オリンピックは世界に開かれた、アマチュアスポーツの祭典です。世界中の多くの人がオリンピックの歴史やその重要性、競技の性格などを把握しています。基礎教養といってもいいので、オリンピックは英語学習者にとって最高の教材になります。いくら言葉の壁があっても、その対象の知識を持っていたら、相手の発言への理解が容易になります。自国開催のオリンピックで体操を観戦して、生きた英語を身に付けましょう。

まずは体操についておさらいしよう

体操と言えば鉄棒の手放し技や、床のタンブリング等がすぐに思い浮かぶと思います。実は体操の範囲はかなり広く、オリンピックの正式種目になっている床や段違い平行棒、あるいはトランポリンや新体操だけがすべてではないのです。アクロ体操と呼ばれるエンターテインメント性の高いものや、パルクールと呼ばれるフランス発祥のものも広い意味での体操に含まれています。エアロビックスのように健康や美容のために行われているものも、体操の一種に含まれるのですからいかに範囲が広いかわかります。元々は国民の健康増進のために生まれているので、競い合わないものも体操に含まれているのです。

狭義の体操の正式名称はartistic gimnastics (アーティスティックジムナスティクス)といいます。競技者はgymnast(ジムナスト)と呼ばれています。オリンピック競技としての歴史は古く、男子は1896年に行われた第一回のアテネオリンピックから正式種目になっています。女子は少し遅れて、1928年のアムステルダム大会から正式種目になりました。

ルールの変遷

1996年までの体操競技は自由演技の前に規定演技が行われ、その総合得点を競い合っていました。ルールが改変され、現在では自由競技のみが審査の対象になっています。採点方法も、時代によって少しずつ変化しています。1976年のモントリオール大会で史上始めて、ルーマニアの「白い妖精」と呼ばれたナディアコマネチが10点満点を出して世界を沸かせました。しかしその後競技レベルが上がり、点数に明確な差がつけられなくなってきました。誤審によってメダルの色が変わってしまう事件を契機にして、Dスコア(演技価値点)とEスコア(出来映え点)を足した点数を評価するようになりました。ルールは4年ごとに変化していて、現在はE得点を重視する流れになりつつあります。

日本の体操がたどってきた道

日本の体操競技は柔道やレスリングと並んで、日本のお家芸と呼ばれてきた種目です。実際に歴代のメダル数は柔道が総数84個、そのうち金メダルの数が39個、銀メダルの数が19個、銅メダルの数が26個です。レスリングの総メダル数は63個で、そのうち金メダルの数が32個、銀メダルの数が20個、銅メダルの数が17個です。体操競技が今までに獲得したメダルの総数は98個で、そのうち金メダルの数が31個、銀メダルの数が33個、銅メダルの数が34個に上ります。お家芸と呼ばれるだけの結果を、残して来たと言えるでしょう。日本のメダリストの中で、もっともメダルを獲得したのが体操の小野喬選手です。金メダルが5個、銀メダルが4個、銅メダルが4個で、総数13個のメダルを獲得しています。小野選手は1964年の東京オリンピックにおいて、選手団の主将を務めたことでも有名です。

日本体操の歴史

日本が初めてオリンピックの体操競技に参加したのは、1932年のロサンゼルス大会からでした。結果は全参加国のなか最下位という、芳しくないものでした。その後少しずつ順位を上げてきましたが、第二次世界戦争の結果を受けて国際大会の出場を禁止されました。けれどその期間も他国との交流を絶やさず、技の研鑽に励み続けました。1952年のヘルシンキ大会から、国際大会への出場が許されるようになりました。

日本が体操王国へ

日本の体操は1932年の初参加から28年後、ローマ大会において初めて団体で金メダルを獲りました。そこから1964年の東京大会、1968年のメキシコシティ大会、1972年のミュンヘン大会、1976年のモントリオール大会と5大会連続で団体金メダルを獲得する偉業を達成しました。まさに名実ともに、体操王国日本と呼ばれるにふさわしい実績をあげたのです。東京大会では女子の団体も、初めてメダルを獲得しています。東京大会の団体メンバーは小野喬、遠藤幸雄、鶴見修治、山下治彦、早田卓次、三栗崇の6人です。どの選手もレベルの高い演技を行い、メダルの獲得に貢献しました。その中でも遠藤幸雄選手は、個人総合で初めて日本に金メダルをもたらしてくれています。しかし1980年のモスクワ大会をボイコットした頃から、日本の栄光に暗雲が立ち込めて来たのです。

