人類史上最大の建造物といわれている中華人民共和国の万里の長城。「宇宙からも見える唯一の建造物」ともいわれる巨大な人工壁で、壮大な歴史が感じられます。なぜ、この巨大な壁が造られたのでしょうか。
この記事では、中国の世界遺産「万里の長城」を紹介します。万里の長城の歴史や魅力、見どころを英語で表現していきましょう。
万里の長城の基本情報

中国を代表する歴史的建造物といえば、多くの人が「万里の長城」を思い浮かべるでしょう。
この壮大な構造物は、紀元前7世紀ごろから複数の王朝によって断続的に築かれ、特に秦、漢、明の時代に大規模な建設・改修が行われました。その目的は、北方の異民族の侵入を防ぐことで、軍事的な要塞としての役割を果たしてきました。
現在では、中国の観光名所としてだけでなく、世界文化遺産にも登録され、世界中から多くの観光客が訪れる場所となっています。
万里の長城の長さは?
万里の長城は、中国北部に広がる巨大な防衛壁で、全長約21,196kmです。なんと、地球の半周以上の長さに相当します。
しかし、万里の長城はすべては現存しておらず、長い歴史の中、崩壊してしまった部分も多くあります。現在見られる壁をすべてつなげると合計約6,259kmといわれています。
最西端・最東端は諸説ありますが、それぞれ嘉峪関(かよくかん)、山海関(さんかいかん)とされています。
万里の長城は月から見える?
「万里の長城は月から肉眼で見える」という説はよく聞かれます。しかし、これは誤りです。
NASAなどの専門機関によると、万里の長城は細く、地表と同化してしまうため、月面からは肉眼で確認できません。
実際、宇宙飛行士も「見えなかった」と証言しています。ただし、地球低軌道(約300km)からは、条件が良ければ見えることもあるそうです。
訳)「万里の長城は月から見える」と言われていますが、実際は、宇宙飛行士も「見えない」と証言しています。
万里の長城の英語フレーズ

英語で「万里の長城」は The Great Wall of China と言います。
- Great は「偉大な」「壮大な」
- Wall は「壁」
つまり、「中国の偉大な壁」という意味になります。英語ではこの言い回しが最も一般的です。
万里の長城の英語を紹介
会話や記事などで使える表現を紹介します。
訳)いつか、万里の長城を見に中国に行きたいです。
訳)万里の長城は2万km以上にもわたって広がっています。
英語を学ぶ際に、こういった歴史的建造物の表現を覚えると、語彙も文化理解も深まるでしょう。
万里の長城が世界遺産になった理由は?
万里の長城が世界遺産になった年や世界遺産になった理由について、みていきましょう。
万里の長城が世界遺産になった年
万里の長城は1987年にユネスコによって世界文化遺産(World Cultural Heritage)に登録されました。これは、その歴史的・文化的価値が国際的に認められたことを意味します。
訳)万里の長城は、1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。
万里の長城が世界遺産になった理由
万里の長城が世界遺産に登録された主な理由は以下のとおりです。
- 歴史的価値
万里の長城は、紀元前から現代までの長い年月にわたる中国の軍事的、防衛的な取り組みが見られるユニークな例であることを象徴しています。 - 文化的影響
単なる建造物としてだけでなく、中国の歴史、文化、技術の発展を語るうえで重要な遺産です。万里の長城建築により、中国人の居住地が拡大していきました。 - 建築技術の高さ
厳しい地形や気候の中で、長い建造物を成し遂げた技術力は、当時としては驚異的でした。人類の創造的才能を表していることが認められました。 - 自然との調和
自然と人工物が見事に融合した景観も高く評価されています。 - 文学的背景
万里の長城は文学のテーマになるほど、重要なシンボルであったという点が評価されています。
世界遺産への登録は、観光的な価値だけでなく、後世にこの遺産を守っていくべき使命があることも示しています。
万里の長城の歴史

