今回のテーマはカルチャーショックです。
海外旅行に行ったり、海外についてのテレビ番組を見ていると、様々な習慣や価値観に出くわします。そうした違いを知ったり体験できるのはとても面白いことです。
時には困ったりトラブルの原因になることもあるかもしれませんが…
はじめに
この記事を書き始める前に少しだけ私について紹介させてもらいます。
私は岐阜県の田舎町に父母と3歳年下の妹と住んでいました。中学生のとき学校に交換留学生の女の子が来てから外国に興味を持ち始め、海外で生活してみたいという願望を持つようになりました。
両親と相談した結果、高校を出てすぐにオーストラリアに語学留学をすることになりました。まだ18歳になったばっかりの田舎者で、世界どころか自分の国である日本についても知らないことばかりです。初めて親元から離れて、いきなり一人での海外生活、困ったことや驚いたことはもちろん多くありました。語学学校では様々な国から来たたくさんの人達と知り合い、その人たちと接することで文化の違い、いわゆるカルチャーショックも多く受けました。
その後、結婚してスイスで生活をするようになってからも、国によって本当に様々な違いがあることを日々実感しています。日本と比較して、違いは数えられないほどありますが、その中でも私が特にビックリさせられたことを私の体験談と一緒に紹介したいと思います。
面白いエピソードもあるので、是非最後までお付き合いくださいね!
鼻水をすするのは失礼なこと
オーストラリアでの生活が始まり、語学学校に通い始めて少し経ち、同じクラスの人を中心にお友達も何人か出来ました。
新しい生活で疲れがたまったのか風邪をひいてしまい、鼻水ダラダラで授業に出た私は、日本でやっていた様に鼻水をすすります。すると、隣りに座っていたフランス人のG君が「ティッシュあげようか?」と聞いてきたので、私は「要らない、ありがとう。」と答えました。ティッシュはちゃんとカバンに入っているし、これくらいで鼻をかみにトイレに行っていては授業中に何回席を立たなければならないか分かりません。一度は引き下がったG君でしたが、5分後「お願いだから鼻水すするのやめて!聞いてられないよ!」と無理やりティッシュを渡してきます。
訳)西洋人にとって誰かが鼻水をすするのを聞くのは堪えがたかったようです。
訳)彼はそれに耐えかねて、「鼻をすするのをやめて」と彼女に頼んだんだね。
「鼻水をすする」は英語で “sniffle”といいます。
西洋人にとって、鼻水をズルズルすする音は聞いていてとても気持ちが悪いらしく、他人に気持ちの悪い思いをさせるということで失礼に当たるそうです。
訳)このエピソードは、西洋人にとって鼻をすすることがすごく嫌なことであることを示しています。
日本人の私にとっては、どちらかと言うと人前で鼻をかむ方が失礼だという感覚だったので少なからず戸惑いを覚えました。私は授業中先生が話しているときに、クラスのみんなの前でいきなり「ブー」と鼻をかむことは恥ずかしくてできません。結局授業を抜けてトイレで鼻をかみ、その後はたれる鼻水をティッシュで拭き取ることにしました。
慣れるまではどうしても無意識にやってしまうし、人前で鼻をかむのには抵抗がありましたが、今はもう慣れたので、レストランでもへっちゃらです。慣れというのは怖いものです...
訳)日本人にとっては、人前で鼻をかむことの方が失礼だと考えられています。
訳)とにかく、西洋人にとっては、鼻をすすることの方が鼻をかむことより嫌な感じを与えるということを覚えておきましょう。
「鼻をかむ」は、英語で “blow one’s nose”といいます。
政治・歴史などに対する価値観
西洋の友達がたくさんできて、その人達と話していてびっくりした事は、18歳だった私と同じくらいの歳の人でも政治や歴史などの興味を持っていて、しかもそれについて友達と議論するという事です。学校で勉強したから覚えているのではなく、それらに興味を持っていて、それらについての情報を持っています。
よく「僕の国はこうだけど、日本はどうなの?」と政治などについて聞かれても答えることができず、自分の無知さに恥ずかしい思いをしました。
さらに、政治や歴史上の出来事について知っているだけでなく、それらについて自分の意見を持っています。時には友達同士で意見を言いあって、かなり激しい言い争いにまで発展することも。例え喧嘩になるくらい言い合ったとしても、次の日には元通り仲直りしています。
日本では友達同士で意見を言い合うことなんて滅多にありませんよね。私が思うに、日本人は基本的に事実を事実として受け入れるだけで、それについて自分がどう思っているのかということをあまり考えていません。例え自分の意見を持っていて、それが他人と違っていたとしても、言い争いを避けるためにあいまいな返事をしたりします。
個人的な意見ですが、日本人は協調性を最も大切にする人種で、ハーモニーを保ちながら他人との関係を築きます。それに引き換え西洋では、意見のぶつけ合うことで友情が深まっていくような気がします。
訳)外国人、特に欧米人は、学生でも、社会問題や政治問題について、議論したりディベートします。
訳)日本の学生は、社会問題や政治問題について、友達を議論したりすることは、ほとんどないです。
訳)近年、日本でも、生徒たちに社会問題についてディスカッションしたり発表したりする場を提供している学校もありますね。
恋人との付き合い方
私はオーストラリア留学中に知り合った男性と結婚したのですが、旦那との付き合い始めが少し変わっていて、私は約1ヶ月間付き合っているという事を知らなかったんです!
