「小学生のうちに英語は始めたほうがいいの?」
「みんないつからやっているの?」
何気ない会話の中でよく聞くこの言葉は、いつの間にか私自身の悩みにもなっていました。

わが家には小学生の娘が2人います。
英語教育を学び、指導もしてきた私ですが、いざ自分の子どものこととなると、思うようにはいきませんでした。

早く始めたほうがいいのか。
うちの子にはまだ早すぎるのか。
「焦らなくていい」と頭では分かっているのに、気づけば周りと比べている自分がいる。

そんな揺れる気持ちの中で、私は遠回りもしましたし、「これはやらなくてよかったな」「あれは少し急ぎすぎたな」と思う経験もたくさんしてきました。

今回は、そんなわが家の試行錯誤の体験を通して、「英語はいつから始めるべきか」という問いを、改めて一緒に考えてみたいと思います。

「早ければ早いほどいい」と思っていた幼児期

英検2級二次試験の合格点

私は、”英語は早期スタートこそ正義”と本気で信じていました。
「臨界期」「英語耳」−そんな言葉を知っていたからこそ、「今この時期を逃したら取り返しがつかないのでは」と焦っていたのです。

英会話教室の体験レッスンに手当たり次第申し込み、通信教材をいくつも取り寄せ、とにかく”正解”を探していました。

今振り返ると、あの頃の私は、娘のためというよりも、自分の不安を打ち消すために動いていたのかもしれません。

英語の歌、動画のかけ流し、絵本の読み聞かせ。
毎日、英語づけです。

けれど、効果は実感できませんでした。

2〜3歳の頃はほぼ無反応。
4〜5歳で少し単語に反応するようになっても、強い興味にはつながらない。

それでも当時の私は、「このままで大丈夫?」と焦り続けていました。
結果が見えない不安から、私は一人で負のスパイラルにはまり、気づけば動いていたのは娘ではなく”母の焦り”でした。

でも、あの遠回りがあったからこそ、今ならはっきり言えます。

英語は、”始める早さ”よりも、”学ぶ意味”のほうがずっと大事だということ。

何のために娘に英語を学ばせたかったのか。
“早く始めること”そのものが目的になっていなかったか。

英語学習のスタートは、年齢ではなく、家庭の中で”意味”が見つかったときなのかもしれません。
あの迷いの時間は遠回りのようでいて、私にとっては大切な原点を見つめ直す時間でもありました。

入学して改めて気づいたこと

"kind of"はどう使う?使いこなせるとよりネイティブ英語に近づける!?
Woman making decision. Person doubting,choosing between two alternatives, solving problems. Dilemma concept. Flat vector illustration

