英語の早期教育がますます注目されています。2020年からは、小学3年生から「外国語活動」(英語)が必修科目になりました。保育園や幼稚園でも、日々の活動のなかに英語を取り入れているところが増えています。
これだけ周りが子どもの英語に力を入れていると、「うちの子、何も英語に触れさせていないけれど大丈夫!?」とつい焦ってしまうパパやママもいることでしょう。
今回は、幼児の英語教育に深くかかわる、母語(日本人の子の場合は日本語)の大切さについて説明します。
獲得・習得する言語には「母語」と「外国語」がある
人間が言語を習得する上の基盤になるのは「母語」です。母語とは
幼児期に最初に習得される言語。第一言語。(精選版 日本国語大辞典「母語」)
で、そのひとが生活を送るベースになる言語のことです。「第一言語」とよぶこともあります。
わたしたち日本人の場合、多くは日本語が母語に相当します。
注意したい「母語」と「母国語」の違い
「母国語」といういい方もありますが、暮らしている環境が母国でない場合は、自然に身についた言語「母語」が「母国語」と一致しないことがあります。
たとえば、日本生まれだけれども日本国籍ではない外国人にとっては、自由に日本語を話せても、「自国の」ことばではないので、母語と母国語がイコールではないことに注意が必要です。
また、日本人の両親のあいだに生まれた子どもでも、日本で育っていない場合は日本語が母語でないこともありえます。
英語では、「母語」をmother tongue、またはnative tongue、あるいはnative languageとよびます。これに対して、優勢にある言語「第一言語」をthe first languageといいます。
幼児が母語の獲得をする段階
赤ちゃんから幼児になる過程で、人間は話し始めます。子育てを経験している方ならすでにご存じでしょうが、喃語(なんご:意味をもたない発声)から意味のある単語へ、単語から二語文、三語文とことばがどんどん増えていきます。
この過程では、親が子どもに対して特に言語学習を行わなくても、子どもは自然に複雑な日本語の文法を理解して話すようになっていきます。これを「母語獲得」=「第一言語獲得」とよびます。
言語習得の段階
一方で、母語を習得しているうえに他の外国語を学ぶことは、「獲得」と区別して「言語習得」とよばれることがあります。これは、母語の文法や理論をすでにもっている状態で、母語以外の他の言語を得ようとすることを指します。
日本語を母語にする日本人が、英語を学ぼうとする場合は、この外国語の言語習得=「第二言語習得」に相当します。
英語では「言語習得」をlanguage acquisition といいます。
母語の領域を第二言語が超えることはない
外国語を覚えたいのなら、まずは母語を習得する必要がある、という考え方があります。
すでに母語を言語活動の基盤にもっているひとが第二言語を習得する場合、たいていは第二言語の能力が母語の能力を超えることはないという知見に基づいています。
たとえば、英語で「りんご」は”apple”です。一定の年齢以上の学習者は、母語でその果実の名前が「りんご」であることを知っていて、その上で英語の単語を覚えます。逆に考えれば、母語で「りんご」という名を知っていなければ、「りんご」という果物と具体的に結び付けて”apple”という英語の単語を覚えることはできないのです。
とはいえ、まれに第二言語が母語の能力を凌駕する場合もあります。
母語が定着する前に、母語の話されている環境を離れて第二言語の話される環境に身を置いた場合などがそうです。あるいは、第二言語、第三言語の地域で長く暮らしている場合も、母語を超えた言語能力を身につける可能性があります。
<日本語を忘れた帰国した津田梅子の例>
2024年から五千円札に肖像が登場した津田梅子は、明治時代に初めての女子留学生としてアメリカに渡った人物です。一行のなかではもっとも年少で、日本を出発したときにはわずか7歳でした。津田は裕福なアメリカ人の家庭に寄宿し、アメリカの小学校、女学校を卒業して11年後に帰国しますが、このときには日本語をすっかり忘れていて、日本の家族との会話にも困ったといいます。
のちに女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立し、アメリカに比して教育システムが整っていなかった女子教育に生涯身を捧げることになりましたが、死の直前までつけていた日記も英語で書いていて、日本に暮らすようになっても英語のほうが使いやすかった様子がうかがわれます。
<もうひとりの女子留学生、山川捨松の例>
津田梅子と同じく女子留学生としてにアメリカに学んだ山川捨松(結婚後は大山捨松)の場合は、明治4年の渡米時点で11歳でした。日本に帰国したときにも、津田ほど日本語を忘れてはいなかったようです。
これは、山川はアメリカに行ったころにはすでに日本語の基礎ができている年代だったこと、そして兄の山川健次郎(のちの東京帝大総長)も同時期に留学していて、妹には日本語を忘れないように勉強を続けるよう助言したためといわれています。ただし捨松は、兄・健次郎には英語で手紙を書いていたそうです。
日本人の両親のもとに生まれた日本人の子でも、外国で子ども時代を送ると、日本語を維持するのがいかに難しいかは、このふたりの女性の例でもよくわかります。
同時期に違う言語を一緒に学んでいくとどうなるのか
それでは、もし母語と第二言語を同時期に学んでいくとどうなるのでしょうか?
