山本かなえさん
(株式会社 KP-ASSOCIATES メリソー・トラベルデザイン 代表取締役)
プロフィール
新潟市出身、埼玉県育ち。
旅行専門学校を卒業後、ビッグホリデー(株)大宮支店に入社。
カウンター業務を経て、女性初の営業を担当、企業・個人旅行の社内トップセールスとなる。退職後、フリーのツアーコンダクターとして数多くの添乗を経験。その後、ビッグホリデー(株)霞が関支店立ち上げのため、支店長として再入社。財務省支店・経済産業省支店・日本郵政グループ支店の総括支店長として3店舗を統括。大臣を含む官庁・政府要人・VIPの出張手配をおこなう。
平成19年2月、旅行会社メリソー・トラベルデザインを起業。個人または企業(社員旅行、スポーツ団体の遠征など)に向けたホスピタリティ溢れるツアーを実施。
(株式会社 KP-ASSOCIATES メリソー・トラベルデザイン 代表取締役)
プロフィール
新潟市出身、埼玉県育ち。
旅行専門学校を卒業後、ビッグホリデー(株)大宮支店に入社。
カウンター業務を経て、女性初の営業を担当、企業・個人旅行の社内トップセールスとなる。退職後、フリーのツアーコンダクターとして数多くの添乗を経験。その後、ビッグホリデー(株)霞が関支店立ち上げのため、支店長として再入社。財務省支店・経済産業省支店・日本郵政グループ支店の総括支店長として3店舗を統括。大臣を含む官庁・政府要人・VIPの出張手配をおこなう。
平成19年2月、旅行会社メリソー・トラベルデザインを起業。個人または企業(社員旅行、スポーツ団体の遠征など)に向けたホスピタリティ溢れるツアーを実施。
海外300回、国内500回を超える添乗歴を持つだけでなく、旅行者の希望に沿ったオリジナリティ溢れるプランを実現。経験と人脈により、秘境や個人旅行では難しい体験ツアーなど、旅先での夢を叶えてくれる山本かなえさんが第1回目のゲストです。
目次
起業して10年の今
社長なのに今でも添乗をされるんですね。
山本さん
そうなんです。添乗が大好きなんですよ。旅行シーズンの月はほとんど添乗に出ていて、会社にいるのは数日くらい。
それだと決済や書類仕事がたまったりしませんか?
山本さん
スタッフが優秀なので大丈夫なんですよ。私が外に出ている間もササッと処理してくれて。だから安心して企業やお客様のところに行けるんです。
アクティブな社長さんですね。
山本さん
私が企画して、営業して、できるだけ添乗もする。好きだから全部したいんです。欲張りですよね(笑)。
それが信頼を得る秘訣のひとつなんでしょうね。プランの説明をしてくれた方が同行してくれるなんて、私なら安心しすぎて頼りっぱなしになりそうですけど。
山本さん
プランを考えていると、私も行きたい内容になってきますから。この場所、行ったことないな、とか、このレストラン最高だったから皆さんに紹介したいな、とか。そうするともう自分の休暇をなくしてでも行ってしまう。
ヘトヘトになりそうですね。旅先でお客様全員のケアをしていたら、ご自身では楽しめないでしょう?夜中までお仕事が続きそうですし。
山本さん
それが楽しめちゃうんです。ちょっとしたアクシデントならどうにでも出来るという経験があるし、何かあったら私もいるし会社にも迅速に対応できるスタッフが待機してくれてます。もちろん過信しないように、事前の準備や旅行中のチェックは入念にしますよ。でも、これからの楽しいことのためですから苦じゃないんです。
旅行業に関わるために生まれてきたみたいですね(笑)。
夢が叶って次の夢へ
いつ頃から旅行関係の仕事に就きたいと思ったんですか?
山本さん
元々、母が海外旅行好きで、私自身は中学校卒業時に初めて行きました。その旅行で出会った添乗員の方がきっかけです。私もこの仕事をしたいと強く思うようになりました。その後、専門学校生の頃に初めてアルバイトで添乗に出たんです。子供の頃から海外に憧れ、なりたいと思っていた添乗の仕事が出来、夢が叶ったんだと、とても幸せでした。
旅行会社に就職したあと、また新しい夢や目標ができたんですね。
山本さん
そう。トップセールスになりたい、いつかは支店長になりたい!なんて大きな目標を持ったり。まだ新入社員なのに(笑)。
でもその通りトップセールスになって、数年後に支店長になってしまうから凄いです。支店長のお話は一度退職して、しばらくしてからのお誘いだったんですよね?
山本さん
はい。霞が関支店の支店長として社長に呼んでもらえたことは、本当に有難いことでした。社員時代には気付けなかったことが退職後に見えたこともあったし、また挑戦できる機会をいただけて嬉しかったです。
退職して経験を積んだ山本さんに成長を感じたんでしょうね。もしかしたら辞める前から相当の期待があったのかもしれませんが。
山本さん
そんなことは言ってくれなかったですけど(笑)、またこの会社の力になりたいなって思いました。退職してフリーになってからかなりの添乗実績も出来たし、お客様の希望を具現化するツアーをつくりたい、こうしたら出来るはず、等々したいことがたくさんあったので。
それで最初は霞が関支店の支店長になり、その後、財務省支店・経済産業省支店・日本郵政グループ(当時は日本郵政公社)の総括支店長になるわけですね。三つの支店を統括するなんて大変そう。
山本さん
この時は本当に忙しかったですけどやり甲斐がありました。テレビでは政府や官庁の問題ばかり注目されますが、ほとんどの人は懸命に業務にあたっていて。国を担う方々のほんの少しでも力になれたらと、細心の注意を払いました。でも官庁内での仕事は会社でも初で、分からないことばかりで。毎日、終電か明け方に帰宅する生活が続いて体力的にきつかったです。
そうなると精神的にもきますよね。
山本さん
でもお客様にはもちろん、スタッフにもつらい表情や態度は出せませんから。なんとか元気でいるように心がけますけど、帰宅すると疲れがドッと…ね。
それをどうやって乗り越えたんですか?
