アフリカと聞くと豊かな自然、野生動物の天国やアフリカ原住民が裸で踊っている・・・などのイメージしか浮かばない人も多いかもしれません。もちろんそれもありますが、英語レベルは大変高いと言います。まだまだ私たちが知らないアフリカと、その教育はどのようになっているのでしょうか?
英語を第二外国語として学習する国々の教育法 ~南アフリカ~
国名
南アフリカ共和国(Republic of South Africa). 首都はプレトリアです。アフリカ大陸最南部に位置して、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、モザンビーク、エスワティニと国境を接して、レソトを囲んでいます。
民族は黒人(79%)、白人(9.6%)、カラード(混血)(8.9%)、アジア系(2.5%)から構成されます。
公用語は英語、アフリカーンス語、9語の諸語があるバントゥ諸語の11言語ですが、実質的に公用語として機能しているのは英語だと言えるようです。
日本とのつながり
南アフリカ共和国は、石油以外の鉱物資源が豊かな国です。金・白金・鉄・アルミニウムなどの金増や、石炭などを日本に輸出し、日本が機械機器などの工業製品を南アフリカに輸出しています。アパルトヘイトが廃止されて以降、正式に国交が始まり、互いの国の大統領や外務大臣などが訪問をするなど、友好も深めています。最近では、日本からの技術援助や経済援助も積極的に行われています。
アパルトヘイト Apartheid
アパルトヘイトとは、南アフリカで実施された白人とそれ以外の人種間の「人種隔離政策」”racial segregation policy“のことを指します。アパルトヘイトは、少数の白人の政治的・経済的特権を維持するため、黒人をはじめ非白人である人種の人たちの権利や自由を奪い、様々な制限を与えました。
17世紀半ばの大航海時代から、南アフリカはオランダやイギリスの植民地となって、オランダ系移民とイギリス系移民の間で対立が起こり、19世紀に入ってオランダ系移民(アフリカーナー)とイギリス系移民の間で戦争が勃発しました。戦争は英国の勝利に終わり、支配層を形成するイギリス系に対しアフリカーナーの多くは経済的な弱者となり、「プア・ホワイト」と呼ばれる貧困層が形成されました。これら白人貧困層を救済し白人を保護することを目的に、1910年の南アフリカ連邦の設立以来、さまざまな人種差別的立法が行われました。
中でも、1911年に白人を保護し優遇することを目的として制定された「鉱山労働法」はひどいもので、これが人種差別的な立法の先駆けでした。アパルトヘイトでは、人々を人種別に分類し、その分類に従って住所登録を課していた。主な分類は次の4種です。
- 白人:オランダ系白人(アフリカーナー)やイギリス系白人などヨーロッパの人種
- アジア人:アジア系の人々で、大多数はインドやパキスタン人
- カラード:白人と原住民族や、当時オランダやイギリスの植民地であったインドネシアやマレーから連れて来られた人たちとの混血人種。混血ではないケープマレーなども含まれた
- アフリカ人(黒人):アフリカ原住民族、バントゥ系民族とも言われる
1980年の時点で、南アフリカ全体の人口に占める割合は白人は15%、黒人が73%であるのに対し、その国土のわずか13%のホームランドと呼ばれた辺境で不毛の土地に黒人たちが追いやられました。
アパルトヘイトの廃止
1950年代、アフリカ民族会議(ANC)に所属するネルソン・マンデラなどを中心に反対運動が始まりました。国連総会は、1952年以降アパルトヘイトに対する非難決議を毎年採択し続け、「人道に対する罪」と糾弾。さらに国際社会は国交断絶や経済制裁、オリンピックへの参加を認めないなどの措置を取り、南アフリカは孤立化していきました。
1989年に就任したフレデリック・デクラーク大統領はこれまでの政府の方針を転換。1990年に収監されていたネルソン・マンデラを釈放し、翌1991年にはアパルトヘイト関連法を全廃しました。さらに1994年には、すべての人種が参加した初めての総選挙が行われ、アフリカ民族会議(ANC)が勝利し、初の黒人大統領としてネルソン・マンデラが就任しました。彼は黒人と白人に加え、カラード(混血)、アジア系など、様々な人種と民族が共存する南アフリカをレインボーネーション ”Rainbow Nation”と呼んで、新しく制定された国旗 “Rainbow Flag” にもその考え方が反映されています。
訳)1991年、アパルトヘイトは廃止されたんだね。
訳)僕はネルソン・マンデラの有名なスピーチに感動したよ。
ネルソン・マンデラの有名なスピーチは今でも語り継がれていて、心を動かされる部分がたくさんありますが、アパルトヘイトや貧困に触れている一節を紹介します。
Like Slavery and Apartheid, poverty is not natural. It is man-made and it can be overcome and eradicated by the actions of human beings.
