「夏目漱石」といえば、「日本を代表する小説家」「文豪」「旧1000円札の人」というイメージでしょうか?

時にコミカルに、ときにシリアスに、さまざまな名作を生み出した文豪「夏目漱石【夏目金之助】」には、それはそれは壮絶な人生があったようです。

1.夏目漱石の年表

  • 1867年(慶応3)
    1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町(現、東京都新宿区牛込喜久井町)に誕生。本名は金之助。
  • 1868年(1歳)
    里子に出され、生後間もなく古道具屋へ、その後塩原家の養子となる。
  • 1876年(9歳)
    養母と共に生家に帰る。市ヶ谷柳町市ヶ谷学校に転校。
  • 1878年(11歳)
    錦華小学校・小学尋常化二級後期卒業。
  • 1879年(12歳)
    東京府第一中学校正則科第七級に入学。
  • 1881年(14歳)
    1月に実母千枝死去。東京府立一中から二松学舎に転校。
  • 1883年(16歳)
    神田駿河台の成立学舎 入学。
  • 1884年(17歳)
    大学予備門(東京大学教養学部)に入学。自炊生活を始める。
  • 1886年(19歳)
    腹膜炎をおこし、落第をする。
  • 1887年(20歳)
    長兄大助、次兄栄之助が立て続けて肺病で死去。自分も急性トラホームを患い、自宅へ戻る。
  • 1888年(21歳)
    塩原家より夏目家に復籍する。
  • 1889年(22歳)
    正岡子規との親交が始まり、俳句の手ほどきを受ける。
  • 1890年(23歳)
    帝国大学文科大学(東大文学部)の文科大学英文科へ入学。
  • 1892年(25歳)
    東京専門学校(現在の早稲田大学)講師になる。
  • 1893年(26歳)
    文科大学英文科卒業。 東京高等師範学校英語教師に就任。
  • 1894年(27歳)
    結核のため療養生活を送る。
  • 1895年(28歳)
    松山中学教諭として松山へ赴任。中根鏡子と婚約。
  • 1896年(29歳)
    熊本の第五高等学校講師になる。中根鏡子と結婚。7月に五高教授となる。
  • 1897年(30歳)
    実父が亡くなる。
  • 1899年(32歳)
    長女・筆子誕生。
  • 1900年(33歳)
    イギリス留学へ出発
  • 1901年(34歳)
    次女・恒子誕生。
  • 1903年(36歳)
    帰国し東京にもどる。 三女・栄子誕生。
    第一高等学校と東京帝大英文科講師を兼任する。
  • 1904年(37歳)
    明治大学講師を兼任。
  • 1905年(38歳)
    「吾輩は猫である」を発表。次女・愛子誕生。
  • 1906年(39歳)
    「坊つちやん」「草枕」発表。
  • 1907年(40歳)
    教職を辞め、朝日新聞社に入社。「文学論」「虞美人草」連載。
    長男・純一誕生。
  • 1908年(41歳)
    次男・伸六誕生。
    「文鳥」「夢十夜」「三四郎」連載。
  • 1909年(42歳)
    「永日小品」「文学評論」「それから」連載。
  • 1910年(43歳)
    五女・雛子誕生。「門」連載。胃潰瘍の転地療養のため修善寺温泉へ行くが、大量吐血して一時危篤状態に陥る。
  • 1911年(44歳)
    文部省からの文学博士号を辞退。
    五女・雛子、原因不明の突然死。
  • 1912年(45歳)
    「彼岸過迄」「行人」連載。
  • 1913年(46歳)
    ノイローゼに悩まされる。胃潰瘍が再発。
  • 1914年(47歳)
    「こゝろ」連載。
  • 1915年(48歳)
    「道草」連載。芥川龍之介、久米正雄が門下に加わる。
  • 1916年(49歳)
    「明暗」連載(未完に終わる)。
    12月9日 胃潰瘍のため逝去。