山本さん
派遣社員やスタッフの面接を自分でさせてほしいと会社にかけあったんです。自分で納得して選んだスタッフがその後、力をつけて支店を盛り上げてくれるようになりました。あと、当時は支給されてなかった携帯電話を持たせてもらえるよう会社に交渉しました。支店としての実績は良かったので要望を聞いてもらえて。そうするとまた実績も上がる、という好循環で。
うまく回り始めて業務時間は短縮できたんですか?
山本さん
その頃、徐々に官庁の方々との信頼関係も築けて、温かい言葉やお礼を言われたりするようになったんです。そうすると、もっと喜んでもらうためにはどうしたらいいか、なんて考えたりして一日中、仕事のことを考えていましたね(笑)。
全然、休まりませんね。その辺りから起業のことも考え始めたんでしょうか?
山本さん
いつか、とは考えていたかもしれません。でも総括支店長の頃は業務に没頭していたのでまだですね。具体的に考えたのは、本社に異動してからです。
いよいよ会社の幹部候補として中枢に異動したのに?
山本さん
私が今したいことからは少し離れているように感じたのかも。お客様と接する現場感が好きだったし、支店としての政策や運営も自分で決められたし。責任は常に伴うけど、それ以上の喜びが日々あったように思います。
一国一城の主から組織の一員になった感覚かもしれませんね。でも、それほど現場が好きだったんでしょうし、まだやりたいことがあったんでしょうね。本社の中では自由度もあまりなさそう。
山本さん
そうなんです。それで一念発起、退職して自分の会社を立ち上げたんです。
私の城づくり、起業へ
企業といっても最初は何かと大変ですよね。経営のノウハウはどうやって?
山本さん
霞が関支店を立ち上げたとき、ひとつの会社をつくるようなものでした。その業務を1から全てにかかわったので、銀行で必要な書類とか公的な書類とか、今振り返るとあの時の経験が起業に役立ちました(笑)。
元の会社が起業の手助けをしてくれたみたいじゃないですか。本当は会社の幹部として育てたかったでしょうに。
山本さん
そうかもしれませんね。でも今では応援してくれてます(笑)。
起業してからは順調だったんですか?
山本さん
順調というか、少しずつですね。お客様の要望をもとに、私の経験と現地情報を駆使して究極のオススメツアーを計画する。そしてそのツアーに添乗するという、私が最もしたかったことが出来るのは私自身の喜びでもあります。価格を上げれば質が上がるというものではないし、お客様の満足度というのは別のところにあると思います。
たとえばどのような?
山本さん
先日のツアーですと…。九州のとある地域で年に一度しか入れない場所があって。お客様が個人で行くと入館手続きが難しかったり、タクシーを使えば割高になってしまう。そこで面白い体験ツアーなどを組み込んで企画すると、参加人数が増えて現地で大きな車をチャーターできるので、その分、金額が安く抑えられるんです。最初に要望をいただいたお客様も満足するし、参加した方々も滅多にない体験ができる、といった具合です。食事なども常に情報収集して、私が最もお勧めするお店を提案しています。
それは嬉しいですね。秘境なんて自力で行くのはかなり面倒だし困難ですから。そんな中で、大きな挫折というのはありましたか?
山本さん
起業して数年後に東北の震災があったんです。あの時は初めてこの仕事への不安を感じました。当時、パートさん二人と私の会社で、そろそろ新卒社員を二人追加しようかと考え、採用を決めたあとでした。震災の直後はツアーのキャンセルばかりで、先の見通しがまったく立たなかったし、そんな時に新卒社員を採用して大丈夫なのか?と悩みました。でも、まだ貯金はあったし、ここで取り止めたら私自身がムードや景気を悪くするような感覚にもなって、そのまま採用しました。
そう考えられるのはすごいことですね。
山本さん
採用予定の子は、採用が取り止めになると不安に思ったみたいです。でも一旦、私が「この人を採用する。一緒に仕事する」と決めたんだし、そんな心配をさせること自体、申し訳ない気持ちにもなりました。「大丈夫、私がもっと会社を大きくすればいいんだ」と奮起するきっかけにもなりました。
でも経営的には赤字だったんじゃないですか?
山本さん
そう赤字。でも、しばらくすると少しずつ仕事が増えだしましたけどね。旅行というのはただ気分転換するだけでなく、前へ向いて歩く一歩のきっかけだったりと、色々な意味があると感じました。企業に所属するスポーツ選手の遠征ツアーを手掛けていたので、震災直後でもスケジュール通りに、またはなるべく時間のロスがないように手配をしなくてはいけない。やらなければいけないことをやっているうちに、次第に戻ってきました。その年はやはり赤字でしたけど(笑)。
今ではこんなにお忙しくされていて順調そうですね。
山本さん
まあ、そんな感じで(笑)。何度も当社を使ってくれるリピーターの方や企業が増えましたし。
信頼されてるんですね。
山本さん
官庁などで仕事をした実績や経験もプラスの要因かもしれません。
ますます元会社が起業を後押ししてくれているようじゃないですか。
山本さん
本当に。元会社には感謝しかないですね。
後編では、海外のお話を中心に伺います。