奴隷制やアバルトヘイトと同様に、貧困は自然なものではない。それは人為的なものなので、人間の行動により克服され根絶できるものだ。
– ネルソン・マンデラ
南アフリカの貧困問題
南アフリカではアパルトヘイトが廃止されましたが、南アフリカの人々の多くはいまだに水道や電気もない場所で暮らしています。豊富な資源があるのに、なぜ南アフリカはいまだに貧しい生活を送っているのでしょうか?それにはいくつかの理由がありました。
金の生産の衰退
1970年代は世界の金の7割が南アフリカで生産されていました。しかし、2000年を過ぎるころからその生産量が徐々に衰えていき、金を採掘すぎたせいで、近年では半分ほどに減ってしまいました。そのため金鉱で働いていた人々が職を失い、近年では失業率が30%ほどまで落ち込んでいます。
国際情勢によって変わる経済
南アフリカのメインの農産物である、トウモロコシやサトウキビなどは、ひとたび干ばつなどの自然災害があると、大きな被害に見舞われます。そうなると、他のものから収入を得る手立てがなくなります。同じく、金などの相場も不安定で、国民の生活が安定しにくいのです。そしてたびたび起こる、内戦や紛争なども大きく影響をしています。
スラム街の問題
南アフリカのヨハネスブルクの住宅街のそばには、かつてアフリカ系の住民が強制的に移住させられていた「ソウェト」というスラム街があります。いまだに水道や電気のない環境で、トタンでできたような貧しい家に数百万の人たちが生活しています。また犯罪も多発している危険地域であり、そんな中に学校も行けず、教育を受けられない子供たちがたくさんいるのです。
黒人同士の貧富の差
アパルトヘイト廃止後、政府は「黒人経済力強化政策」をとり始めました。鉱山の開発や、会社の経営などに黒人を優遇させた結果、一部の黒人が富を独占するようになりました。そこで今度は、黒人の間で格差が出るようになったのです。このような理由から、南アフリカの貧困問題はいまだに解決されていません。
アパルトヘイトの名残
アパルトヘイトが廃止されたとはいえ、依然として貧困から抜け出せない層も多く残り、失業率も高いまま推移しています。さまざまな格差是正や経済政策を掲げても、整備の遅れや財源・人材不足などによって、実際には大半が計画通り達成されてきませんでした。そのため、黒人による新政権への不満も高まり、失業率や社会犯罪もむしろ高まっている状態です。
南アフリカの教育
南アフリカの教育制度は、小学校が7学年、中学校に当たる学校はなく、高校が5学年で、義務教育は高校2年までの計9年となります(7~16歳くらい)。
公立学校、私立学校ともにありますが、公立でかかる費用は通う学校に地域によって異なり、無料のところもあれば有料の学校もあります。
公立とは言いますが、いまだに白人系と黒人系が分かれているのが現状のようです。
黒人系の公立校はほぼ無料で、通学もスクールバスが出ていますが、白人系は親が送迎をしています。
私立校は学費も高く、だいたい公立の2倍以上はしますが、学校の設備が整っていて、同時のカリキュラムを使い、少人数のゆとりのある授業が行われるので、富裕層に人気があります。
南アフリカの教育は、決して高い水準にあるとは言えません。
1995年以前は、有名な科学者や医師などが世に送り出されていましたが、その後政治的的背景もあって、どんどん下降していきました。
人種によって大学の卒業の合格ラインが違い、また大学を卒業して学位をとっているのが、白人は20%くらいに対し、黒人は5%以下という数字を見ても決して教育水準が高いとは言えない現状です。
やはりここで、富裕層と貧困層の教育レベルの違いは明確であり、貧困層の生徒が行く学校の教師のレベルも低く、多くの子供が退学をしているそうです。