2.幼少期のエピソード

3.夏目漱石と英語

  • 漱石が生まれたときは、父親が50歳、母親が41歳と高齢で、また腹違いの姉と、4人の兄が居たことから、あまり歓迎された赤ちゃんではありませんでした。
    そのために里子に出されたという辛い過去がありました。
  • 家庭環境の混乱から小学校も転校を繰り返し、中学の中退、転をするなど、心理的に落ち着かない状況でした。
  • 3歳の時、予防注射を受けたことが原因で天然痘にかかり、治ったあとも花や頬に痘痕が残ったそうです。
  • 7歳の時に養父が浮気をし、養母が家を出て、養父と愛人と、その連れ子と暮らさなくてはいけなくなりました。
  • 養父が離婚したため、また生家に戻ったのがほんの9歳でしたが、そんな環境の中でも成績は優秀でした。
  • 東京大学予備門に入るために必要な英語を学びましたが、ここで非常に優秀な成績を残しています。
    ほとんどの教科で首位だったようです。

3.夏目漱石と英語

3.夏目漱石と英語

夏目漱石は小説家としてはもちろんの事、英語がずば抜けて優れていたことでも有名です。

漱石は10代半ばまでは英語は大の苦手でした。

長兄から英語を習っていた漱石は、教え方が悪かったのか? 英語に対して苦手意識があったそうです。

しかし、成立学舎に16歳で入学してから、漱石の学習環境はがらりと変わります。

成立学舎は、数学や歴史など、ほとんどの科目がすべて英語で行われるという、(現在でも取り入れられているCLILのようですね)英語ができないと勉強にならない環境なのでここで漱石は一発奮起して、英語の勉強に励みました。

教科書も当時英語版しかなかったので、ここで漱石は必死で英語嫌いを克服し、その努力が開花したのが東京帝国大学(現在の東京大学)時代でした。

ジェイムス・メーン・ディクソン主任教授からマンツーマン指導を受け、漱石の英語はめきめき上達し、その結果2年後には東京専門学校講師、そして東京高等学校の英語嘱託となり、英語教師になることができたのです。

漱石の英語勉強法

  1. 徹底的に本を読む
    わからなくても辞書を引かずに多読をする。
    (ある程度文法を学習してから多読すると効果がある)
  2. 繰り返し読む
  3. 英語の自然な発音のために頻繁に音読をする
    考えてしまう書物は避け、詩などがよい

この方法は現在の私たちの学習法にも当てはまりますね。

学修意欲の高い漱石は、これを毎日欠かさず行っていたに違いありません。

4.夏目漱石の名言

If you stop, you’ll stay there until you’re sick. It is a happy person to be there.

足が止まれば、嫌になるまでそこにいる。居られるのは幸福な人である。

Don’t rush. However , it is important to move forward like a cow.

あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んでいくのが大事です。

There is nothing more painful than what you are doing is not your purpose.

一生懸命に打ち込んでいると、何のために頑張っていたのか、目的を見失ってしまうことがあります。

Adorability is a soft weapon that defeats something stronger than you.

愛嬌というものね、自分より強いものを倒すやわらかい武器だよ。

You can’t benefit from others without exposing your weaknesses.
You can’t benefit others without exposing your weaknesses.

自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。

I love youを訳したら・・・

漱石が英語教師として英語を教えていた時のエピソード。

「I love you,をどう訳すか?」という漱石の質問に、生徒は「我君を愛す」と訳したところ、それを聞いた漱石が「ふん、つまらんな。日本人がそんなことを言うと思うのか?”月がきれいですね”とでもするといい。」と答えたそうです。

まあなんと、さすが小説家ですよね、ロマンチックです!

日本人は昔は軽々しく「愛」という言葉を使わなかったし、万葉集などは秘める恋を表した文で、「月がきれい」というのを「会いに来てください」という意味で使ったということから、漱石が放った言葉なのでしょう。

このエピソードは海外では「実に日本人らしい素晴らしい感性だ」と評判になったそうです!

まとめ

夏目漱石が幼いころに3つの家をたらいまわしにされ、それでもグレたりせずに生きられたのは、本来の素直な性格と、彼を取り巻いた友人たちのおかげであると言われています。

また、漱石も夫人との間に2男5女を儲け、夫人の話では、子どもたちが家中を走り回ていても怒ることなどなく、執筆をしていたことからも、自分は家族に囲まれて生活することを心から望んでいたのかな、と感じます。

漱石の末裔(まつえい)は、多くが音楽家やエッセイスト、クリエーターなどになっている人が多いのも、漱石の芸術性が、現代にも引き継がれている証なのでしょう。

Cut of  your before and after, don’t cling to the past so much, don’t let your dream belong to the future, and work in the present as hard as possible.

前後を切断せよ、みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に未来を属するなかれ、満身の力を込めて現在に働け。

 夏目漱石