小学校に入ると、英語はぐっと身近になります。
3・4年生では外国語活動、5年生からは教科としての英語が始まります。

授業は、聞く・話すが中心で、ゲームやペアワークが多く、楽しさ重視。
現在小5の長女も、当時は「今日はこんなことやったよ」と楽しそうに話していました。

でも私は、どこか物足りなさを感じていました。

「これで本当に力はつくの?」
「遊びみたいで大丈夫?」
また、心配が顔を出しました。

そしてタブレット教材に英語のオプションを追加。
結果、長女は言いました。

「できない」
「無理」
「多すぎる」

当然です。
私は励ましているつもりが、結果的に長女にプレッシャーをかけていました。

ある日、長女が外国語の授業の話をしてくれました。

「ALTの先生が〇〇と言ってた」
「今日、外国語で〇〇っていうゲームやった」
その表情は、本当に楽しそうでした。

私ははっとしました。

英語は本来、楽しいもの。
通じたときのうれしさこそが原点だったはず。

私が守りたかったのは、単語の数でも点数でもなく、「英語って面白い」「伝わるってうれしい」という感覚。

足すことばかり考えていたけれど、本当に必要だったのは、増やすことではなく「楽しさを守ること」でした。

遠回りして見つけた3つの答え

「教えなきゃ」は最初に捨てよう

では、結局いつから始めるのがいいのでしょうか。

私の答えは、「始めたい」と思ったときが、そのご家庭のベストタイミングです。
答えになっていない、と感じるかもしれません。

でも、焦り、詰め込み、空回りしてきたからこそ、今はそう言い切れます。
早ければ安心、遅ければ不利−そんな単純な話ではありませんでした。

大切なのは、開始年齢ではなく、どんな気持ちで、どんな形で始めるか。
遠回りの末に、わが家がたどり着いたのは、次の3つです。

まず守るべきは「好き」という感情

英語力をゴールにしてしまうと、どうしても周りと比べてしまいます。
やがて焦りが生まれ、気づけば”できない部分”ばかりに目が向くようになります。

そして、その空気はちゃんと子どもにも伝わります。

「また英語?」
「できないから嫌だ」

これでは本末転倒です。

だからこそ、最初の目標には「英語を嫌いにならないこと」を置いてみてほしいのです。

極端なことを言えば、英語力はあとからいくらでも積み上げられます。
理解力も、語彙力も、文法力も、成長とともに伸ばしていくことができます。

でも、「嫌い」という感情が固まってしまうと、それをほぐすのは本当に大変です。

ペラペラになることよりも、単語をたくさん覚えることよりも、
「英語、ちょっと楽しいかも」
「なんか通じた!」
そんな小さな成功体験のほうが、ずっと大きな土台になります。

その「楽しい」という感情の芽を、焦りで踏みつぶさないこと。
それこそが、遠回りしてきた私がいちばん大切だと感じていることです。

「少し物足りない」くらいでやめる勇気を持つ

以前の私は、「やるなら徹底的に」と思っていました。

毎日やらなきゃ意味がない。
時間をかけなきゃ伸びない。
やるならいちばんいい教材を選ばなきゃ。

気づけば、”ベスト”を探し続けるゴールのない迷路をさまよっていました。

でも、それでうまくいったかというと、答えは、残念ながらNOでした。

量を増やせば増やすほど、親は疲れ、子どもの負担になる。
「頑張ること」が目的になってしまい、肝心の楽しさが薄れていきました。

そこで私は考え方を変えました。

重視したのは、「どれだけやるか」ではなく、「どれだけ続けられるか」。

いきなり毎日1時間ではなく、週2回、10分でもいい。
もっと言えば、子どもが「え、もう終わり?」と感じるくらいで終える。

実はこの「物足りなさ」こそが、次につながります。

「もっとやりたい」が少し残っていると、英語は前向きな記憶として積み重なっていきます。

英語学習は短距離走ではありません。
長い長いマラソンです。

最初から全力で走れば、途中で息切れしてしまう。
だからこそ、ペース配分が何より大切です。

小さく始めることは、長く走り続けるための賢い戦略なのだと思います。

親は監督ではなく伴走者になろう

うまくいかなかった頃の私は、完全に”監督”でした。

「やったの?」
「まだ終わってないの?」
「今日はここまでやろう」
管理し、指示し、進捗を確認する。

一見すると、しっかり取り組んでいる親子に見えるかもしれません。
でも、子どもの立場で考えるとどうでしょう。

家庭の中に常に”監督”がいる状態は、きっと息苦しいはずです。
評価される場所が、家の中にもあるということですから。

当時の長女は、まさにそんな空気の中にいました。

だから今は、意識的に立場を変えています。

私は監督ではなく、伴走者。
同じコースを一緒に走り、必要なときに給水を差し出し、横で「大丈夫だよ」と声をかける存在。

「今日どうだった?」
「何が大変だった?」
「ちょっと休憩する?」
そんなふうに、同じ目線で話すようにしています。

英語学習が”やらされるもの”ではなく、”親子の共通の話題”になったとき、空気は確実に変わりました。

私は、英語は”教科”である前に”言語”だと思っています。
本来は、誰かと気持ちを伝え合うためのツール。

だからこそ、横に並んで、一緒に使ってみる。
完璧でなくていいから、「通じたね」と笑い合う。
それが、ようやく見つけたわが家のスタイルでした。

まとめ|始める時期に正解はない

英語をいつ始めるべきか―その問いに、ひとつの正解はありません。
入学前に興味を持つ子もいれば、高学年になってからスイッチが入る子もいます。
本当に、一人ひとり違います。

だからこそ大切なのは、「いつ始めるか」よりも、どんな空気で始めるか。
焦りではなく、前向きな気持ちで。
比較ではなく、その子のペースで。

わが家もまだ道の途中ですが、ひとつだけ確信していることがあります。
英語は、「楽しい」と感じられた瞬間から伸びていくということ。

小学生の英語学習は、早さよりも”続けたくなる設計”が鍵。
無理なく、小さく、楽しく−その積み重ねが、きっと将来の大きな力になります。