同じ国でも、短期間の旅行で訪れるのと長期の留学や仕事での滞在では、受ける印象や経験する出来事というのは違ってくるものです。
楽しいことだけではなく、時には海外ならではのトラブルに遭遇したり、差別されたりすることもあるかもしれません。
今回は、長期のアメリカ留学を通して、出会ってきたアメリカ人の特徴と思った体験についてレポートします。
あくまで、私個人の留学体験談に基づくものですので、その点を踏まえてお読みください。
はじめに
私はアメリカのアリゾナ州に留学中で、1年ほど滞在しています。語学学校で英語を学びながら、ビジネスコースを受講しており、これまでにたくさんのアメリカ的生活を味わってきました。
その中で、せいぜい3ヶ月以内の旅行では決して見ることはできないアメリカの現実というものを目の当たりにすることがありました。さらには、日本で報道されるニュースや、それらから受ける印象とはまったく異なる「現実」も経験してきました。
私が留学を始めたのは36歳。一般的な学生よりも年齢を重ねているため、10代後半から20代の学生たちとは違った観点で物事を捉えられると思っています。そんな私が接してきた、アメリカ人の大人たちの様子や実情というものを実体験に基づいて紹介したいと思います。
あくまでも私が経験してきたことがベースですので、ここに書いてあることがアメリカすべてに共通するわけではありませんが、アメリカは州によって文化や人々の性格がまったく異なると言っても過言ではありません。
私が経験したことは、広いアメリカのアリゾナ州にある小さな町に限ったことですので、ひとつの参考程度に捉えていただければ幸いです。
日本の価値観が特殊なのか?「無責任」が前提の価値観
私がアリゾナ州で接した大人たち、さらには実際に体験したことに共通することのひとつは「無責任な人が多い」ということです。私たち日本人からすれば、極めてネガティブな意見に聞こえるかもしれませんが、長く生活してみれば浮き彫りなってくるひとつの文化のようなものです。
私はアメリカ留学をするまでに海外での生活経験はなく、生活に関わるすべてのことは「日本流」で生きてきました。行政サービス、教育機関、公共施設などあらゆることが日本流。言い換えれば、世界的に見て最高峰のサービスや対応のなかで育ってきたことになります。
そのような私がこの年齢になってアメリカで生活を始めると、あらゆることに違和感を抱くようになります。その理由は、接する大人たちの対応が、誰もが本当にいい加減で無責任なことです。ただし、このことはアメリカにおいては、もはやひとつの文化のようなものなので、日本人の基準だけでその価値観を否定的に判断してはいけないことでもあります。
いい加減なスタッフその1:笑顔で返事をしたけれど…
ある日、友人と一緒に昼食のためにファストフードのお店に行きました。レジで注文をして番号札を渡され、席で待っていれば店員さんが持ってきてくれるというシステム。このお店には何度も来ているので、このシステムには慣れていました。
私と友人は一緒に注文をして番号札を受け取って席に着いて談笑していました。しばらくすると、お店のマネージャーの名札を付けた人が私たちのテーブルまで商品を持ってきてくれました。
「何か他に必要なものはありますか?」と聞かれたので、手元になかったからバーベキューソースをお願いしました。すると笑顔で「すぐに持ってくるね」と愛想良く対応してくれました。こちらの要求を笑顔で受け入れてもらえることは気持ちがいいものです。
しかし、待てど暮らせどマネージャーはまったくやってきません。
仕方がないので私がカウンターまで行ってみると、マネージャーはレジの若い女の子のアルバイトと談笑中。マネージャーにどうなっているのか尋ねたら、さっきの笑顔はどこに行ったか、「忘れていた」と言ってバーベキューソースをカウンターにポイっと置かれておしまいです。
いい加減なスタッフその2:こっちの責任?!
別のレストランでは、私たちのテーブルを担当してくれた30代のイケメンウェイターがとにかくいい加減で困りました。私たちがテーブルにつくと、「とびきりの笑顔で最大限の歓迎をします!」なんて言い出し、始めはとても気分がいいものでした。
しかし、運ばれてきたメニューは再確認してくれたにもかかわらず、ソースは違うし、トッピングも違うというもの。挙げ句の果てには「注文が複雑すぎるんだよね」などとこちらの責任にされてしまいました。
さらに、注文の際にお願いしておいたバターを3回催促したにもかかわらず、最後の最後まで持ってこずに(水や食器の取り替えなどは対応してくれる)、結局別の若いスタッフにお願いしたらすぐに持ってきてくれました。私たちを担当してくれたイケメンウェイターは、テーブルチェックのときはニコニコしてビル(勘定)を持ってきてくれましたが、さすがにチップは最低限にしました。
もしかしてドラッグの影響?!
