香港やマカオで人気のエッグタルト。カスタードクリームとパイ生地のコンビネーションが美味しいですね。ところで、エッグタルトはポルトガル発祥ということを知っていますか?
この記事では、ポルトガルで生まれたエッグタルト「パステル・デ・ナタ」を紹介します。あまりものの卵黄を使い切るために誕生したという由来や本場でどのように食べられているのかなど、いろいろみていきましょう。
ポルトガルで誕生したパステル・デ・ナタ
ヨーロッパ大陸の南西端イベリア半島の南西部に位置するポルトガルは、1543年に種子島にポルトガル人が漂着したことをきっかけに日本との関係が始まった国です。
さて、パステル・デ・ナタはこのポルトガル共和国で誕生した伝統菓子です。
ポルトガル生まれのpastel de nata
パステル・デ・ナタはポルトガル生まれのエッグタルトです。ポルトガル語でnata(ナタ)はクリームを意味し、パステル・デ・ナタの特徴であるカスタードクリームを指しています。
パステル・デ・ナタはpastel de nataと表現しますが、パステイス・デ・ベレン(pastel de belem)と呼ばれることもあります。ポルトガルには首都リスボンにベレン地区(Belem)というエリアがあり、belemは新約聖書でキリスト生誕の地とされるベツレヘムを意味します。
この地でパステル・デ・ナタが誕生しました。
訳)パステル・デ・ナタはエッグタルトのようなもので、外側のパイ生地のなかに卵のカスタードが詰まっています。
パステル・デ・ナタの歴史
キリスト教徒にとって神聖な土地であるBelemが名前に使われているパステイス・デ・ベレンですが、パステル・デ・ナタ誕生の歴史にも宗教的な要素が含まれています。
リスボンのジェロニモス修道院
18世紀の初頭、リスボンにジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jerónimos)がありました。この修道院は15世紀の大航海時代にエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの功績を讃えるために建設されました。マヌエル様式と呼ばれるポルトガル独自のゴージャスな装飾が特徴です。この時代、ポルトガルは航海で莫大な富を得ています。
パステル・デ・ナタ誕生の場所は修道院だった
ジェロニモス修道院では、洗濯をした修道服やシーツの糊付けに卵白を使用していました。すると、卵の黄身が余ってしまいます。この黄身を無駄にすることなくどう使おうかと考えたときに、パステル・デ・ナタを作ったという説があります。
訳)パステル・デ・ナタは19世紀初頭、ポルトガルのリスボンにあるジェロニモス修道院で誕生しました。
訳)修道士たちは、修道院を支援するためにペストリー販売を始めました。
ベレン洋菓子店(Pastéis de Belém)
修道院で修道士たちによって作られたパステル・デ・ナタでしたが、その後、リスボンの洋菓子店が販売を開始します。
パステル・デ・ナタを最初に売ったお店
修道士たちが地元の人々に売り始めたパステル・デ・ナタですが、美味しさに人気が上昇し、1837年にはベレン洋菓子店(Pastéis de Belém)で販売開始となりました。このベレン洋菓子店、今も現役です。
Pastéis de Belémウエブサイトもぜひご覧ください。
ベレン洋菓子店では修道院の秘密のレシピに従ってパステル・デ・ナタ作りが始まりました。このレシピは今日まで変わることなく残っているということで、貴重な歴史を感じることができます。
ポルトガルで必ず食べたい国民的お菓子パステル・デ・ナタ
丸くて手のひらサイズの小さなパステル・デ・ナタは、パイ生地とカスタードでできたシンプルなお菓子です。大げさではなく、ポルトガルの国民的なお菓子と呼んでよいでしょう。
日常に浸透するパステル・デ・ナタ
外側のパイ生地はとってもサクサク、カスタードはとろとろという組み合わせがたまらなく美味しく人気です。この食感は、パステル・デ・ナタを400℃という高温で一気に焼き上げることで作られます。
訳)予熱したオーブンにパステル・デ・ナタを入れ、400度で12〜15分焼きます。
ポルトガルでは、パステル・デ・ナタは朝食に食べることもありますし、食べる前に、シナモンや粉砂糖をふりかけていただく方法もあります。
そして、パステル・デ・ナタはエスプレッソとともにおやつに食べるのが定番です。スーパーなどで市販のものも買えますが、旅行者であればパン屋で焼きたてのパステル・デ・ナタを食べるのが最高です。おともには、ポルトガルバージョンのビッカ(bica)と呼ばれるエスプレッソがおすすめです。
ポルトガル生まれのパステル・デ・ナタを紹介したイギリス人
リスボンで生まれたパステル・デ・ナタは、その美味しさから国外に伝えられていきます。それには、あるイギリス人が関わっていたのです。
イギリス人がマカオに紹介したストーリー
イギリス出身のアンドリュー・ストウ(Andrew Stow)氏は、当時マカオで薬剤師として働いていました。1980年代後半、ポルトガルを訪れたときにパステル・デ・ナタに出会います。その美味しさに、ぜひマカオで広めたいと考え、自分でレシピを考え始めます。1989年、マカオのコロアン島に自分の店ロード・ストウズ・ベーカリーを構え、そこで英国風カスタード・タルトからヒントを得て改良を加えたものを売り出します。それをポルトガル風エッグタルトとして売るとこれが評判となり、他のパン屋やレストランでも似ているものを作るようになったのです。今では、マカオ料理におけるデザートとして定着しています。
日本でもブーム到来
アンドリュー・ストウ氏は2006年に死去しましたが、マカオを訪れる観光客は必ずロード・ストウズ・ベーカリーに立ち寄るというくらいに名物となりました。
1990年〜2000年代にかけ、エッグタルトはさらに人気となっていきました。日本でも1999年ごろからエッグタルトブームが起こります。1999年はマカオがポルトガルから中国に返還された年、多くの日本人観光客がマカオを訪れました。そこで出会ったエッグタルトの評判に、マカオのお店「アンドリューのエッグタルト」の大阪進出というタイミングがエッグタルトブームに大きかったのでしょう。
パステル・デ・ナタとエッグタルトの違い
最後に、パステル・デ・ナタとエッグタルトの違いを紹介しましょう。味比べをしてみたくなります!
パステル・デ・ナタとエッグタルトの違い
本家パステル・デ・ナタと、マカオなどで食べるエッグタルトの違いが少しあります。見た目はとても似ていますが、前者はバターの風味が豊かなパイ生地でできた外側がカリカリでカスタードは濃厚、滑らかであり卵黄多めで甘め、一方後者は軽めのパイ生地で甘さ控えめです。表面のこげ加減も、パステル・デ・ナタははっきりとした焦げ目がつきますが、エッグタルトはそれほどではありません。
まとめ
本記事では、ポルトガル生まれのpastel de nataを紹介しました。18世紀の初頭、リスボンのジェロニモス修道院で生まれた歴史や、イギリス人がマカオに持ち帰ったストーリーなど興味深いですね。本場ポルトガルのパステル・デ・ナタを食べてみたくなってきましたね!