いわゆるバイリンガル(二言語話者:ふたつの言語を話すひと)になります。
二つの言語を使用する能力をもっている人のこと。この能力に関しては明確な基準はないが、一般にはどのような場面、用途においてもかなり自由にコミュニケーションができるレベル以上のものをいう。(日本大百科全書⦅ニッポニカ⦆「バイリンガル」)
バイリンガルの言語バランス
しかし、バイリンガルは、ふたつの言語のどちらも同等にできるわけではありません。次の3つの可能性をはらんでいます。
- どちらもネイティブスピーカーとして通用するレベルに達する
- いずれかの言語が優勢になる
- どちらの言語も母語の域に達しない状態
たとえ日常会話が不自由なくても、ある言語が読み書きに支障がない程度まで上達するにはかなり時間が必要です。一定の年齢になれば、言語の背景をつくる知識・常識の類も要求されます。
また、何らかの事情で母語の確立がうまくいかない場合には、いわゆるセミリンガル(いずれの言語も母語の域に達しない状態、ダブル・リミテッド)の状態になることも起こり得ます。
「いずれかの言語が優勢になる」ケースでは、母語と第二言語の逆転現象が起きる可能性もあります。
つまり、後から学んだ英語のほうが発達して第一言語になり、「幼児期に最初に習得」したはずの日本語が第二言語となる、という現象です。この場合、ものを考える基盤になる言語は英語のため、「日本語にあって英語にない表現」が失われる場合があるのです。
英語で育った日本人には敬語が使えない?
わかりやすい例として考えられるのは、英語・日本語バイリンガルのひとが、日本語の敬語をうまく使いこなせない、というケースです。
日本語の敬語表現は、尊敬語・謙譲語・丁寧語から構成されます。どういう場合に敬語を使うのか、また、へりくだる謙譲語を使うには「上」「下」の関係や「内」と「外」の区別も必要で、とても複雑なルールがあります。日本育ちの日本人でも敬語が正しく使えていない、苦手としている場合がよくありますが、それでも「目上の人には丁寧語<です・ます>で話す」という基本程度は理解しているはずです。
ところが、母語が英語の日本人の場合、日本語の敬語の理論が母語(英語)にはないために、年齢や社会的地位から「目上」に当たるひとに対しても、友だちのような口調で話してしまう、という現象が起きるのです。
これは英語の例に限らず、他の言語でも同様です。
<先生を「あなた」と呼ぶ幼稚園児の例>
外国で育った子どもが日本の保育園に入ったときに、先生に対して「あなたは~」と話し始めたりするのもその例です。
通常、日本では学校などで出会うおとなに対して、子どもが「あなた」という二人称を使うことはありません。「〇〇先生」、せいぜい「〇〇さん」と呼びかけるのが普通です。
このように、日本語を話せても、日本語話者に共通の約束ごとが前提になっていないため、まるきり間違いではないにしても、日本人ネイティブスピーカーには違和感のある、周りになじまない使い方になってしまうこともあるわけです。
<「将来」がわからない小学6年生の例>
また、二言語を同時に学習する場合は、母語の獲得が同年代よりも遅れる傾向がある、と聞いたこともあります。
先日見ていたテレビ番組で、そういうケースを目にしました。番組で特集していたのは、幼少期から英語に触れて、すでに英検2級にも合格しているという小学校6年生の男の子のことでした。英検2級は高校卒業レベルの英語の資格ですから、その子は小学生にして数年先の学齢の子と同等の英語力を有しているわけです。
番組の最後に、番組のスタッフが「将来何になりたいですか?」と尋ねたところ、その男の子は「”将来”って何?」と聞き返す場面がありました。小学校6年生くらいなら、「将来」ということばも理解できるはずですが、その子の場合は番組のスタッフが「おとなになったら…」と言い直して、やっと質問の意図を理解したのです。つまり、英語に比べて、母語であるはずの日本語が同年代の子に比べて遅れている面があるのかもしれません。
以上のことから、同時にふたつの言語を習得したとしても、まったく同じレベルの言語能力を得るのではなく、どちらかが基盤の第一言語となり、もうひとつが第二言語になる、といえます。