その席に同席していたひとりは、長年医療系の仕事をしている人だったのですが、ウェイターの目を見た瞬間に「あ、マリファナやってる」と感じたそうです。
もちろんウェイターに直接尋ねたわけではありませんが、セラピーなどを通じてそのような人たちを相手にしてきた人だからわかる直感が働いたそうです。
事実、アメリカではサービス業などを中心に多くの企業で就職やアルバイトを雇う際に「ドラッグテスト」が行われていますが、一時的にドラッグなどを我慢して採用後にまた始めるケースは多いそうです。
日本では考えることすらないようなことですが、アメリカではいつでもどこでも起こりうるようなことです。一般的には気がつかないことが多いようですが、分かる人には分かるようで、このようなことを背景にして、いい加減な対応や無責任な言動は起こるということを学びました。
マネージャークラスの人がいい加減なため、自ずとパートタイムの人もいい加減になるという、言わば負の連鎖がアメリカのいたるところで起こり、ひとつの文化のようになっていることが理解できた気がします。
先生でさえ差別的
アメリカに長く住んでいると、少しずつではありますが「差別」などを目にしたり、体験したりすることがあります。黒人を差別するだけではなく、実際にはあらゆることで差別が行われています。私が住んでいるアリゾナ州では主に、メキシカン、中東系、アジア系に対する人種差別、教養に対する差別、LGBT差別などが中心です。
アメリカはとにかく広いため、州が変わると文化も変わってしまいます。アリゾナ州のお隣のカリフォルニア州に行くと、アジア人差別がより顕著でした。ニューヨークに行くと人種差別がさらに露骨だと言います。日本では報道で聞く程度の差別問題ですが、アメリカにいると「とても差別がなくなるとは思えない」レベルです。
私が通っている語学学校には60歳代のアメリカ人おばさん先生がいます。旦那さんはアフリカ系で、孫もいるという家庭。その先生は、口にこそしませんがアメリカ人以外が嫌いなようで、基本的には学生に冷たく、感じが悪いと評判です。
公的な教育機関で、なおかつ国際的な学生が集まる語学学校であるにもかかわらず、どうしてこの先生はここで働いているのか不思議に思うほどです。とくにイランから来ている学生に対しては差別が露骨で、その学生の質問は受け付けない、話を遮る、目を見ないなどは日常茶飯事。
テストのフィードバックも多くの学生にはコメントが書いてありますが、イランの学生に対しては点数だけが書いてるなど、些細なことながら露骨に嫌っているのがよく分かります。いずれの言動も、学生が訴えたときに何かしらの言い訳ができるようなことばかりなので、本当に陰湿だと思います。
驚くべきことにこの先生の授業は、私たちのクラス以外でも不評で、誰ひとりとして良い先生だと言っていません。むしろ、この先生の授業ではほとんどの学生がいい点を取れないという側面もあり、なかには「この先生が担当になった時点でパスできない」と言う人もいます。
私の友人はこの先生の評判を知っていたため、学校のアドバイザーにクラスを変えてほしいと直訴しました。しかし、学生の味方であるべきアドバイザーもいい加減なので、結局たらい回しににされました。再履修覚悟で授業に参加しています。
訳)アメリカの大学や語学学校は、生徒に大学教授や講師から人種差別を受けていないかというアンケートを行うべきだと思います。
訳)それは良い考えだと思うけど、実際に学生にそういった調査を行うことは困難だろうね。
訳)オンラインで学生にそのような調査を行うことは可能だと思います。そういった調査があると教授や講師に知らせることで、彼らが学生に人種差別をするのも抑止されるでしょう。
日常で遭遇する差別的な言動
カリフォルニア州のサンディエゴでの話。サンディエゴはアリゾナ州とは違って、日系の大企業や学校も多く、仮に街中で日本人を見かけてもごく当たり前といった感じです。さらには観光都市でもあるので、日本人は生活に溶け込んでいると言ってもいいでしょう。
これまで何度か訪れたことがあるサンディエゴですが、決まって不快な思いをします。まずは、空港のカウンターや手荷物検査でなぜか私だけ挨拶すらしてもらえず、ぞんざいに扱われます。超高速な英語で話かけてきて、聞き取れなかったら露骨にため息を吐かれて不機嫌になります。面白いことに、日本人であることが分かると、態度を豹変させます。
アメリカ人からすれば「アジア人=中国人」という概念があるらしく、街を歩いているとほぼ「ニーハオ」と小馬鹿にされながら挨拶をされます。腹が立つので、日本人であることを伝えると「トヨタ!」と言ってから、「スシ!」と会話が広がるのが典型的なパターンです。最後は決まって日本が大好きだ言って握手してきます。
