山口英人さん(CAFE CUPOLA mejiro オーナーバリスタ)
山口英人さん(CAFE CUPOLA mejiro オーナーバリスタ)
プロフィール
福島県 郡山市出身。
大学卒業後、食品メーカーに入社。退職後、2001年に本場イタリアのBAR(バール)にてバリスタとして修業。エスプレッソをはじめとする食文化を学ぶ。帰国後、業務用調理機器の会社に入社。コンサルティング室・専属バリスタとしてカフェトレーニング指導、全国のカフェ・レストランや専門学校でのセミナー講師を務める。また、日本バリスタ協会やスペシャルコーヒー協会運営の各種大会の審査委員などもおこなう。2017年5月、目白で「CAFE CUPOLA mejiro (カフェ クーポラ メジロ)」をオープン。
CAFE CUPOLA mejiro

22歳のときにイタリアのBAR(バール)文化に出会い、その奥深さに魅了されたという山口英人さん。フィレンツェとミラノで修業し、帰国後は人脈を生かしながら知識と技術を磨いて念願のカフェをオープン。5月10日で1周年を迎えた近況を聞いてみましょう。

地元の方々のお蔭で1周年

1周年おめでとうございます。

山口さん
ありがとうございます。あの日は雨が激しく降った時間もあったんですが、たくさんのお客様からお祝いのお言葉やお花を頂戴しました。

嬉しいですよね。オープンしてからのお客様だけでなく、元同僚やご友人などからも祝っていただいたんじゃないですか?

山口さん
はい。メールもかなり。有難いことです。

そういえば、先ほどお店の前で手を振って通り過ぎていった方がいましたよね。

山口さん
あの方は常連さんです。

地元の人たちに愛されてるんですね。

山口さん
最初は「どうして目白に?」とか「厳しいんじゃない?」とか心配されたんですけどね。週に何度も来てくれる方がいたり、5分くらいしか時間がないのに「一杯だけ」と寄ってくれたり。地域の方のお蔭でここまで来られました。

さっき、あちらのお客様が入ってくるとき、「〇〇さん来たよ」とスタッフの方に声をかけていましたけど、名前も知ってるんですね。

山口さん
訊くときもありますよ。何度もいらっしゃる方は特に。

聞いちゃったら覚えなくちゃいけないから聞かない方がいい、みたいにはならないんですね(笑)。

山口さん
ここには話をしに来て下さる方も多いので、そういうときに名前をわかってる方が話しやすいですから。

なるほど、そうですよね。ところで、こちらではメニューというか、食材にこだわりがありますよね。「富良野のベーコンやソーセージ」とか、「平飼いのたまご」とか。

山口さん
富良野牧場は会社員時代にお世話になった生産者さんなんですよ。味はもちろんですが、環境や作業工程を知ってるし、生産者の思いにも共感もできます。山梨の佐藤ファームの卵を使ったオムレツはふんわりやわらかでオススメです。

素材と腕、両方で美味しいんですね。

山口さん
自分の店ですからね。自分が信頼できる生産者さんから安全で美味しいものを提供できるというのも幸せなことです。コーヒーと一緒にいい時間を過ごしてもらいたいですし。

自宅でもコーヒーにこだわったりします?

山口さん
家では割と適当ですよ。

インスタントコーヒーとか?

山口さん
それはないですけど(笑)。

たまに紅茶とか飲みたくなりません?

山口さん
全然飲まないですね。コーヒーが好きなのでコーヒーだけ。

え!高原に行ったら牛乳は? 南国に行ったら100%ジュースは?

山口さん
飲むとしたらコーヒーのほかは、水です。

え。

山口さん
嘘です(笑)。牛乳やジュースも飲むときはあります。

ⓒCAFE CUPOLA mejiro
ⓒCAFE CUPOLA mejiro

イタリアの朝はカプチーノから

この職業に就こうと思ったきっかけは何ですか?

山口さん
まだバリスタという意識を持ってない頃なんですが…。大学生の頃、リゾートバイトを一緒にしていた友人の紹介で、栃木の「CAFE SHOZO」に行ったんです。そのカフェが田舎なのにコーヒーだけで勝負しているような店で。地元の人が寛いでいて雰囲気も良くて刺激を受けたというか。いつかこういう仕事がしたいって思うきっかけになりましたね。

将来、自分の店を持って、居心地の良い空間を作りたいなと。では、バリスタという職業を意識したのはどのくらい経ってからですか?

山口さん
その少し後にイタリア旅行に行ったんですが、そのときにバールの存在を知りました。当時はまだ日本で有名なバリスタが少なかったので、この職業にチャンスがあると考えました。

その当時、イタリアの食文化は日本もかなり馴染んでたんでしょうけど、そこに目をつけるとは素敵です。それで食品メーカーを退職後にイタリア修業に行ったんですね。

山口さん
はい。貯金をすべて使いました。

修業先は日本で決めてから行ったんですか?

山口さん
いえ、何も決めずに。

え。では、現地でアルバイト情報誌などを見て修業先を探したんですか???

山口さん
いえいえ。まずホームスティして語学学校に通いました。イタリア語の勉強は少しはしてましたけど話せる状態じゃなかったので。ある程度のレベルに到達すると、学校がインターンシップで修業先を紹介してくれるんです。

そんなシステムがあるんですか。

山口さん
はい。なるべく希望に沿って紹介してくれるんですけど、バリスタを希望してるって伝えたら前例がなかったみたいで(笑)。かなり困ってました。

(聞き手);それでも紹介してくれたんだから凄いです。最初はどこですか?[/speech_bubble]
山口さん
フィレンツェの「Chiaro Scuro(キャーロ・スィクーロ)」です。ここは本当にいいところでした。

職場の環境が?

山口さん
そうですね。街や環境も良かったし、店の仕事はかなり勉強になりました。今の自分の土台というかベースですね。

イタリア人は気さくで大らかな印象がありますけど実際は?

山口さん
皆、親切でしたよ。何もわからない自分に色々と教えてくれて。でも、一人ひとり、言うことが違うから(笑)。今日の担当はこの人だからこの人が指導してくれた通りに、というように合わせてました。

日本人ならではの細かやな気配りですね。すべてを吸収しようと頑張っていたんでしょうけど。その時はまだアシスタントのような仕事内容だったんですか?

山口さん
はい。でもある時、メインのバリスタの一人が辞めたんですよ。それで急きょ、その人の仕事を任せられて、お客様に提供するということになったんです。

いよいよ本番ですね。

山口さん
朝はほとんどのお客様がカプチーノをオーダーするので、それをこなしていくことが力になりましたね。周りのスタッフも認めてくれるようになったし。

そうなると仕事が楽しくなりますね。

山口さん
自信にもなりました。それで、4カ月を過ぎたくらいに次の修業先を決めたんです。

次は?

山口さん
ミラノの「Garbagnati(ガルバニャーティ)」というバールです。ミラノでも修行したくて。

ステップアップのスピードが速いですね。猛烈な吸収。

山口さん
貯金も限りがありますから(笑)。のんびりしてられません。

では、朝から晩まで修業の日々ということ?

山口さん
たまには観光など遊びにも行ってますよ(笑)。この仕事は、オーダーされたものを提供するだけでなく、時には会話なども重要だったりしますしね。

その時期はとても充実してたんですね。

山口さん
はい。夢が実現していく過程にいるような感覚かも。毎日が刺激的でした。

後編では、バリスタへの道のつづきと海外でのコミュニケーションについて伺います。