長い低迷と栄光の架け橋

1984年のロサンゼルス大会に出場しましたが、思うような結果を残せませんでした。その後2000年に行われるシドニー大会までの間、時折復調の兆しは見せるものの完全復活にはほど遠い状態が続きました。次の世代への技術や知識の伝承に失敗したことが、長期低迷の原因だと言われています。長く団体金メダルから遠ざかっていた中、2004年のアテネ大会が始まりました。アテネ大会で団体のメンバーとなったのは鹿島丈博、水鳥寿思、中野大輔、冨田洋之、塚原直也、米田功の6人です。最後の鉄棒の演技で冨田洋之選手が、伸身の新月面を着地まで完璧に決めたことで優勝が決まりました。団体の金メダルは28年ぶりにもたらされました。2位のアメリカチームとの差は、わずかに1点しかありませんでした。

その後の日本体操

アテネ大会の後世代交代は着々と進んでいきました。内村航平選手を筆頭に2008年の北京大会、2012年のロンドン大会と団体で銀メダルを獲得するなど、着実に結果を出していきました。そして2016年のリオデジャネイロ大会において、団体で金メダルを再び獲得することに成功したのです。アテネ大会のメンバーは引退した後に、後進の育成をするため監督やコーチに就任していました。水鳥寿思選手は日本代表の監督として采配を振るい、冨田洋之選手も日本オリンピック委員会専任コーチに就任しています。日本は過去の失敗から学び、伝統の継承に成功したのです。

体操競技の種類と使われている主な用語

ここからは体操競技の具体的な種類や、用語について説明していきたいと思います。

体操競技の種類

体操競技は男子と女子に分かれていますが、男子と女子では実施する種目の数も、内容も違ってきます。男子が実施するのはつり輪、あん馬、床、鉄棒、平行棒、跳馬の六種類です。女子が実施するのは平均台、段違い平行棒、床、跳馬の4種類です。男女共に床を演技しますが、その内容には違いがあります。男子が力強さや強靭を求められるのに対して、女子の床は優雅さや表現力を求められます。演技中に音楽が流れるのも女子の特徴で、表現力をつけるためにバレーやダンスの動きを取り入れる選手もいます。

体操競技の用語

体操競技を行う選手は、二種類に分けられます。All-rounder(オールラウンダー)と呼ばれる選手とspecialist(スペシャリスト)と呼ばれる選手です。オールラウンダーは男子ならあん馬、床、鉄棒、跳馬、平行棒、つり輪のすべてを、女子なら平均台、床、段違い平行棒、跳馬のすべてを行えるもののことを指します。スペシャリストは一つの種目に秀でた選手を指します。日本では伝統的に、オールラウンダーの選手の方が評価されてきました。それはすべての実施を完璧に行う方が、気力の面でも肉体の面でも難しいことだと考えられて来たからです。

東京オリンピックと英語学習

オリンピックで、選手や関係者が大勢日本にやってきます。彼らが困っている時にすぐに応答できるように、簡単な英語の例文等を頭の中に入れておくといいでしょう。英語を上達させたいのなら、どんどん使っていくのが一番です。ですから外国人がやって来てくれるのは、最高の環境だと言えます。外国の友人と一緒に体操競技を観戦すれば、楽しみながら英語の学習を行えます。すでに体操競技の基本情報を知っているので、理解することも容易いでしょう。

まとめ

オリンピックは人類が調和のとれた発展を遂げるために、スポーツを役立てることを憲章に掲げています。オリンピックを利用して知識の増進に勤めることは、オリンピック憲章にかなったことです。外国の友人と一緒に体操競技を観戦すれば、競技に対する前提知識を互いに共有しているので学習がはかどります。もしそばに友人がいない場合は、ズームやスマホ等を利用して、共に観戦するといいでしょう。