サンディエゴのスターバックスで、日本人の友人と行列に並んでいたときには、露骨に私たちを避けていくアメリカ人のおばさんと遭遇しました。行列に並ぼうとした際に私たちがいたから諦めたといった印象です。露骨に怪訝な目つきで、足下から頭の先まで睨むように見て去っていきました。
いまにも舌打ちが聞こえてきそうでしたが、私たちはアメリカにお邪魔させてもらっている身分なので、少し申し訳なく思ってしまいました。不快な思いをしてしまいましたが、一部始終を見ていたと思われる行列に並んでいた30代くらいのアメリカ人の女性から慰められたのでサッパリしました。
個人的な経験を基に言うと、アメリカ人のおばさんたちから冷たい仕打ちを受けることが多い気がします。日本でもサービス業の人に理不尽な苦情や文句を言うのは比較的年齢層が高い人たちだというように、アメリカも同じで何かしらの共通点があるのかもしれません。
ただし、いずれの差別的な仕打ちも日本人の理性からすると「あまりにも滑稽で取るに足らず」と言った印象です。中東系の学生も、私も含めてほとんどの人は差別的な行動を受けても、ほとんど気にとめることありません。アメリカで生活をしてみて、日常的に潜んでいる差別行動は、非常に些細で無意味なことであると実感しました。
このような実体験とそれを通して感じたことは、報道を通して理解できるものではありません。アメリカにきて初めて学べるものです。私はこの経験を活かして差別的な言動は決してすべきではないと心から言えるような気がします。
訳)アメリカで数ヵ月以上生活すると、「人種的差別」を何度か受けて、その用語は決して忘れないでしょう。
訳)アメリカに住んで数カ月たつと、アメリカは日本とは違って、多民族国家でさまざまな人種が住んでいるし、人種差別があるのは避けられないことなのかなと思い始めるでしょう。
訳)アメリカにはさまざまな人種のいろんな人がいるから、自分のことを理解してくれる人とうまくやっていければいいやと、割り切って考えるようになりました。
アメリカにはびこる白人至上主義
アメリカにしばらく住むと、教育現場などでも白人至上主義がはびこっていることに気付きます。ニューヨークなどの大都市では、さまざまな人種の人が住んでいて「人種のるつぼ」なので、住んでいる環境によっては、白人至上主義や人種差別を感じることはあまりないかもしれません。しかし、アメリカの教育現場、特に大学や大学院などでは、白人至上主義や人種差別をを感じることが多いです。
アメリカの特定の業種、IT業界や金融業界などでも、白人が圧倒的に多く、白人至上主義や人種差別は存在すると言えます。
アメリカに住んで、WASPというacronym(頭字語)を覚えました。WASPとは、White Anglo-Saxon Protestants(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の略です。WASPは、エリート集団で、米国の社会・文化および政治を支配し、婚姻・相続及び縁故主義を通じて諸分野を寡占してきました。富裕層としてのWASPの社会的影響力は、1940年代以降、減少したと言われていますが、それ以降も一部の金融および慈善分野と政治を支配しています。
ちなみに、白人至上主義は英語で “White supremacy”といいます。アメリカは「移民の国」と言われていますが、大学、大学院、金融、IT、慈善分野では、白人至上主義がはびこっていると言わざるを得ません。アメリカのどういった業界や分野で過ごすかによって、感じ方は違ってきます。
まとめ
アメリカは日本と違い、歴史が浅く、多国籍、多文化そして広大な国土のため、本当に考え方や文化が場所によって大きく変わります。今回、私が紹介した実体験はごくごく限られたもので、決してアメリカ全体でこのようなことが起こるわけではありません。
詰まるところ「たまたま」だったのかもしれないほどで、アメリカ=無責任で差別的と言う訳ではありません。しかしながら日本と比較した場合、紹介したようなことが日常的に起きることは事実です。
アメリカで生活をしていると、無責任な対応や差別的な言動に必ず順応してきます。大切なことはどんなことが起きても動じずにいるという強い精神力です。私は何事でもいちいち気にしたり、慌てたり、落ち込んだりする性格でしたが、アメリカで生活しているとこのような経験を通じて「タフ」になれた気がしています。
30代後半で経験したこれらのことは、仮に20代前半の学生の頃に経験していると、その幼さから攻撃的になっていたり、復讐の発想に繋がったりしていたかもしれません。そう考えた場合、若いうちにあらゆることを学ぶよりも、大人になってから色々なことを経験することもいいものだなと思います。