ロンドンと言えばテムズ川。このテムズ川の南河畔にグリニッジというエリアがあります。グリニッジでは、1675年に建てられ世界の標準自国の設定に貢献したグリニッジ天文台が有名です。
ところで、このグリニッジ町全体が世界遺産に登録されていることをご存知ですか?
この記事は、イギリスにある世界遺産「河港都市グリニッジ」を紹介します。テムズ川が流れロンドンを感じるグリニッジを説明する英語表現、世界遺産としての魅力などをみていきましょう。
グリニッジの基本情報

グリニッジは河港都市(かこうとし)です。
河港都市とは川の入り江を利用した都市であり、海に面した都市の港湾都市とは違いがあります。
河港都市グリニッジの基本情報
グリニッジは英語でGreenwich、河港都市はa river port cityで表現します。
訳)グリニッジは、ロンドン南東部のテムズ川南岸に位置する河港都市です。
訳)グリニッジ中心部とグリニッジ公園内に位置するマリタイムグリニッジには、その海事の重要性を示す数多くの歴史的建造物があります。
この例文で登場したMaritime Greenwichというフレーズは「海事都市グリニッジ」の意味になります。河港都市として、グリニッジは16世紀に造船所が開かれたり、王立海事学校など、海事に関わる施設が建設され、大航海時代のイギリスを支えてきたという特徴のある港町です。
ではそのような港町グリニッジがなぜ、世界遺産になったのでしょう?その辺を次で紹介しましょう。
グリニッジが世界遺産になった理由は?
それでは、ここでグリニッジが世界遺産になった年、そしてその理由をみていきます。
グリニッジが世界遺産になった年
訳)海事都市グリニッジは、1997年にユネスコの世界遺産に登録されました。
この例文のとおり、世界遺産のグリニッジを言う場合には英語フレーズはMaritime Greenwichで表現します。
グリニッジが世界遺産になった理由
グリニッジは歴史上、重要な時代の都市として世界遺産に登録されました。その理由は以下になります。
訳)1997年にユネスコの世界遺産に登録された海事都市グリニッジの重要性は、特に英国チューダー朝とスチュアート朝の統治下での王室の起源と、航海に関連した天文学の研究、および英国海軍の福祉と教育の場として17世紀から発展してきたことにあります。
英語を読むことにチャレンジしたい、グリニッジの写真や動画を見てみたいという方は、ぜひMaritime Greenwichのサイトをご覧ください。
グリニッジ出身!ヘンリー8世

海事都市グリニッジの歴史は、ウィリアム1世による治世の時代まで遡ります。そして、1520年までにヘンリー7世とヘンリー8世によって再建され、グリニッジ宮殿として拡張されます。
またもや登場、悪名高き国王ヘンリー8世
16世紀頃のイングランドを見る際、チューダー朝時代の王であったヘンリー8世無くして歴史は語れません。
実は、このヘンリー8世、グリニッジ出身です。グリニッジにあるプラセンティア宮殿(Palace of Placentia)で生まれたのです。ヘンリー8世のみならず、彼の娘であるメアリー1世とエリザベス1世もグリニッジ生まれです。このヒストリーだけでも世界遺産ものではないでしょうか?
16世紀前半には、この土地でヘンリー8世が造船所も作りました。
海洋大国イギリスの舞台グリニッジ
グリニッジは海洋国家であったイギリスの栄光を象徴するエリアです。日本同様、イギリスは四方を海に囲まれた島国であり、地理的な条件も重なり海運や貿易に力を入れていました。
グリニッジの役割
ロンドンのグリニッジはテムズ川の入り江を利用した河港都市でした。17〜18世紀に王室の科学によって築かれた都市です。
訳)グリニッジは、海洋の中心地であると同時に、文化の中心地でもありました。
今でも見れるカティサーク号
カティサーク号(Cutty Sark)は、1869年にスコットランドで建造された大型の快速帆船で当時は世界最速を誇っていました。カティサークは全盛期には世界を一周しましたし、中国からイギリスまで紅茶を輸送するために使用されました。
訳)カティサーク号は、中国との茶貿易のためだけに建造されました。アジアでは何世紀にも渡ってお茶が楽しまれてきましたが、イギリスに伝わったのは1650年代になってからでした。
グリニッジを訪れると、帆が美しいカティサークが船着場の横に展示されています。希望であれば入場料を払って船のなかを見ることもできます。
グリニッジ病院が海軍大学へ

17世紀、チャールズ2世の時代に、グリニッジ病院が建設されますが、ここは後にグリニッジ海軍大学に変わります。
バロック建築の旧王立海軍大学
元海軍病院が1694年、旧王立海軍大学(Old Royal Naval College)になります。現代は観光地と一般公開されています。壮大なバロック建築と豪華な装飾が特徴で、特に元ダイニングホールとして退役軍人のために使われていた部屋がペインテッド・ホール(Painted Hall)として数年前に再公開となりました。ここは圧倒されるほどのゴージャスな天井画で有名です。当時、海洋国家であったイギリスのパワーを感じられます。
訳)ペインテッド・ホールは、1707年から1726年にかけてサー・ジェームズ・ソーンヒルによって描かれました。
ネルソン提督と旧王立海軍大学
ホレイショ・ネルソン提督とは、ナポレオンのフランス海軍と戦ったイギリス海軍の提督です。12歳で海軍に入隊、生涯では120もの戦いに参加しました。
ロンドンのトラファルガースクエアの記念柱の上にネルソン提督の像がありますが、もちろん旧王立海軍大学で見ることもできます。
東半球と西半球が出会うグリニッジ子牛線

グリニッジといえば、グリニッジ子牛線(しごせん)が世界的に有名です。最後に、グリニッジ天文台とグリニッジ子牛線を紹介しましょう。
経度の基準・グリニッジ天文台
グリニッジには天文台があり、そこを通る子牛線(経線)は1884年にワシントンD.C.で開催された国際子牛線会議で公式に採択されました。これは世界の時間の起点であり、経度0度の子牛線を示す線が実際に引かれています。この線をまたぐと言うことは東半球と西半球をまたぐということから、観光客に人気のスポットです。
訳)本初子牛線はグリニッジ子牛線とも呼ばれ、イギリスのグリニッジを通って北極から南極まで伸び、経度0度を示す仮想の線または経度である。
なお、現在の本初子牛線はこのグリニッジの位置から東へ距離にして102.478m移動しています。
まとめ
本記事では、ロンドン南東部のテムズ川南岸に位置する世界遺産「河港都市グリニッジ」を紹介しました。
ロンドン中心地ではありませんが、イギリスの歴史をふんだんに感じられる非常に興味深い世界遺産であり見どころはたくさん、機会があればぜひ訪れることをおすすめします。
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