語学学校のお昼の休憩時間にご飯を食べたり、放課後遊びに行ったりしていたクラスメイトの一人が彼でした。始めのうちはグループで行動することか多かったのですが、ある日いつも通りそうみんなで遊びに行った帰りに私だけ彼のお家に遊びに行ってから、二人きりでいることが多くなりました。
それから約1ヶ月、クラスメイトのみんなとご飯を食べにメキシカンレストランに行った日のことです。彼と1番仲が良かったG君と私がレストランの外でタバコを吸っていると、もう一人のクラスメイトがニヤニヤしながら近寄って来て「J君と付き合っているなんて知らなかったよー!いつから付き合っているの?」と聞いて聞いて来ました。予想をしていなかった質問だったので答えられずに黙っていると、横にいたG君が「う~んっと、1ヶ月くらいかなぁ。」と私の代わりに答えています。え~!!心の中で大声をあげてびっくりしました。その後、彼に「私達付き合ってるの?」と直接聞いてみると、「えっ!違うの?」と逆にびっくりされてしまいました。
西洋では大人になると、「付き合ってください」と日本みたいにはっきりと言葉に出しての「告白」ということはしないらいのです。「そんなことするのは小学生くらいなんじゃない?」だって。嬉しかったから良かったんですけどね。
ただ、そうなると問題は記念日です。結婚記念日は籍を入れた日なのではっきりとしていましたが、それまでの間は記念日というものが無くて寂しい思いをしました。
今では笑い話の1つになっています。
愛情表現にも違いが…
恋人関係でもう一つカルチャーショックだったのは愛情表現の仕方がとても直接的で、肉体的だということです。
日本とは違って相手の体に触るということに抵抗を持ちません。例えば、人前でのキスやハグ。西洋では友達に挨拶する時にハグしてほっぺにキスするくらいですから、恋人同士が人前でキスやハグをすることは当たり前です。これはいつも彼との喧嘩の原因になっていました。
アメリカ映画などでよく恋人たちが道端でチュとキスしているのを見て、「カッコイイなぁ」「やってみたいなぁ」と思っていました。多少の憧れがあったのですが、実際にそういう状況になってみると日本人としては恥ずかしくてとてもできるものではありません。彼はいつも人前でキスしてきたり、抱きついてきたりします。
心の中ではもちろん嬉しいけどやっぱり人に目が気になってしまい、さりげなく避けると、彼は「なんで避けるの!」と怒ります。彼にしてみれば、キスを避ける=キスしたくない=好きじゃない、という感覚になるみたいです。もちろんしたくない訳ではなくて、日本では人前でそういう事はしないから恥ずかしい、という事をいくら説明しても「ここは日本じゃない!」と分かってくれず、いつも喧嘩になってしまいました。
確かに周りの人が気にしないんだから、私が気にする必要は無いのかもしれませんが、生まれたときから植えつけられている感覚というものはそんなに簡単に取り払うことはできないもの。慣れるまではキョロキョロと周りをうかがっていました。
彼が日本に来た時は、人前で、特に親の前でキスさせないようにするのに苦労したものです...
また、恋人同士じゃなくても友達や知り合いに会えばほっぺにキスをして挨拶をします。面白いのはキスの数、メキシコやアルゼンチンなどは1回キスして抱き合います。イタリアは両方のほっぺに1回ずつで2回、スイスでは右・左・右と3回もキスをします。キスと言ってもほっぺとほっぺをくっつけて口で「チュ」と音を立てます。
回数も国によって違いますが、はっきりしたルールがあるわけではなく、他にも色々違いがあります。ある国では、誰とでもキスとハグで挨拶するし、また他の国では始めて合う人とは握手だけか、握手とキスでハグは無し。男同士は握手だけで、男と女・女同士の場合はハグとキス、というように様々です。また同じ国の中でも人によっても違うので、海外生活15年目でも未だに戸惑ってしまうことがあります。
義理の家族を何と呼ぶか?
