14世紀のオスマン帝国時代、トルコの位置的利点から料理が発展し、トルコ料理はフランス料理、中国料理と並んで世界三大料理のひとつになったことは有名です。そんなトルコには美味しいお菓子もたくさんあります。そのなかでターキッシュデライトは有名ですが、皆さんはバクラヴァをご存知ですか?
この記事ではトルコのお菓子「バクラヴァ」を紹介します。
ユフカという生地とたくさんのナッツのハーモニーが絶妙、オスマン帝国時代から愛されるバクラヴァがどのようなお菓子なのか発見しましょう。
トルコのお菓子「バクラヴァ」
バクラヴァはbaklavaと書き、トルコの代表的なお菓子のひとつです。トルコは英語でTurkey、トルコの・トルコ人のというときにはTurkishで表現します。
トルコ料理では、ヘーゼルナッツやピスタチオなどのナッツ類がよく使われますが、バクラヴァも刻んだナッツが何種類も使われるためとても美味しいスイーツです。
サクサクのパイ菓子バクラヴァ
ヨーロッパ有数の世界都市イスタンブール、歴史的地区カッパドキア、賑わうグランドバザールなどある魅惑の国トルコ。国民の90%がイスラム教徒、明るくて陽気、そして親切な性格のトルコ人はお客様をもてなすことも大好きです。
家に人を呼ぶときにもバクラヴァが大活躍します。バクラヴァを一言で言えば、パイのお菓子になります。
バクラヴァってどんなお菓子?
パイ菓子であるバクラヴァですが、もう少し詳しくみていきましょう。知れば知るほど、バクラヴァが美味しいお菓子ということが分かります。
バクラヴァに使うフィロ生地とナッツ
バクラヴァに使われるのは、フィロ生地と言ってイーストを含まない生地です。この生地を極限まで薄くし、手作業で10~11層をミルフィーユのように重ねてバクラヴァが作られます。薄く柔らかくパリッとした食感が特徴です。このフィロ生地を何層にも重ねますが、なかにナッツ類を入れて焼きます。焼き上がりに蜂蜜や砂糖、レモン果汁を加えたシロップをたっぷりかけるとバクラヴァの完成です。なお、シロップを掛けて焼き上げる方法もあります。
なお、トルコではナッツ類が料理やお菓子によく使われますが、バクラヴァにはピスタチオ、アーモンド、ヘーゼルナッツやクルミを細かく刻んだものが使用されます。
訳)トルコ語でユフカとして知られるフィロ生地は、紙のように薄く伸ばした無発酵生地です。
unleavened doughで無発酵生地を表します。
訳)トルコのバクラヴァは、フィロ生地、砕いたピスタチオ、バター、そして砂糖、水、レモン汁から作られたシロップで作られた、とてもリッチでバターたっぷりの甘いデザートです。
ひとつ目とふたつ目の例文では、フィロ生地を表す言葉が3つ登場しました。Filo pastry・yufka・phyllo pastryです。このなかでトルコでは「yufka(ユフカ)」と呼ぶことが多くなります。Filo pastryやphyllo pastryという言い方があるのは、フィロはギリシャや中東でもよく使用されるためです。
バクラヴァってトルコで一番甘いお菓子?
シロップをたっぷり掛けて焼き上げるため、バクラヴァはどうやらトルコで一番甘いお菓子だという噂があります。これは真実でしょうか?
トルコで一番甘い?バクラヴァ
バクラヴァは、トルコを代表する甘いお菓子のひとつです。バクラヴァより甘いお菓子がいくつもあり、カズァンディビやシェケルパレなどは激甘です。
甘いことは甘いバクラヴァですが、ナッツの香ばしさと何層もの層になったフィロ生地、そしてシロップのハーモニーが間違いなく美味しいお菓子です。
ということで、バクラヴァはトルコで一番甘いスイーツではないことが分かりました。しかし、バクラヴァ1つ(40〜50g)のカロリーが約200〜300kcalあることは付け加えておきましょう。
オスマン帝国の宮廷の高級スイーツ
ここで、バクラヴァのトリビアを紹介しましょう。バクラヴァがオスマン帝国の宮廷の高級スイーツだったという壮大なストーリーです。
オスマン帝国とは?