幼い子どもに英語を学ばせる場合、自宅ではどのようにしたら「英語環境」を用意することができるでしょうか。次の記事では、将来のためにも、できるだけ早い時期に、自然に英語に触れさせてあげたいと考える場合のヒントを紹介しています。
母語をしっかり身につけておくメリット
幼児期に英語を焦って勉強させるのではなく、まずは母語である日本語をしっかり覚えておいた方がよい、ということがいろいろなところでいわれています。言語活動の基盤になる母語の重要性は、いくら強調しすぎてもしすぎということはないからです。
母語がきちんと身についていれば、発話に必要な表現能力が備わっていますので、英語を習得する過程においても、日本語の豊かなボキャブラリーのなかから、ふさわしいことばを用いて、さまざまな言い換えができます。
たとえば、初対面の外国人の方が、とてもかわいい女の子を連れていたとします。女の子の名前もとても愛らしく、ぜひその名前は何に由来するのかを知りたいと思い、英語で「その子の名前の由来を教えてください」と尋ねるとします。
ここで「由来」って英語で何だっけ!?となってしまうと、当然そう尋ねることはできません。
けれども日本語の能力が高ければ、瞬時に他の表現に言い換えることができます。
もしも「由来」という英語を知らなくても、他のことばに置き換えることで、問題なく女の子の名前の意味を尋ねることができるのです。
英語の早期教育なら、「聴く」と「話す」をポイントにする
とはいえ、英語の早期教育自体を否定する必要はありません。幼児のうちから英語に触れることで身につくメリットも確かにあります。
それには、英語を耳から聞かせる、そして話させることです。すでに母語をある程度習得している場合、後から学ぶ言語では、母語にない発音の習得が難しくなります。日本人が、複数ある英語の“a”や、舌を前の歯に当てて出す”th”発音に苦戦するのがその例です。
一方で、幼児期は母語の獲得過程からも分かるように、耳からの情報吸収がとても優れている時期です。ですから、英語の早期教育で一番適しているのは子どもに「英語を聴かせる」ことになります。そして「話させる」ことによってアウトプットとなり、子どもが発音と英語のフレーズを習得することに繋がるのです。
最初から英語教室に通わせなくても、好きな英語の歌のCDを流したり、簡単なあいさつを親子で言い合ったりするだけでも十分です。親御さんがすでに英語の勉強をしているなら、英会話教材のCDなどを流して勉強している姿を見せるだけでも効果があるといえます。
幼稚園くらいの子どもには、画面を通して講師と1対1で向き合う、オンライン英会話が有効といわれています。次の記事では、まだ集中力が続かない年ごろの子どもが、飽きずに楽しんで学習を続けるために、親ができるサポートの仕方などを説明しています。
まとめ:一番大切なのは「英語嫌い」にしないこと
この記事では、日本人の子どもにとっては第二言語となる「英語の習得」には、まず母語である日本語の獲得が大切であること、そして早期教育で英語を学ばせるなら「聴く」「話す」に重点を置くのがよい、ということを説明してきました。
この2点の前提として知っておかなければならないのは、英語習得の上で最大の障害になるのは「英語を嫌いになってしまうこと」です。せっかく日本語の能力が高くても、幼いときから英語に触れている環境であっても、本人が英語そのものを嫌いになってしまうと、習得を拒んで心理的に大きな障壁になってしまうのです。
ですから、早期英語教育も大切ですが、子どもが嫌がったときには無理強いしないようにすることもそれ以上に重要です。英語を覚えるのに一番大切なのは、本人の「やる気」です。本人がやる気になれば、おとなになってからでも英語の習得は十分に可能です。
早期英語教育では、「英語を覚えさせよう!」と親が躍起になるのではなく、子どもに英語に親しませるとか、日本語以外にも別なことばがあることを学ぶ環境を作るとか、動機づけを支えることがいっそう大切ではないでしょうか。
英語を学ぶことで、外の世界を知るのが楽しい、英語で話せるのはおもしろい、と子どもが感じたならば、これほど強い学習の動機づけはありません。