また、小学校からテストで合格点をとれないと留年するシステムですが、留年することに恥ずかしいという意識はなく、しっかりと理解させて進級をさせるといった方針のようです。
南アフリカでは大学入試の代わりに、全国一律の卒業試験「マトリック(Matric)」が行われ、その結果によって卒業できるかできないか、どの大学に進学できるかが決定します。
南アフリカの英語教育
イギリスの支配下にあった南アフリカは、その影響で比較的訛りのないきれいな英語を使います。
建物の回数の数え方や、日付の書き方などもイギリス表記になっています。
英語の授業は小学校1年生から義務化されています。
そして学校教育は基本的に英語で行われていて、レストランやお店、行政機関などはすべて英語です。
こうして英語に触れる機会が大変多いことも、英語のレベルが高い理由に挙げられます。
また、英語+母国語、またほかの言語も習得するバイリンガルやトリリンガル、それ以上の「maultilingual (多言語話者)」も多くいます。会話力に加え、読み書き、語彙力も豊富で世界的にみてもかなり高いレベルにあると言えるでしょう。
実際、EF EPI(EF英語能力試験)のランキングでは、112か国語中12位で、「非常に高い」という結果になっています。
多民族国家の南アフリカでは、それぞれの民族で使う言葉を話しても通じないこともあって、共通語である英語の取得はマストなのです。
こういった環境や教育のおかげで、ほとんどの人が英語を話し、コミュニケーションを図っているのです。
こういうことからも「南アフリカ人はネイティブスピーカーだ」と評する人もいるくらいなのです! 南アフリカ出身で日本で英語教師として働いておられる方もおられますが、皆さん英語をとても流ちょうに話されます。
深刻なコロナによる教育危機
新型コロナウィルスの世界的流行が始まって以来、南アフリカの教育は大きく混乱し、最新の統計によれば、南アフリカの多くの学校が約1年ほどの学習の遅れが見られ、なんと40~50万人の生徒が学校を退学したということが報告されています。
学校に通えない影響は学力だけではなく、家庭内暴力などの精神的苦痛、社会的スキルの低下、学校給食がなくなったことでの栄養不良などが挙げられます。
また、子供が家にいることによって、仕事に行けなくなった母親が増えたということで、経済的にも影響を受けています。
コロナが流行し始めた当初は、オンラインによる授業なども開始されましたが、貧困家庭にはWi-Fi環境やパソコンなどの機器もないため、ここで教育格差がますます広がってしまいました。
また悲しいことに、南アフリカでは昨年のロックダウンの際に、2000校以上が盗難や略奪の被害にあい、暴動などが起こって、140校以上の学校が破壊されてしまいました。
こういった現状を食い止めるべく、ユニセフなどをはじめとした支援団体が、一刻も早くこの状況から子どもたちを救うべく取り組みを始めています。
まとめ
日本で生活していると、「人種差別」racial discrimination という言葉はほぼ無縁で、せいぜい「あの人はお金持ちでいいなあ」くらいの格差を感じる程度でしょう。海外で生活すると、多かれ少なかれ、日常的に「差別」を感じることがあり、同じ人間なのに、肌の色や生まれた地域によって、将来まで決められてしまうというのを目の当たりにし、なんとも言えない憤りを感じることがあります。
遠い異国アフリカは、テレビや映画で出てくる、広大な自然や風景からは想像できない厳しい現実にいまだに苦しんでいます。そういったことを考えると、私たちにできることが何か、またこのコロナの流行による大変な時期を乗り越えるべく、力を合わせて子どもたちを守っていくという、強い気持ちを持ちたいと願います!