万里の長城は、単一の時代に作られたものではなく、さまざまな時代の王朝が、異なる目的と設計で築いてきた建造物です。ここでは、その歴史を3つの時代に分けて見ていきましょう。
秦の始皇帝による統一
そもそもの歴史は、紀元前7世紀ごろの春秋戦国時代までさかのぼります。各地の戦国時代の諸侯が北方の遊牧民族の侵入を防ぐために、城壁を築くようになりました。
そして、紀元前221年、中国を初めて統一した秦の始皇帝は、それまで各地で築いていた壁をつなぎ合わせ、北方の遊牧民族である匈奴(きょうど)の侵入を防ぐために長城を拡張しました。そのとき、数百万の農民と約30万の軍兵を動員したといわれています。
この時代の長城は、現在のような石造りではなく、土を突き固めて作られた「版築(はんちく)」と呼ばれる構造でした。
漢時代の拡張
秦の滅亡後に成立した漢王朝(紀元前206年 ~ 西暦220年)でも、北方の異民族との防衛は重要課題でした。漢の武帝の時代には、長城がさらに西へと延伸され、シルクロードの防衛にも利用されるようになります。
漢時代には、軍事施設としての機能が強化され、要塞や烽火台(のろしを上げる塔)なども整備されました。
明時代の大規模改築
現在私たちが「万里の長城」として目にする多くの部分は、明王朝(1368年 ~ 1644年)の時代に築かれたものです。明の時代には、北方のモンゴル勢力との戦いが続いており、その防衛のために長城は全面的に石やレンガを使って再構築されました。
この時代には、城門、監視塔、兵舎、倉庫なども整備され、軍事拠点としての機能がさらに追加されました。
万里の長城では文化交流も?
万里の長城は、敵を防ぐための「壁」というイメージが強いですが、それだけではありません。長い歴史の中で、交易や文化交流の通路としての役割も果たしてきました。
訳)万里の長城は、壁であるだけでなく、文化をつなぐ橋でもありました。
万里の長城の見どころ

万里の長城は非常に広大で、地域によって雰囲気や景観が大きく異なります。ここでは、世界遺産登録された主な3つのエリアを紹介します。
八達嶺長城エリア
北京から約1時間と最もアクセスしやすい場所にあり、整備も進んでいるため、初めて訪れる人におすすめのスポットです。観光客が多く、ロープウェイも完備されています。
万里の長城の玄関口といわれる居庸関(関所兼要塞として設置された)は最も勾配がきつくなっています。
私も中国を訪れた際に、万里の長城のこのエリアを歩きましたが、かなりの勾配だったことを覚えています。歩きやすい運動靴は必須です。
でも、無理せずロープウェイに乗るのもよいのではないでしょうか。上から眺める景色もすばらしいこと間違いありません。日帰りツアーやオプショナルツアーもたくさんありますので、一度訪れてみることをおすすめします。
山海関エリア
山海関(さんかいかん)は、万里の長城の東端に位置します。長城が海へと続いていく珍しい光景を見ることができることで有名です。
ここは、陸と海を結ぶ要所であり、軍事的にも戦略的にも非常に重要な場所でした。
嘉峪関エリア
嘉峪関(かよくかん)は、万里の長城の西端にあたる場所です。砂漠と山脈に囲まれた地形の中に築かれたこの関所は、明代に建てられた壮麗な城塞で、東西交易の重要な通過点でもありました。
壮大な門や防御構造が現在でもよく保存されており、「長城の終着点」として訪れる価値があります。
まとめ
本記事では、中国の世界遺産、万里の長城を紹介しました。万里の長城は、中国の歴史、文化、そして人々の知恵と努力の結晶です。英語では The Great Wall of China と呼ばれています。
英語を学ぶ際にも、歴史や文化的背景を知ると楽しく学べますね。
長い歴史を持つ万里の長城、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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