スイス人と結婚をしてスイス人の義理の家族ができたのですが、義理の父母とお話をする時にとても困りました。
私のお姑目さんの名前はAnna、日本だったら「お母さん」と呼ぶところですが、こちらでは「Anna」と呼び捨て、しかも敬語を使いません。これには慣れるまでに随分苦労させられました。
第三者に対して「義理の母」は英語で “mother in law”、「義理の父」は英語で “father in law” といいますが、義理の母や父に話しかけるときに、英語の場合は、敬称を付けなくてファーストネームで呼んでも問題ないです。
イタリア人の声が大きい
イタリア人の声の大きさには驚かされます。しかも、1人の時はそうでもないのですが、イタリア人が2人以上集まるとめちゃくちゃ大きい声で話し始めます。
オーストラリアでイタリア人の友達とバスに乗っていたら、もう一人のイタリア人が途中のバス停から乗って来た途端にいきなり大声で名前を呼ばれて、飛び上がるくらいびっくりした事がありました。バスで移動中、イタリア人同士イタリア語で話していたのですが、あまりの声の大きさに知らない人の振りをしたいくらい恥ずかしかったことを覚えています。本人達は、「そんなにうるさかったかな?普通だよね?」と首を傾げていましたが...
イタリアのバルでコーヒーを飲んでいた時も。みんなカウンターの前で話をしているのですが、あまりのうるささに喧嘩しているんじゃないかと心配になるほどです。言葉が分かるようになると、なんてことの無い世間話をしているだけなんですけどね。
謙遜なんてしません!
基本的に謙遜というのは日本人特有のもののようです。「謙虚さ」というのは、英語で “modesty”です。日本では、相手に対してへりくだって、控え目なつつましい態度でふるまうことが美徳とされており、日本の多くの家庭では、ほめられても謙遜して反応することが美徳とされてきました。
確かドイツ人の女の子だったと思いますが、すごく足が長くて、まつ毛もふさふさの可愛い子だったので、それらの事を褒めると「知ってるよ」とあっさり答えられました。日本人なら、例え誰もが認める事実だったとしても「そんな事ないですよ~」と、一度は謙遜するもんでしょ?
西洋では、何かほめられたら「そんなこと無いですよ」と謙遜するのではなく、素直に「ありがとう」と受け止めるみたいです。
訳)日本では、謙虚さは美徳だとして、代々教えられてきています。
訳)一方、海外では、たとえ褒められても謙遜しない人が多いです。
店員さんが不親切…
海外に旅行した事がある人なら誰でも経験した事があると思いますが、お店でもレストランでも店員さんが不親切だと思いませんか。スーパーに行けば買った商品を投げるように渡されるし、何か聞いても面倒臭そうに適当にあしらわれる事も多々あります。レストランに入って席に案内してもらうのを待っていても、ウェイトレスさんは私の目の前を素通りするだけで「少々お待ち下さい」の一言もありません。
始めのうちはイライラしていましたが、どこの国に行っても多少の差はありますが、大して変わりません。 逆に考えれば海外の店員さんの態度が悪いのではなく、日本の店員さんの態度・接客が良すぎるという事です。
海外でも中にはとても親切で感じの良い店員さんもいるので、すべてを一括りにするつもりはありませんが、日本に帰るたびに店員さんの接客の良さには驚かされます。海外での生活に慣れて、日本にも2年に1度くらいしか帰ることができない私は、日本の接客があまりに丁寧すぎてこちらが恐縮してしまうくらいです。
接客だけではなく普段の生活の中でも、日本で言うような「気が利く人」というのはまずいません。第一「気が利く」とか「気を使う」という言葉自体が存在しないのだから、当然と言えばそれまでですが...
訳)海外では、高級ホテルなどの従業員は訓練を受けているので、礼儀正しいですが、ファストフード店などでは、たいていマナーがよくないです。
訳)日本では、ファストフード店でさえ、ウエイターやウエイトレスはマナーがよくて丁寧です。
訳)日本と同じぐらい細やかなサービスを海外のファミリーレストランやファストフード店で期待していたら、おそらくがっかりするでしょう。
まとめ
海外で生活をしていると色々驚かされることもありますが、私のポリシーとしては「郷に入れば郷に従え」ということです。
各国ごとにそれぞれルールがあります。日本では普通にやっていることが他の国では失礼に当たったり、逆に海外ではなんとも無い行動が日本では不自然だったりします。
変にこだわりを持ったりせずに、その国のしきたりに従うようにすればうまく生活していけるのではないでしょうか。海外生活を円満にするためには、文化や習慣の違いにうまく対応できる柔軟さが必要だと思います。