オスマン帝国は、1299年〜1922年まで存在したイスラム国家です。アジア・ヨーロッパ・アフリカの3大陸にまたがり、16世紀に全盛期を迎えましたが、これが現在のトルコ共和国の前身です。オスマン帝国は英語でOttoman Empire、正式名称はĀl-i Osman(アーリ・オスマン)になります。
オスマン帝国の宮廷菓子だったバクラヴァ
バクラヴァは、スルタン皇帝や貴族が楽しむ宮廷菓子として広まります。イスタンブールのトプカプ宮殿で皇帝や上級官僚に振舞われたという記録もあるようです。バクラヴァを作る職人はバクラヴァチと呼ばれ、宮廷専属のパティシエのような存在でもあり、いかにバクラヴァが貴重に扱われていたかが分かります。さらに、オスマン帝国の軍隊では、特別なイベントでバクラヴァが配られ、そして伝統的な儀式にも「バクラヴァ行進(Baklava Alayi)」という名前が付けられていたくらいです。スルタン皇帝は軍隊の忠誠心を高めるためにバクラヴァを振る舞っていたのです。
さらに、キリスト教徒は四旬節の40日間を表すために40層のバクラヴァを、キリスト33年の生涯を表現するのに33層のバクラヴァを焼くこともありました。
オスマン帝国で広まったバクラヴァ
バクラヴァが特別なお菓子だったことが分かってきました。バクラヴァは当時作るのに技術が必要であり、砂糖やナッツなど主な材料は高価だったため、お祝いごとのために使われました。オスマン帝国時代、ラマダンのほぼ神聖な部分であったとも言われています。お菓子は歴史上で大切な存在であり、日本でも平安時代には和菓子が献上され普及しました。
訳)オスマン帝国時代、バクラヴァはラマダンの神聖な一部でありました。
オスマン帝国の領土は現在のトルコ、ギリシャ、バルカン半島、中東そして北アフリカに渡り、かなり広大なものでしたから、バクラヴァがこれらの国に広まっていったのも当然です。そして各国で独自のスタイルのバクラヴァが生まれていきました。
周辺国のバクラヴァを紹介
数々の国に渡っていったバクラヴァですが、最後に各国のバクラヴァバージョンを紹介しましょう。
ギリシャ・アラブ諸国・バルカン半島のバクラヴァ
ギリシャで食べられるバクラヴァにはピスタチオやクルミが使われるとともに、トルコのものよりもシナモンが多く使われるのが特徴です。熾火(おきび)に掛けて煮出すギリシャ式コーヒーと一緒にいただきます。
エジプトやレバノンなどのアラブ諸国では、オレンジブロッサム水というオレンジの花の水を加えた香りがバクラヴァに加えられています。
そしてヨーロッパ南東部に位置するセルビアやボスニアなどバルカン半島では、甘さが控えめでナッツの風味が強いバージョンのバクラヴァが特徴となります。
トルコとギリシャのバクラヴァ論争
2012年、当時のアメリカ大統領バラク・オバマ氏が独立記念日を祝うためにギリシャを訪問しました。その際、ディナーでバクラヴァを食べたときに、トルコのマスコミが大統領がこのバクラヴァ紛争でどちらかの側に立っているという噂を流しました。しかし2013年に決着がつきます。欧州連合が、トルコ南部のガズィアンテップ産バクラヴァに保護ステータスを与えたのです。
まとめ
本記事ではトルコのお菓子バクラヴァを紹介しました。英語学習の息抜きになりましたか?バクラヴァは単なる伝統菓子ではなく、オスマン帝国時代に特別な扱いをされていました。東京にもバクラヴァを扱っているお店が数軒あるようです。異国の食文化に触れ、お店の人と英語でコミュニケーションをとってみるのも楽しいでしょう。
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