師だ。 やり手を臆病者に変えてしまうからね。
Whether it’s Google or Apple or free software, we’ve got some fantastic competitors and it keeps us on our toes.
グーグルでも、アップルでも、フリーソフトでも、素晴らしい競争相手だし、僕らの気を引き締めてくれる。
It’s fine to celebrate success but it is more important to heed the lessons of failure.
成功を祝うのはいいが、失敗の教訓に耳を傾けることはもっと重要だ。
Patience is a key element of success.
忍耐は、成功のカギとなる要素だ。
If you are born poor, it’s not your fault, but if you die poor, it’s your mistake.
貧しく生まれてもそれはあなたの責任ではないが、貧しく死ねばそれはあなたの過ちだ。
Life is not fair. Get used to it.
人生とは不公平なものだ。それに慣れなさい。
To win big, you sometimes take big risks.
大きな勝利を得るためには、時に大きなリスクを冒すことになる。
Most people overestimate what they can do in one year and underestimate what they can do in ten years.
ほとんどの人は彼らが1年にできることを過大評価するが、10年でできることを過小評価する。
Technology is just a tool. In teams of getting the kids working together and motivating them, the teacher is the most important.
技術は単に道具に過ぎない。子どもたちをともに勉強させ、動機付けを行うには、先生こそが最も重要なのだ。
I was happy to be in the right place at the right time. But many others were also in the same place. The difference was I took action.
私は適切な時に適切な場所にいることができて幸せだった。しかし、他の多くの人たちも同じ場所にいた。違いは、私が行動を起こしたことだ。
I hope someday what people can do with their lives depends on their talents and how hard they are willing to work, rather than on where they happened to be born.
いつの日か、人々が自分の人生で何ができるかは、たまたま生まれた場所ではなく、その人の才能と努力次第で決まるようになってほしい。
どの名言にも、ビル・ゲイツ氏のものの考え方が表れていますね。やはり、ビル・ゲイツ氏のものの考え方には、彼が受けた教育が大きな影響を及ぼしているようです。彼は自分のやりたい仕事を自ら興して、革新を実現しましたが、責任やリスクも負いながら、それを成し遂げていたことが分かりますね。
6.ビル・ゲイツの父親の存在
ビル・ゲイツの父親ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ2世は、一般にはビル・ゲイツ・シニアと呼ばれています。
アメリカの元弁護士で慈善家である父親は、ビル・ゲイツが幼少のころから普通ではないことに気づき、それを母親とともにずっとサポートしてきました。
せっかく入った大学を退学して起業した時も、その大きなリスクを負った息子を信じて応援してくれたのです。
また、息子が大成功を収めたのちも、ともすれば傲慢になり、野心に突き動かれがちになることを戒め、常に「一歩引いて状況を判断する姿勢」を教え続けました。
ビル・ゲイツはそんな父親のことを、「勤勉さ、誠実さ、謙虚さの素晴らしい手本です」と語っています。
そんな偉大な父親と、息子はお互いに尊敬しあい、信頼しあってきましたが、2020年9月1日ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ2世は家族に囲まれ、静かに息を引き取りました。94歳でした。
そんな父親がビル・ゲイツに贈った言葉があります。
Being your father is incredible.
君の父親であるということは、信じがたいことなんだよ。
まとめ
裕福な家庭に生まれ、才能に恵まれていたビル・ゲイツも、社会的に適合が困難だった幼少期に、両親が子どもを信じて、才能を伸ばしたいという根気強い協力があったからこそ、このような大きな成功者になったと言っても間違いではないでしょう。
非定型発達、自閉症スペクトラム障害などの子どもたちは、比較的コンピューターやゲームなどのテクノロジーにのめりこむ傾向があるといいます。
もし、ビル・ゲイツに両親の手助けがなかったら、優秀な技術者にはなれても、あのように世界を揺るがすような実業家にはなっていなかったでしょう。2008年、53歳で実業界から引退し、貧困、疾病、不平等との闘いで未曾有の難局を迎える国々を支援するため、慈善活動家として働いていることにも驚きますね。
ビル・ゲイツを成功へと導いた親の愛は偉大です!!
Don’t compare yourself with anyone in this world…if you do so, you are insulting yourself.
自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。
– ビル・ゲイツ